猫じじいのブログ

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屈折した言葉使いのガルブレイスの『ゆたかな社会』

2021-04-11 23:19:37 | 経済思想

昨日につづいて、J・K・ガルブレイスの『ゆたかな社会 決定版』(岩波書店)を読む。老眼の私には文字が小さくて苦労したが、なれて裸眼で読めるようになった。

本書はアメリカでベストセラーになり、20世紀のnon-fiction booksの部門で46位になっている。ガルブレイスは、ハーバード大学教授をとなり、歴代の民主党政権のアドバイザーを務め、非専門家のために たくさんの本を書いた。1972年にはアメリカの経済学会の会長も務めた。2000年には大統領ビル・クリントンからPresidential Medal of Freedomを受け取っている。

本書を読むと、私のような理系の人間には真意がわからないほど、ガルブレイスは非常に控え目で屈折した表現をしていると感じる。しかし、それでも、彼は、多くの経済学者から批判された。新自由主義者のミルトン・フリードマンから非難されるのはわかるが、リベラル派のポール・クルーグマンからも批判されている。

例えばガルブレイスは、つぎのように書く。

《何世紀もつづいた停滞が富の増大によって緩和され、その富が少数の人びとの手に集中し始めた状況を背景として、経済学の諸観念が考え出され、世に出たのである。経済学者が大衆の窮乏と荒廃とを自明のことと考えなかったとすれば、歴史にも環境にも無関心だったというべきであろう。》

彼の主張は2つの文からなる。前方の文には違和感がないが、後方の文が理系の私が理解できない。当時の経済学者たちが「大衆の窮乏と荒廃とを自明と考えていた」と彼が言いたいのか、それとも、「歴史にも環境にも無関心だった」と彼が言いたいのかが、釈然としないのである。しかし、多くの経済学者には、彼が何を言いたいのか、すぐに分かったから、彼に怒ったのであろう。

つづいて、ガルブレイスは次のように言う。

《経済思想史の中で、主流派の最初の傑物であったアダム・スミス(1730―90年)は楽観論者と考えられている。》

《彼はすばらしく簡明に次のように述べている。「共同して賃金を引き下げてはならないという法律はないが、共同して賃金を引き上げてはならないという法律はたくさんある。」》

《「彼(労働者)の賃金は、少なくとも彼の生活を維持するに足るものではなくてならない。賃金は多くの場合、これより幾分高くなるに違いない。さもなければ彼は家族を養うことができなくてなって、そのような労働者の家系は最初の一代以上は続かないであろう。」》

この「楽観論者」というのは、悪い意味で使われているのではないかと、私は思い悩むのである。「家系は最初の一代以上は続かないであろう」とは、家族を持てないということであろう。現代にも家族をもてないという貧困は起きている。