けさの朝日新聞1面に、ノーベル物理学賞の赤崎勇と俳優の田中邦衛の死亡記事があった。
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いまは、ニュースをネットやテレビで見る時代だが、私は惰性でまだ紙の新聞をとっている。紙の新聞は報道に使えるスペースも限りがあり、また、何面にどの情報を載せるかがだいじになる。1面は、新聞社が読者に訴えたいことを持ってくる場所である。新聞の顔であった。
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老人は死ぬものである。赤崎勇や田中邦衛が死んだからといって日本が変わるわけではない。極悪人が死んだら1面に来るのはわかるが、彼らは別に極悪人ではない。夕刊の『惜別』の欄で故人を懐かしむものである。
何かの事件を隠すために、あいたブランクを埋めるため、急遽、赤崎勇と田中邦衛の死亡記事を1面にもってきたのではないか。
31面(社会面)の東京五輪組織委員会が文芸春秋に雑誌の回収を求めたことが、1面に来るべきだったのではないか。あるいは、4面のデジタル法案が野党の反対を押し切って衆院で可決されたことも、読者に1面で問題提起すべきだったと思う。7面の旭化成が半導体工場火災復旧断念も検討も1面にくる資格がある。4面の「まん防」を使いませんも、朝日新聞はこれから通称「まん防」を使いませんとして、1面にもってきたほうが良かったように思える。
これから、紙の新聞の読者はどんどん減る。デジタルに移行するとしても、新聞社の経営はむずかしくなる。新聞社はハッキリと社会的姿勢を明らかにする時代と思う。
朝日新聞は女性の登用に力を入れているが、社会の底辺から政治経済社会を見つめる人々を記者として採用したらどうかと思う。大学に進学しなかった人、ひきこもった人、障害を持つ人を記者に採用して、社会変革をリードする新聞社になるべきではないか。また、読者に紙面を任してもよいのではないか。
コスト削減に大卒社員を減らすこと、読者の記事を増やすことは、新聞社の生き残りのために必要ではないか。
現在の朝日新聞の教育面はクズである。受験競争を肯定し、それで、読者を増やそうとしているようにみえる。また、きょうの24面(神奈川版)のトップ見出しは「公立トップ校 合格躍進」である。違うだろう。受験勉強を否定してこそ、新聞の良心である。朝日新聞は狂っている。