雨模様の月曜日、町田市成瀬にある堂之坂公苑へセンダン(栴檀)の花を見に行く。こじんまりした園内、センダンは樹皮が漢方薬用となる落葉高木で、このあたりで見かけることは珍しい。花の季語は、初夏のころで、西日本を中心とした山地に自生しているとのことだから、こちらでは知っているひとはあまり多くないだろう。
何年か前、都内根津美術館をふらりと訪れたときのこと。もうカキツバタの花の見ごろが過ぎたころだった。すこし残念に思いながら庭園をめぐっていて、最も園内の低地にある細長い池の端に大きく張った枝枝の先、薄く煙ったような薄紫の花のような姿を見つけた。何だろうと近くによってみると、樹木に添えられた説明版の記載で、その名称が“センダン”あることを知った。
「これがセンダン?」ひとつひとつの花自体は小さく、それが集合して大きな花房になっていっせいに咲くために、遠目にはまるで霧が煙っているかのように見えるのだった。その咲き始めは薄紫で咲き終わって落下すると、紫色は消えてクリーム色になっている。カキツバタの代わりに紫つながりの花を知って、得をしたような気分になれた。美術館案内のパンフレットにも記載されていないのだから。
それからしばらくして訪れた自宅近くの堂之坂公苑の片隅でも、その特徴のある樹形を発見した。こちらのほうも根津美術館以上に立派な大木に成長していて、ここにもあったなあと感心して見上げたものだ。周囲には、咲き終わって落下したたくさんの小さな花弁が、まるで灰をまいたように一面に広がっていた。
その記憶から五月の連休明けの梅雨入り前次期になると、まるで秘密事のようにはるばる根津美術館庭園か、ここ堂之坂公苑へと、センダンの花に会うために訪れることが習慣になってきている。
そうしているうちにちょっと面白い偶然と発見があった。駅から自宅と向かう通路の途中、街路樹として西洋ハナミズキが植えられているなかに一か所だけ特徴ある若木が植わっている。きっと、誰かが枯れたハナミズキの代わりに植えたものだろうか、随分と元気で成長が早いなあと思っていたら、なんと大きく茂った葉陰のもと、この初夏に見覚えのある薄紫色の花をつけているではないか。
近寄って背伸びして花を近くで確かめてみると、なんとセンダンが咲かせたあの花であることがわかってひとり嬉しくなった。その玉状に集まった花房を顔に寄せてみると、ほのかに落ち着く香りがする。はじめて知ったその香りに、このままタイムトラベラーになって時空を超えていくような不思議な既視感さえ覚えた。これって「時をかける少年」ならぬ「時にたたずむ熟年」か?
ときは夕暮れ、何本かの花房をそっと家に持ち帰り、小さなガラス容器にさして居間のテーブル卓上に置いてしばらくしてからのこと。ひとつひとつはとても数ミリの小さくて薄紫の可憐な花なのに、室内に控えめで上品な芳香がひろがって、なんとも幸せな気分になれた。
白い花弁は五枚まれに六枚、おしべを含む筒状は薄紫。
追記)その後市内にある道保川公園内にも、センダンの大木があると知り、さっそく見物にでかけた。
園内を進んでしばらく、鬱蒼とした北側斜面の森の崖から幾過ぎかの湧水が集まってできた池のほとりのベランダの先、そのセンダンはこれから咲こうとするたくさんの紫色の蕾をつけていた。
薄曇りその空の下の池のほとり、橋のかかるそばにかすかに薄い紫がかった色合いの枝を延ばした中央の樹木がセンダン。ここではもう少しさきのひと月ほどすると、こんどはヘイケボタルの舞うほのかな光の筋を眺めることができる。コロナ禍の今年も見ることができるのだろうか。
(2022.0519 撮影 道保川公園)