日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

夏至の日過ぎて、雨が降る

2020年06月22日 | 音楽

 しだいに紫陽花の虹色鮮やかに、アヤメ紫も映える雨の季節だ。日中は長くなり、昨日は夏至に日食現象が重なった.。関東地方はあいにくの曇り空で、夕方近くの太陽は隠れてしまっていたけれど、西日本各地では部分日食を見ることができたという。
 西アフリカからアラビア半島、インドなどでは、金環日食が観測されたそうだ。金環日食のときには、文字通り消えた太陽の円周に“金冠(コロナ)”が見えるというから、この新型コロナウイルス禍中に置かれている人々は、どのような思いで消えゆく太陽の天空を見上げていたのだろうか。この天体現象が解明されていなかった中世は、金環日食は不吉な兆候として不安と恐れを引き起こしていたわけで、今回は偶然の一致とも言えないような気がしてくる。

 ことしの夏至前日の6月20日は、山下達郎のアルバム「BIG WAVE」(1984年リリース)が発売されて36周年にあたる、ということをその前の週のFMラジオ「サンデーソングブック」のかなで、パーソナリティーの山下達郎が語っていた。もう、そんなにたってしまっているんだ!
 個人的に36年前といえば、懐かしい中野サンプラザ大学講座時代のこと。当時の手帳をめくってみると、6月2日にいまはなき新宿コマ劇場地下にあった映画館「新宿プラザ」で、公開初日の「ビッグ・ウェイヴ」を見ている。おそらく当時ヒットした「ビック・ウェンズデー」の二番煎じ的な様々なサーフシーンをつなげたありきたりのドキュメンタリー映像だったが、サウンドトラックがとにかく素晴らしく、大画面の迫力以上にイマジネーションを膨らませてくれて、まったくのサーファー門外漢が満足した思いで、真昼の歌舞伎町にでた記憶がある。メインは完全に楽曲のほう、歌唱コーラスも最高であり、波の大画面映像は、まあ付け足しという感じであまりヒットせず、アルバムのほうだけが生き残って今に至っている。
 
 FMラジオを聴いた流れで、楽曲関連のネット検索をしていると、なんと1984年当時のNHKFM「サウンドストリート」の音源がアップされていて、若き日三十歳の山下達郎の声を聴くことができたので、びっくり! 
 その声の印象はいまと随分異なり、若気の至りというか突っ張っり気味で才気走っているような、なんとも生意気が鼻につく感じがした。もしかしたら、不愛想なのは照れ隠しもあるのかもしれないが、当時結婚したばかりの伴侶を「まりやがどうした、こうした」と呼び捨てなのは、いまと違っていて逆に新鮮な感じがした。その番組のなかで、この「BIG WAVE」ではじめて本格的に作詞家アラン・オディとのコラボレーションが始まったのだと話しているのを聴いて、あらためて棚からCDを引っ張り出してみた。

 DC「BIG WAVE」セコハン購入は、2009年6月13日だ。たぶん、店頭でたまたま手にしたら1984年当時の印象が鮮烈に蘇って、ふたたび聴いてみたくなったのだろうか。LP版のA面にあたる部分が二人によるオリジナル、B面にあたる部分がビーチボーイズ関連のカバー曲で構成されたコンセプトアルバムで、「サウンドストリート」の中で紹介するにあたって、ビーチボーイズオリジナルと自身のカヴァー曲を交互にかけて流していたのには驚かされた。よほど自信があったのだろう、実際のところ録音技術の向上があるにしても、カヴァーがオリジナル以上に輝やいて新鮮に聴こえてくるのには感動する。しかも一人多重コーラスによる完成度の高さに脱帽だ。

  「RIDE ON TIME」(1980)での大ブレイクから、正直それほど入れ込んでいたわけではなかったが「FOR YOU」(1982)、「Meiodies」(1983)、そしてこの「BIG WAVE」(1984)と続くアルバムの流れは学生時代と重なり、その当時の記憶の中に個人的な思い出も重なる。とくに最近「Melodies」を聴き返してみて、その楽曲、アレンジ、歌唱の素晴らしさにはっとさせられた。また発売と同時にLPで所有しているアルバムは、「POCKET MUSIC」(1986)と「僕の中の少年」(1988)の二枚で、当時すぐ感性にしっくりと来ていたのだろう。
 これらのアルバムが時間ときを経るにつれて味わいが深まってきて、その同時代人がいまだにバリバリの現役で活躍を続けていて、ファンとしてその姿を追いかけることができるのは本当に励まされるし、うれしいことだ。

 最後に雨の日にちなんで、ご本人も雨の日が好きでけっこう曲を作っています、と話していたうちから、その雨などにちなんだ好きな曲をあげる。アルバム「MOONGLOW」(1979)からの雨の日に散歩する心情を歌った佳作「RAINY WALK」と、「RIDE ON TIME」からは、雨の歌ではないけでど雨上がりのような爽やかな男女コーラスと冒頭のベースラインが印象的な「いつか(サムディ」としっとりとした雰囲気の「RANIY DAY」がいいと思う。

 三河湾の竹島側からの蒲郡クラシックホテル(設計:久野節、竣工1934年)。

 ホール内はアールデコ調の見事な吹き抜け、二階の朝食会場からのベランダ越しの正面に竹島の眺め。橋の長さは387m。

 
 梅雨入りの直前の六月上旬、三河地方の中心豊橋・蒲郡から豊田へと旅をしました。
 小田原から新幹線に乗り、一時間半ほどの豊橋で下車。さっそく友人と路面電車に乗って、市役所前で降り、威風堂々とした豊橋市公会堂(設計:中村輿資平、竣工1931年)と豊橋正ハリストス教会、豊橋市美術博物館と見て回り、ガラス張りのレストランでカレーランチをゆっくりといただきました。吉田城址からは、豊川のうねりと対岸の葦原がなびくさまを眺め、川沿いに歩いて旧東海道を突っ切り駅方面へと戻る途中、昭和の雰囲気を残す老舗ウナギ店舗にて夕食用の上弁当を調達したあとに、一路東海道線に乗って三河湾を左手にみて蒲郡へと進んだのです。
 あこがれのクラシックホテルは、駅からタクシーで五分程度の小高い丘の上に凛として城郭のごとくたたずんでおりました。正面玄関へのアプローチの高揚感、ロケーションの素晴らしさ!かつての海浜リゾートの面影と戦争をはさんで幾多の歴史の堆積を漂わせながら、水平に伸びる端正な姿をようやく真近にすることができたのです。
 夕暮れ時の三河湾、竹島へと掛かる橋の欄干両側にともる灯かりがなんとも情緒的で夢心地、ぼうっとして見惚れてしまいました。忘れられない眺め、過ごした空間と記憶。旅の時間は、まだ続きます。


 翌朝の竹島八百富神社側からみたクラシックホテルの建つ丘。干潮になると干潟には、たぶんイソシギ(磯鴫)の白い姿。
この日、ゆったりとした優雅な朝食をとった後はいよいよ、という感じで島を一巡りし、戻って海辺の文学記念館を訪ねると、名残り惜しい思いの宿をでて、東海道線を岡崎乗り換え、愛知環状線で最終目的地豊田市美術館へ。