きょう、六月十日は時の記念日、台風五号の影響で雨の一日だった。あちこちで紫陽花が鮮やかだ。
いまからもう六年前にさかのぼる、2012年6月4日、ビーチ・ボーイズ最新アルバムが久々のブライアン・ウィルソン・プロデュースにより、世界同時発売された。そのアルバムタイトルは「Thats why god made the radio」で、過ぎ去りし青春のよき時代をしのぶような、甘酸っぱい郷愁にみちた内容なのだろうかと想像した。 果してそのアルバムは全12曲からなっていて、はじまりは「Think about the days あの頃に」で、ラスト曲は「Summers gone ~ 過ぎゆく夏」。おおまかには期待通りの安心?路線だけれども、七十歳なかばを超えたビーチボーイズの面々が、これまで以上にはつらつと若々しいコーラスと明るく突き抜けたサウンドを聴かせているのはさすがというほかないだろう。
その二日後の6月6日付新聞朝刊社会面をひらくと、「村上春樹さん 初のラジオ 8月5日 文学や音楽語る」という、写真入りの囲み記事が目に飛びこんできた。これは、社内村上フリーク記者の仕業にちがいないと直感したのだが、たしかにスマッシュトピックスには違いない。
ムラカミ氏にはすでに「村上ラヂオ」というエッセイ本があって、ラジオと音楽の相性というか親和性はそれこそ抜群だろうし、くわえてDJをムラカミハルキが務めるとしたら、これまたこれほどハマる番組はないだろう。ご本人のラジオ出演が初めてというのも意外だけれど話題を呼ぶことは間違いない。番組タイトルは「村上RADIO~RUN&SONGS」とあり、あえて文学を標榜しないで“走り”をもってきたことは、国民的人気作家の矜持?なんだろうか。
さらにムラカミ氏がよせたという番組メッセージをよむと「僕の好きな音楽ソースをうちから持ってきて、それを好きなようにかけて、そのあいだに好きなことを放させていただく・・・、そんな感じのパーソナルな番組にできればと思っています」とある。この肩の力の抜けた当たり前すぎるオーソドックスな姿勢が、ラジオというオールドメディア向きでいいなあと思ったのだ。
ラジオで流す音楽には、やっぱりレコードが似合うけれども、いまの時代はメディアが多様化しているから、音楽ソースという言葉が正確なのだろう。それにしてもこのメッセージのしめすところは、やっぱり、若いころにジャズ喫茶を国分寺や千駄ヶ谷で営んでいた一個人が、いまや小説家として大成功したことからくる余裕というか、視聴者との絶好の距離間の保ち方なんだろうと思う。
それでもって、きょうはようやく初めてインターネットラジオで「山下達郎のサンデーソングブック」を通しで聴くことができたのだった。今回のテーマは「JAZZ」、ジョージ・ベンソンの有名になる前のインストミュージックから始まって、鼻にかかったタッツアン節に耳を傾ける。
先の村上番組のメッセージって、まさしくこの25年もつづく長寿番組にもつながるのではないだろうか。SSBの名物コーナー「棚からひとつかみ」は、ムラカミ氏の「僕の好きな音楽ソースをうちから持ってきて」というフレーズと共鳴しているし、ふたりがビーチボーイズ・フリークというのも共通している。1949年京都生まれ神戸育ちの村上春樹氏と1953年東京生まれ育ちの山下達郎氏、微妙に異なる時代の空気が音楽体験にどのような影響をあたえているのだろうか。
とにかく村上RADIOの選曲もオールディース中心の選曲になるだろうが、どのような固有名詞が選ばれるのか、いまから夏に向かってあれこれと想像することが、今年の夏に向けてのよき日々の過ごし方になる。放送局HPでムラカミ氏への音楽に関わる質問を受けつけていたので、ダメモトでふたつ送信してみたら、羊と猫とレコードとペンとご本人の似顔絵らしきイラスト入りの受信通知メールが還ってきた。
くしくも八月五日は、その山下・村上両番組が午後二時と七時に相次いでのオンエア競演となる。おそらくは、またとない至福のRADIO日和、とても楽しみにして待とう。
いまからもう六年前にさかのぼる、2012年6月4日、ビーチ・ボーイズ最新アルバムが久々のブライアン・ウィルソン・プロデュースにより、世界同時発売された。そのアルバムタイトルは「Thats why god made the radio」で、過ぎ去りし青春のよき時代をしのぶような、甘酸っぱい郷愁にみちた内容なのだろうかと想像した。 果してそのアルバムは全12曲からなっていて、はじまりは「Think about the days あの頃に」で、ラスト曲は「Summers gone ~ 過ぎゆく夏」。おおまかには期待通りの安心?路線だけれども、七十歳なかばを超えたビーチボーイズの面々が、これまで以上にはつらつと若々しいコーラスと明るく突き抜けたサウンドを聴かせているのはさすがというほかないだろう。
その二日後の6月6日付新聞朝刊社会面をひらくと、「村上春樹さん 初のラジオ 8月5日 文学や音楽語る」という、写真入りの囲み記事が目に飛びこんできた。これは、社内村上フリーク記者の仕業にちがいないと直感したのだが、たしかにスマッシュトピックスには違いない。
ムラカミ氏にはすでに「村上ラヂオ」というエッセイ本があって、ラジオと音楽の相性というか親和性はそれこそ抜群だろうし、くわえてDJをムラカミハルキが務めるとしたら、これまたこれほどハマる番組はないだろう。ご本人のラジオ出演が初めてというのも意外だけれど話題を呼ぶことは間違いない。番組タイトルは「村上RADIO~RUN&SONGS」とあり、あえて文学を標榜しないで“走り”をもってきたことは、国民的人気作家の矜持?なんだろうか。
さらにムラカミ氏がよせたという番組メッセージをよむと「僕の好きな音楽ソースをうちから持ってきて、それを好きなようにかけて、そのあいだに好きなことを放させていただく・・・、そんな感じのパーソナルな番組にできればと思っています」とある。この肩の力の抜けた当たり前すぎるオーソドックスな姿勢が、ラジオというオールドメディア向きでいいなあと思ったのだ。
ラジオで流す音楽には、やっぱりレコードが似合うけれども、いまの時代はメディアが多様化しているから、音楽ソースという言葉が正確なのだろう。それにしてもこのメッセージのしめすところは、やっぱり、若いころにジャズ喫茶を国分寺や千駄ヶ谷で営んでいた一個人が、いまや小説家として大成功したことからくる余裕というか、視聴者との絶好の距離間の保ち方なんだろうと思う。
それでもって、きょうはようやく初めてインターネットラジオで「山下達郎のサンデーソングブック」を通しで聴くことができたのだった。今回のテーマは「JAZZ」、ジョージ・ベンソンの有名になる前のインストミュージックから始まって、鼻にかかったタッツアン節に耳を傾ける。
先の村上番組のメッセージって、まさしくこの25年もつづく長寿番組にもつながるのではないだろうか。SSBの名物コーナー「棚からひとつかみ」は、ムラカミ氏の「僕の好きな音楽ソースをうちから持ってきて」というフレーズと共鳴しているし、ふたりがビーチボーイズ・フリークというのも共通している。1949年京都生まれ神戸育ちの村上春樹氏と1953年東京生まれ育ちの山下達郎氏、微妙に異なる時代の空気が音楽体験にどのような影響をあたえているのだろうか。
とにかく村上RADIOの選曲もオールディース中心の選曲になるだろうが、どのような固有名詞が選ばれるのか、いまから夏に向かってあれこれと想像することが、今年の夏に向けてのよき日々の過ごし方になる。放送局HPでムラカミ氏への音楽に関わる質問を受けつけていたので、ダメモトでふたつ送信してみたら、羊と猫とレコードとペンとご本人の似顔絵らしきイラスト入りの受信通知メールが還ってきた。
くしくも八月五日は、その山下・村上両番組が午後二時と七時に相次いでのオンエア競演となる。おそらくは、またとない至福のRADIO日和、とても楽しみにして待とう。