日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

信州日帰り松本、安曇野行

2015年08月30日 | 旅行
 鶴川にある町田市の文化施設、和光大学ポプリホールのオープニングで以前知り合った方々にお声掛けいただいて、晩夏の日帰り旅行へ。目的地は信州松本郊外の浅間温泉にある和光学園松本研修センター。ここを拠点にして、秋に小旅行が計画されていてその下見というわけ。早朝八時に鶴川に集合、シニア男女六名が二台の車に分乗して多摩丘陵越え、国立府中インターから中央高速道を一路西へ。

 八王子、相模湖をすぎて山梨県に入った談合坂サービスエリアで最初の休憩、空はどんより曇りでこの先の山間は雨になりそうな感じだ。大月から甲府盆地のあたりにくるとぐっと視界が開けてくるとともに先方の空が明るくなってくるが、八ヶ岳や南アルプスは雲に覆われてすっきりと見ることができない。それでも諏訪湖に近づいてくるにつれて、青空がひろがりだして陽射しがまぶしくなってきた。
 11時前に諏訪湖サービスエリアに着くと、目前の湖のはるか向こうの雄大な蓼科の山並みの上に、真夏を思わせるような白雲がモコモコと湧き出すかのようだ。思わず心の中でラッキーと叫び、ここでインターを降りて諏訪湖を一周したい気分にかられるが、目的地はもうすこし先なのでじっとガマン。


 諏訪湖サービスエリアより蓼科方面の山々と白雲の連なりを望む。諏訪湖手前には藻が発生。

 やがて、車は塩尻から松本へ。インターを降りて国道158号線を上高地方面へ約10分、明治二年創業の亀田屋酒造へ。大谷石の塀に囲まれた敷地の中に瓦屋根の重厚な木造家屋が立ち並び、老舗造り酒屋のおもむき。門の脇には男女の道祖神、その前の通りは、かつて人馬が行き交わった千国(ちくに)街道で、母屋は明治18年にヒノキなど木曽の木材を使って三年越しで建てられたのだそうだ。
 玄関に入ると土間があり、囲炉裏のうえを見上げると天窓までの吹き抜けの造りで、煙で煤けた太く曲がった梁組が明治の気骨をあらわして力強く迫力がある。立派な神棚を拝んで入った帳場先の座敷には、この屋敷の歴史を物語る箱階段など家具調度、写真、陶器、工芸品、墨跡などの数々。母屋をでて酒遊館と名づけられた販売所で試飲をさせていただく。「アルプス正宗」というのがここの銘柄で当時の当主が山好きだったのかと思わせて、ハイカラな感じがした。

 来た道を戻り、地元のお蕎麦屋さんんで昼食後、JR大糸線と篠ノ井線が並行するガード下をくぐって、松本市街の縁を北上する。途中、松本城の黒い城郭がちらりと見えた。松本深志高校をすぎて右折すると、ゆるやかな勾配となって、女鳥羽(めとば)川を渡り、しばらくすると浅間高原温泉街に入る。どことなく上品な雰囲気の漂うすずらん通りから、やや急な狭い湯坂を上った途中の露地に研修センター、鉄筋コンクリート二階建てのなかなか綺麗な建物、管理人のおばさんがにこやかに迎えて下さる。ざっと館内を見学させていただたあとに周辺情報を教えていただく。さすがに地元のおばさん、気さくなうえに周辺情報に的確でくわしい。せっかくなので男性陣は入浴体験。清潔な湯船はさほど大きくないが、無色透明で匂いもないサラサラのさわやかな湯、温まって寛ぐとなんだか畳の上に寝転がりたくなってきたが、そこは下見なので辛抱。

 研修センターを出て、次の目的地美ヶ原温泉の近くの松本民芸館へ。周辺を田んぼに囲まれた落ち着いたたたずまい、長屋門の入口の先に雑木が茂ったいい感じの庭園があって、その奥のなまこ白壁二階建て蔵造りの小宇宙。柳宗悦の民芸運動に共鳴した工芸店主丸山太郎が昭和37年に創館したとある。その後、コレクションと土地建物が寄贈されて、現在は松本市立博物館分館だ。中に入ってみたかったが、これも次回の楽しみに。

 ふたたび浅間温泉に戻って、管理人さんお勧めの“つけもの喫茶”でひと休み。ココナッツの白玉ぜんざいというのをいただいてみたが、なかなかコクがあってアンコといける。もうひとつ、冷やしたニ八蕎麦をオリーブオイルであえて、わさび塩を振っていただくというのも、和風イタリアンみたいでさっぱり美味しかった。初秋の高原の温泉町で、和洋食味の融合を体験するのもオツなものか。
 外にでて見ると通りにはブルーのフラッグがはためいて、そこには「SEIJI OZAWA 松本フェスティバル」の金文字が。ちょうどこの時期、小澤征爾を中心とした国際音楽祭が始まっていたのだった、だたし本人の骨折か、五万円のオペラチケットの払い戻しもあり、こちらの和洋融合?はちょっとした騒動なのだとか。

 一路、三十数年ぶりの安曇野へ。穂高駅近くの碌山美術館周辺はすっかり開けて、明るく観光地と化していた。教会風の美術館にも最初は気が付かなかったくらい、この陰りのなさもよいのだろうが、当時のように一人旅でもの想う雰囲気ではなさそうだ。
 午後四時になろうとする頃、小雨が降りだしてきた。最後の訪問地は、せっかくだからというので大王わさび農園へ。今回がはじめての訪問だが、期待以上のところ、穂高川清流に三連水車小屋と広大なワサビ田が拡がる。真夏の日差しの中なら、遠く雄大な北アルプスを望んで、素晴らしく気持ちが解放されそうだ。
 あらためてゆっくりと訪れてみたい、そう思った。

(2015.8.29書初、8.30初校)

夏の名残りの江の島花火

2015年08月19日 | 日記
 夏の終わり、江ノ島まで花火見物にでかけた。

 仕事からの帰り道に小田急大和駅ホームで家族と待ち合わせ、しばらくして反対側のホームにすべりこんできた藤沢行きの快速急行に乗り込む。午後六時すぎの西の空には、まだ夕暮れ前の明るさが残っていて、丹沢のむこうにに沈もうとする太陽が最後の輝きを放っていた。下り電車の途中、湘南台から六会日大前を過ぎるあたりで、たなびく筋雲の空と富士山のシルエットがくっきりと浮かぶ。刻々と夕闇が増してきて暗くなる中、西方の澄んだ空が一日の名残の明るさを残しつつ、山並みの向こうにグラデーションを織りなすのを眺めていた。やがて電車が藤沢に到着する手前、JR東海道線と交差する鉄橋の上を通るあたりで、線路の建物の間のちょうど先を注視していると、ふたたび見事な末広がりのシルエットが闇の深さのなかに浮かんでいた。車内はしだいに花火見物の浴衣姿の若者の姿が増えてきた。

 片瀬江ノ島駅に到着して、どっと臨時改札へと流れる人ごみの中に混じり弁天橋を渡らずに、水族館のある西浜海岸の方向へと向かう。国道134号線を渡ると湘南海岸公園の東のはずれで、ちょっとした松林の先に芝生広場があって、そこでしばし浜風に涼みながら、ゆっくりと打ち上げ時間を待つことにした。正面海上の南の低い空には、眉のような若い月齢の上弦の三日月、左手方向に江の島のお椀を伏せたような姿と頂上燈台の青く光るLEDイルミネーション、島へと続く弁天橋の車のヘッドライトと赤いテールランプが渋滞なのかゆっくりと移動している。まだ西寄りの空にはしぶとく陽光が残っていて、雲の長い横筋をはっきりと見ることができる。

 やがて、暗さが増してきたころあいも程よい午後七時、最初の打ち上げ花火が始まった。見上げる位置のすぐ正面、江の島との間の海上が打ち上げ船場所らしい。ときおりのどよめきと歓声、子どもたちの無邪気な話し声の中、花火は次々と続いた。華やかに天空にひらいて輝き、あっという間に残像を遺して闇へと還ってしまう。ひとは、その儚さに意識しないとしても、生と死の両面を見るのだろう。始まって半時間ほどの最後は、暗闇の江ノ島全体に覆いかぶさるかのような大輪の華が開いて、いく筋もの光の流れががキラキラと落ちて海面につく前に消えていく。

 夏の終わりの花火は、どうしても内省的な気分になってしまう、ちょうど夕暮れに聴くヒグラシ蝉たちの郷愁を帯びた、もの物哀しい鳴き声のように。 ああ、実りの秋よ、早く来い!




蔡國強 「蓬莱山」との対面

2015年08月07日 | 美術
 七月末以来、観測史上最長の八日間連続真夏日が続いている。この暑さは、はたして明日八日の立秋まで続くのだろうか?
 二日まで故郷新潟に帰省していた。正確に言うと帰省した後に、開催したばかりの「越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭」の展開される里山めぐりの旅をして戻ってきたところ。津南町にある里山から信濃川の河岸段丘を挟んで、遠くの丘陵に青空、夏の風景を望む。

 
 ダダン・クリスタント「カクラ・クルクル・アット・ツマリ」のやさしい音色が聴こえる、棚田と段丘、妻有の山並み、そして首都圏への送電線が続く遠景の中で。

 巡った作品の中には、今回の目玉である中国人アーティスト蔡國強の「蓬莱山」と題されたインスタレーションがあり、十日町市の中心街にある現代美術館キナーレにおいてようやく対面することができた。建物の四角い回廊には人工池があり、そこの真ん中に常緑の植栽で表面を繕われたハリボテ山が姿を現していて、山中の数カ所から水蒸気が噴き出していた。その高さは、ざっと建物二階分をこえるくらいか。よく見ると中腹から水の流れもあって、頂上からの噴煙こそないものの、東京ディズニーシーの中央に鎮座するアトラクションが引っ越してきたか、さしずめ日本国内なら世界遺産屋久島を模したかのようにも思える。島の周囲の回廊には、約千体あまりの稲わら細工の船や飛行機、鳥や魚などがつりさげられていて、これは地元のひとたちとの協働として生み出されたものなのだそうだ。
 「蓬莱山」とは、古代中国で東方の海上にあり不老不死の仙人たちが住むという伝説上の地である。その伝説が越後の地方都市の真ん中に出現したわけで、それも現代建築のコンクリートとガラスで囲まれた建築内の海上ならぬ人工池の中央とはなんともおもしろい。亜細亜人でありながらニューヨーク在住、世界をめぐるコスモポリタンたる作者一流のユーモアというべきか、現代社会への痛烈なアイロニーなのか、たぶんその両方を含んでいるのだろう。

 美術館のエントランスには「島」と題された、火薬の発火によって描かれた横長で巨大な水墨画のような迫力あるドローイング。実際の噴火=自然と火薬=人工の爆発作用が重なって見える。
 そこから二階の回廊にあがって、正面反対側に回ってみてびっくり。レストランの窓際テーブルから眺めると、なんと完全円錐形に見えたハリボテ形状は半分にしかすぎず、裏側が包丁で垂直に切られたようになっていて、内側の足場構造=イントレが丸見え状態、まるで作業が中断されたみたいなのだ。これって、資金不足で未完成品?と疑いたくなるくらいでショッキング、唖然とさせられた。あるいは、作者の意図なのだとしたら、現代社会への痛烈なアイロニーがいっそう利いている、と解釈されようか。不老不死の理想郷なんて、もはやこの地上のどこにも存在しない、というメッセージなのかもしれない。

 この対面に先だって、横浜美術館で開催中の蔡國強「帰去来 There and Back Again」展を見てきた。下記の画像は、開催に先立って美術館グランドギャラリー内で公開制作された四枚の海作品「人生四季」のうちの“夏”である。火薬によるドローイング作品だが、初めて赤・青・黄などの色彩を伴って、四季の花があしらわれた風景の中に男女とおもわれるふたりのさまざなな睦み逢いを描いたもので、まさしく人生を移う営みの熱い息づかいが伝わってくるようで、うん、分かりやすくて素直に愛おしい気持ちになる。
 描かれた夏の花は、蓮=ハスと山百合だったろうか。局部周辺の赤いのは、ネムの花としておこうか。夕方に葉が閉じるネム=合歓の木は、花だけは夜もやさしく妖しく咲き続けて文字通り、この夏の季節の春画に相応しい題材だから。ちなみに、春は椿と牡丹、秋は菊とススキ、冬は梅と訳ありげな水仙の香しきニオイが、恥じらいで秘めた想いをあらわしている、である。 もう一度確かめに行かなくては、ね。


 横浜美術館にて、完成したばかりの作品の右側に立つ人物が蔡氏 (2015.6.24 撮影)