鶴川にある町田市の文化施設、和光大学ポプリホールのオープニングで以前知り合った方々にお声掛けいただいて、晩夏の日帰り旅行へ。目的地は信州松本郊外の浅間温泉にある和光学園松本研修センター。ここを拠点にして、秋に小旅行が計画されていてその下見というわけ。早朝八時に鶴川に集合、シニア男女六名が二台の車に分乗して多摩丘陵越え、国立府中インターから中央高速道を一路西へ。
八王子、相模湖をすぎて山梨県に入った談合坂サービスエリアで最初の休憩、空はどんより曇りでこの先の山間は雨になりそうな感じだ。大月から甲府盆地のあたりにくるとぐっと視界が開けてくるとともに先方の空が明るくなってくるが、八ヶ岳や南アルプスは雲に覆われてすっきりと見ることができない。それでも諏訪湖に近づいてくるにつれて、青空がひろがりだして陽射しがまぶしくなってきた。
11時前に諏訪湖サービスエリアに着くと、目前の湖のはるか向こうの雄大な蓼科の山並みの上に、真夏を思わせるような白雲がモコモコと湧き出すかのようだ。思わず心の中でラッキーと叫び、ここでインターを降りて諏訪湖を一周したい気分にかられるが、目的地はもうすこし先なのでじっとガマン。
諏訪湖サービスエリアより蓼科方面の山々と白雲の連なりを望む。諏訪湖手前には藻が発生。
やがて、車は塩尻から松本へ。インターを降りて国道158号線を上高地方面へ約10分、明治二年創業の亀田屋酒造へ。大谷石の塀に囲まれた敷地の中に瓦屋根の重厚な木造家屋が立ち並び、老舗造り酒屋のおもむき。門の脇には男女の道祖神、その前の通りは、かつて人馬が行き交わった千国(ちくに)街道で、母屋は明治18年にヒノキなど木曽の木材を使って三年越しで建てられたのだそうだ。
玄関に入ると土間があり、囲炉裏のうえを見上げると天窓までの吹き抜けの造りで、煙で煤けた太く曲がった梁組が明治の気骨をあらわして力強く迫力がある。立派な神棚を拝んで入った帳場先の座敷には、この屋敷の歴史を物語る箱階段など家具調度、写真、陶器、工芸品、墨跡などの数々。母屋をでて酒遊館と名づけられた販売所で試飲をさせていただく。「アルプス正宗」というのがここの銘柄で当時の当主が山好きだったのかと思わせて、ハイカラな感じがした。
来た道を戻り、地元のお蕎麦屋さんんで昼食後、JR大糸線と篠ノ井線が並行するガード下をくぐって、松本市街の縁を北上する。途中、松本城の黒い城郭がちらりと見えた。松本深志高校をすぎて右折すると、ゆるやかな勾配となって、女鳥羽(めとば)川を渡り、しばらくすると浅間高原温泉街に入る。どことなく上品な雰囲気の漂うすずらん通りから、やや急な狭い湯坂を上った途中の露地に研修センター、鉄筋コンクリート二階建てのなかなか綺麗な建物、管理人のおばさんがにこやかに迎えて下さる。ざっと館内を見学させていただたあとに周辺情報を教えていただく。さすがに地元のおばさん、気さくなうえに周辺情報に的確でくわしい。せっかくなので男性陣は入浴体験。清潔な湯船はさほど大きくないが、無色透明で匂いもないサラサラのさわやかな湯、温まって寛ぐとなんだか畳の上に寝転がりたくなってきたが、そこは下見なので辛抱。
研修センターを出て、次の目的地美ヶ原温泉の近くの松本民芸館へ。周辺を田んぼに囲まれた落ち着いたたたずまい、長屋門の入口の先に雑木が茂ったいい感じの庭園があって、その奥のなまこ白壁二階建て蔵造りの小宇宙。柳宗悦の民芸運動に共鳴した工芸店主丸山太郎が昭和37年に創館したとある。その後、コレクションと土地建物が寄贈されて、現在は松本市立博物館分館だ。中に入ってみたかったが、これも次回の楽しみに。
ふたたび浅間温泉に戻って、管理人さんお勧めの“つけもの喫茶”でひと休み。ココナッツの白玉ぜんざいというのをいただいてみたが、なかなかコクがあってアンコといける。もうひとつ、冷やしたニ八蕎麦をオリーブオイルであえて、わさび塩を振っていただくというのも、和風イタリアンみたいでさっぱり美味しかった。初秋の高原の温泉町で、和洋食味の融合を体験するのもオツなものか。
外にでて見ると通りにはブルーのフラッグがはためいて、そこには「SEIJI OZAWA 松本フェスティバル」の金文字が。ちょうどこの時期、小澤征爾を中心とした国際音楽祭が始まっていたのだった、だたし本人の骨折か、五万円のオペラチケットの払い戻しもあり、こちらの和洋融合?はちょっとした騒動なのだとか。
一路、三十数年ぶりの安曇野へ。穂高駅近くの碌山美術館周辺はすっかり開けて、明るく観光地と化していた。教会風の美術館にも最初は気が付かなかったくらい、この陰りのなさもよいのだろうが、当時のように一人旅でもの想う雰囲気ではなさそうだ。
午後四時になろうとする頃、小雨が降りだしてきた。最後の訪問地は、せっかくだからというので大王わさび農園へ。今回がはじめての訪問だが、期待以上のところ、穂高川清流に三連水車小屋と広大なワサビ田が拡がる。真夏の日差しの中なら、遠く雄大な北アルプスを望んで、素晴らしく気持ちが解放されそうだ。
あらためてゆっくりと訪れてみたい、そう思った。
(2015.8.29書初、8.30初校)
八王子、相模湖をすぎて山梨県に入った談合坂サービスエリアで最初の休憩、空はどんより曇りでこの先の山間は雨になりそうな感じだ。大月から甲府盆地のあたりにくるとぐっと視界が開けてくるとともに先方の空が明るくなってくるが、八ヶ岳や南アルプスは雲に覆われてすっきりと見ることができない。それでも諏訪湖に近づいてくるにつれて、青空がひろがりだして陽射しがまぶしくなってきた。
11時前に諏訪湖サービスエリアに着くと、目前の湖のはるか向こうの雄大な蓼科の山並みの上に、真夏を思わせるような白雲がモコモコと湧き出すかのようだ。思わず心の中でラッキーと叫び、ここでインターを降りて諏訪湖を一周したい気分にかられるが、目的地はもうすこし先なのでじっとガマン。
諏訪湖サービスエリアより蓼科方面の山々と白雲の連なりを望む。諏訪湖手前には藻が発生。
やがて、車は塩尻から松本へ。インターを降りて国道158号線を上高地方面へ約10分、明治二年創業の亀田屋酒造へ。大谷石の塀に囲まれた敷地の中に瓦屋根の重厚な木造家屋が立ち並び、老舗造り酒屋のおもむき。門の脇には男女の道祖神、その前の通りは、かつて人馬が行き交わった千国(ちくに)街道で、母屋は明治18年にヒノキなど木曽の木材を使って三年越しで建てられたのだそうだ。
玄関に入ると土間があり、囲炉裏のうえを見上げると天窓までの吹き抜けの造りで、煙で煤けた太く曲がった梁組が明治の気骨をあらわして力強く迫力がある。立派な神棚を拝んで入った帳場先の座敷には、この屋敷の歴史を物語る箱階段など家具調度、写真、陶器、工芸品、墨跡などの数々。母屋をでて酒遊館と名づけられた販売所で試飲をさせていただく。「アルプス正宗」というのがここの銘柄で当時の当主が山好きだったのかと思わせて、ハイカラな感じがした。
来た道を戻り、地元のお蕎麦屋さんんで昼食後、JR大糸線と篠ノ井線が並行するガード下をくぐって、松本市街の縁を北上する。途中、松本城の黒い城郭がちらりと見えた。松本深志高校をすぎて右折すると、ゆるやかな勾配となって、女鳥羽(めとば)川を渡り、しばらくすると浅間高原温泉街に入る。どことなく上品な雰囲気の漂うすずらん通りから、やや急な狭い湯坂を上った途中の露地に研修センター、鉄筋コンクリート二階建てのなかなか綺麗な建物、管理人のおばさんがにこやかに迎えて下さる。ざっと館内を見学させていただたあとに周辺情報を教えていただく。さすがに地元のおばさん、気さくなうえに周辺情報に的確でくわしい。せっかくなので男性陣は入浴体験。清潔な湯船はさほど大きくないが、無色透明で匂いもないサラサラのさわやかな湯、温まって寛ぐとなんだか畳の上に寝転がりたくなってきたが、そこは下見なので辛抱。
研修センターを出て、次の目的地美ヶ原温泉の近くの松本民芸館へ。周辺を田んぼに囲まれた落ち着いたたたずまい、長屋門の入口の先に雑木が茂ったいい感じの庭園があって、その奥のなまこ白壁二階建て蔵造りの小宇宙。柳宗悦の民芸運動に共鳴した工芸店主丸山太郎が昭和37年に創館したとある。その後、コレクションと土地建物が寄贈されて、現在は松本市立博物館分館だ。中に入ってみたかったが、これも次回の楽しみに。
ふたたび浅間温泉に戻って、管理人さんお勧めの“つけもの喫茶”でひと休み。ココナッツの白玉ぜんざいというのをいただいてみたが、なかなかコクがあってアンコといける。もうひとつ、冷やしたニ八蕎麦をオリーブオイルであえて、わさび塩を振っていただくというのも、和風イタリアンみたいでさっぱり美味しかった。初秋の高原の温泉町で、和洋食味の融合を体験するのもオツなものか。
外にでて見ると通りにはブルーのフラッグがはためいて、そこには「SEIJI OZAWA 松本フェスティバル」の金文字が。ちょうどこの時期、小澤征爾を中心とした国際音楽祭が始まっていたのだった、だたし本人の骨折か、五万円のオペラチケットの払い戻しもあり、こちらの和洋融合?はちょっとした騒動なのだとか。
一路、三十数年ぶりの安曇野へ。穂高駅近くの碌山美術館周辺はすっかり開けて、明るく観光地と化していた。教会風の美術館にも最初は気が付かなかったくらい、この陰りのなさもよいのだろうが、当時のように一人旅でもの想う雰囲気ではなさそうだ。
午後四時になろうとする頃、小雨が降りだしてきた。最後の訪問地は、せっかくだからというので大王わさび農園へ。今回がはじめての訪問だが、期待以上のところ、穂高川清流に三連水車小屋と広大なワサビ田が拡がる。真夏の日差しの中なら、遠く雄大な北アルプスを望んで、素晴らしく気持ちが解放されそうだ。
あらためてゆっくりと訪れてみたい、そう思った。
(2015.8.29書初、8.30初校)