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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

十月雨と金木犀 立ち止まって考える

2020年10月09日 | 日記

 十月に入ってしばらくは穏やかな晴れ間が続き、散歩の途中、中学校のわきの小さな庭園を通りかかったら、そこはかとなく甘い香りが漂ってくるのに気がついた。そこには見上げるくらいの大きなキンモクセイの木が植えられていて、目線からうえくらいの先の枝枝にオレンジがかった黄金色の小さなが花がびっしりとついている。そこからの芳しい香り成分が、鼻腔の奥の嗅覚細胞を刺激して発生した微細な信号が神経を経由し脳へと届くと、海馬は過去の記憶と照合したうえで、視覚情報とも相照らし合わせることで、まちがいなくキンモクセイの香りと認識させてくれるのだ。

 一度キンモクセイの香りに気がつくと、地から特定の像が立ち上がってきたかのように、あちこちでキンモクセイの香りが漂っていることに氣がつくようになる。ことしは、酷暑のせいでいつもより彼岸花の咲く時期が一週間ほど遅れて、ようやくあちこちで見かけ出したなと思っていたら、初夏から秋にかけて長く目を楽しませてくれた百日紅の花もすでに盛りをすぎて、後につづくのはキンモクセイの季節なのかと思う。

 散歩をしながら、ふと考えること。地球全体の温暖化が進む気候変動のせいなのか、春秋の移り変わりのサイクルが少しづつ短くなってしまっているように感じられる。変わり目の季節の余韻がなくなってきているとでもいうのか暖冬の分、夏の暑さが上昇して大気の変化が大きくなり、極端な豪雨や台風などの気候による災害が増えてきているのは、その辺りに原因があるように思われる。 
 今回はそれに加えての新型コロナウイルス騒動の渦中である。あれこれ悩まされるよりも、ここはひとつ「立ち止まって考える時間」が生まれた、と前向きにいきた。「新しい生活様式」などと喧騒されるが、そう大きく生活スタイルを変えることが求められるというよりも、せわしなく過ごしてきた暮らしや仕事を振り返ってみて、これまで見過ごしてしてきたことや気がつかずにいたことを別の視点から考えてみる、じっくり味わって深めてみることが肝要なのだろう。

 かつて読み過ごしたまま積み上げていた本を手に取ってページをめくり、棚の奥にしまい込まれた音楽媒体を聴きなおす。ご無沙汰していた交友関係を見直し、チャレンジしかけて挫折していた興味あることに取り組みはじめたり、など。いまのこころの状態に耳を澄ませながら、できる範囲の身体のメンテナンスを試みる。このさきの残された人生時間を意識して過ごすことが、これからの生き方の発動機になるだろう。
 
 キンモクセイの花は、その後の秋雨の嵐で道端に叩き落されてしまったため、せっかくの香りを愉しむ期間はさほど長くはあたえられなかった。それに追い打ちをかけるように、今週末の台風がらみの雨続き、気がつけば路面の木の植わった横の端一面が、見事なオレンジ色に染まっている。
 この台風がすぎていったら、故郷に帰省して空き家となってしまって三年がたつ実家の冬支度をしてこようと思う。週明けは、また秋晴れが戻ってきてくれるだろう。

 箱根芦ノ湖畔から望む雨上がりの富士(撮影:龍宮殿別館 2020/09/22)