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さよなら、東芝林間病院

2023年04月30日 | 日記

 きょうの駅からの帰り道、東芝林間病院のある通称さくら通りを通ってゆくと、見慣れた正門からの情景が変えられている様子が目に入ってきた。診療科目が掲出された病院案内版が撤去されていて、正門の塀の名称表示部分にブルーシートが張られ、建物正面入口の軒先に掲げらていた病院名文字のあたりがシートに覆われたままで、翌日に備えられている。

 徒歩圏にある最寄りのかかりつけ病院として利用させてもらってきた。本日をもってその名称のもとで東芝健康保険組合直営の運営体制を終えて、新しい医療法人に引き継がれるための準備であることはわかっている。それでも見慣れた名称が変わってしまうことに淋しさを抱くとともに、医療法人コンサルタント会社主体での新しい運営体制の移行については、正直一抹の不安を拭えない。
 ここに至る変遷は、数年来経済ニュースをにぎわせている株式会社東芝本体の経営不安からくるものの余波が、運営当事者である健保組合の財政状況にもボディーブローのように押し寄せたものと推測されるが、たしかに数年前から予兆の波やうわさは何度もあった。その象徴的なことは、もう十年以上も前になるが、国民的アニメ番組“サザエさん”のスポンサーから東芝が撤退してしまったこと。テレビ番組のサザエさんと言えば東芝のイメージが定着していたのに、ちょっとしたショックだった。

 個人的に東芝林間病院としての最後の受診は、ほんの三日目のこと。遡る二月はじめの受診の際にまだ若い主治医が、今後の診療体制が見えないところもあるからと、五月からの移行を前にして予約を前倒ししてくれたものだ。結局その医師はそのまま退職することなく、詳しい事情は伺うすべもなかったけれど少なくとも当面のあいだ、新しい医療法人に“転籍”して勤務を継続することにしたらしい。
 変わったのは、院内処方がなくなり院外処方のため、支払いがまとめてできなくなったこと。そのほかに、中規模病院として自前の医療検査体制を整えていることに変更がでてくるかもしれない。病院自体は地元に定着して、中堅規模の病院として地域には大きく貢献してきたことは記憶に残るだろう。
 小田急江ノ島線の急行が止まらない小さな駅にとっては、「東芝病院のあるところ」と言われるくらいの代名詞的存在だった。敷地は大きな木々に囲まれて緑が多く、前庭のよく手入れされた植栽も見事で、桜並木どおりと相まって四季折り折りの花を咲かせて和ませてくれていた。
 個人的にも四十年以上にわたって馴染んできただけに、詳しい裏事情はわからないままだが、東芝の名が消えてしまうことは、その開設の歴史をたどってみてもなんとも残念な思いがする。

 ホームページの沿革欄によれば、病院の設立は戦後しばらくの1953年(昭和28年)のこと。なんと当時はまだ怖かった結核治療・療養施設としてのスタートだったから、時代を感じさせる。この地も“林間”の名にあるとおり、はるか郊外の人里離れたのどかな地であったことが想像に遠くない。
 何度かの変遷のあと、その結核病棟が完全廃止されたのが1986年(昭和61年)四月、もうそのころには当地に住み着いて数年たち、大学を卒業して社会人になっていたので、意外にも最近まで存在していたことに驚かされる。そのころにテレビドラマの舞台の一場面として登場したこともあったらしい。

 2005年(平成17年)は五階建ての新病棟が竣工し、前後して内視鏡センターや人間ドッグが稼働して医療体制の充実度が各段に上昇していた。これらの資金は、通りを挟んで向かいのかつての職員宿舎などが並んでいた敷地を売却して得たものだろう。いまは野村不動産分譲の十二階建て250世帯ほどの規模のマンションとなっている場所だ。
 マンション建設前のこと、夏の季節はここを通るたびに、平屋建ての職員宿舎が並んだ周囲は松の大木にクヌギなどのうっそうとした木々に囲まれてた、いまから思えば結核療養所の名残りの様な空間のなかに、時間が止まったようなひんやりとした静謐な空気が流れていて、不思議な気分にさせられたものだ。
 まったく駅前からは、歩いてわずか数分なのに新棟が建つまえの病院側の敷地も鬱蒼とした木々が茂って、芝生地や耕作用の畑などがあり、周囲はちょっとした散策用の遊歩道になっていて“サナトリウム”的な雰囲気をわずかに残していたかのように追想できるのだ。

 数年前のこと、健康診断で指摘があり、ここの内視鏡センターで検査を受けたところ、大腸ポリープが見つかり、じつに小学生以来の久方ぶりの入院となって、摘出手術を受けたことも記憶にまだ新しい。病室の窓からの風景が見慣れたいたはずなのに、その方向と高さが変わっただけでひどく新鮮に見えたことを思いだす。さらに入院中、台風のような大風があり、その通りの桜並木の大木が一本が真夜中に倒れてしまい、朝方に気がつくと通りを塞いで大騒ぎになったしまったこともあった。

 そんなこんなことがあり、当地での暮らしのとなりくらいの距離に東芝林間病院はあって、年数回定期的に生活習慣病予防と日常体調チェックをかねて通院を続けていた。住まいから最寄り駅への行きかえりは、たいていの朝方は横浜水道みち沿いの草木の変化を眺めながら、夕方や夜間はこの病院通りの照明灯にうかんだ桜並木の下を通って行き来していた。それは今後もおそらくは変わらないだろうが、見慣れた駅前の情景も少しづつ変わってゆく。

 昭和からの歴史を感じさせる看板、ちょっとした上部のエレガントな飾りがいい。