お釈迦様の誕生日花まつりもすぎて、二十四節気でいうところの清明の名の通り、新緑の季節が巡ってきた。その変化の様子は、住まいの中庭にあるケヤキの大木の芽吹きが、むずむずとくしゃみをしそうな色合いからうすい黄緑色へと変化していく日々のなかで感じられる。とくに晴れた日の早朝は、ヒガラの仲間とおぼしき野鳥が盛んにチュピ、チュピ、チュチーとさえずりまわっていて、生命のいとなみを伸びやかに謳ってくれている。
マンション裏の北斜面に残されたわずかな自然林をよく眺めると、そこには三本の山桜が自生していて、木々全体に薄いサクラ色をちりばめたかのよう。この季節の北斜面緑地は、さまざまな野草の可憐な花が見られて、自然界に息づく多様性に驚かされる。そのひとつ、軽やかで鮮やかな黄色の一重咲の山吹は、先日の植栽作業で下草と一緒に刈り取られてしまっていた。ひそかにずうと楽しみにしていたのに、ほんのわずかしか見かけることしかできなくて、とても残念な気がしていた。
そこで愛読している「季節を知らせる花」(2014年、山川出版)を手に取って読み返してみる。
著者の白井明大は、1970年生まれで沖縄在住の若き詩人。その白井さんの文章はじつに平明簡潔でありながら要領を得ていて、こころにすっと入ってくる。加えて本文に添えられた木版画家の紗羅さんが表現する季節の花花の挿画が美しく、文章にぴったりと寄り添っての視覚的効果をあげている。各章下段に挿入された解説、参考文献、巻末の索引が充実していて、編集者のセンスと細やかな心配りに感心するばかり。このような本を作り上げたこと自体が、優れた文化的行為だろうと思う。
この本からは花の生態そのものについての知識と、その背景にある文学的歴史的素養を得ることができた。帰りの駅改札を出て立ち寄ったのか、たまたまの休日にふらりと覗いてみたときなのか、出会いの記憶はもう定かではないのだけれど、地元本屋での偶然の出会いに感謝である。その日、店内の本棚を巡っているうちに、ふと目に留まったこの本を何の予備知識もなしに手にしてみて、すぐに購入しようと思ったのだ。
「季節を知らせる花」から「山吹笑う」の章に目を通す。
「吹き渡る風にしなやかに触れながら花が咲きこぼれる様子から、古くは山吹のことを山振といいました」と古名のいわれにふれ、春の山の様子を「山笑う」とたとえるように、山吹の鮮やかな花の咲きぶりに新緑で黄色に染まる山の様子を見てとり、自然の生命力がその咲く花に乗り歌ったかのような名前だと讃えている。そして続く一節が、今春に咲き誇るはずだった幻のヤマブキの花への想いを代弁していて、いにしえといまの心象が重なる。
「『振る』とは、小刻みに動かすという意味で、そうすることによってものの生命力が目覚め、発揮されると考えられていました。古えの人にとって、山吹色に輝きながら風にふれて生き生きと咲く情景は、まさに生命の息吹そのものに映ったのかもしれません。」
息吹きと山吹きの音韻が重なる。一定のリズムで吹く=深く吐いて吸うことで、自然な呼吸が生まれる。それこそが生命の源であり、律動だ。
人生の出逢い風景のなかで変わっていくもの、変わらずにあるもの、それでも季節は繰り返し巡ってくる。自然界の営みは、きまぐれのようでいて人智を超えて、いつも泰然自若としている。
マンション裏の北斜面に残されたわずかな自然林をよく眺めると、そこには三本の山桜が自生していて、木々全体に薄いサクラ色をちりばめたかのよう。この季節の北斜面緑地は、さまざまな野草の可憐な花が見られて、自然界に息づく多様性に驚かされる。そのひとつ、軽やかで鮮やかな黄色の一重咲の山吹は、先日の植栽作業で下草と一緒に刈り取られてしまっていた。ひそかにずうと楽しみにしていたのに、ほんのわずかしか見かけることしかできなくて、とても残念な気がしていた。
そこで愛読している「季節を知らせる花」(2014年、山川出版)を手に取って読み返してみる。
著者の白井明大は、1970年生まれで沖縄在住の若き詩人。その白井さんの文章はじつに平明簡潔でありながら要領を得ていて、こころにすっと入ってくる。加えて本文に添えられた木版画家の紗羅さんが表現する季節の花花の挿画が美しく、文章にぴったりと寄り添っての視覚的効果をあげている。各章下段に挿入された解説、参考文献、巻末の索引が充実していて、編集者のセンスと細やかな心配りに感心するばかり。このような本を作り上げたこと自体が、優れた文化的行為だろうと思う。
この本からは花の生態そのものについての知識と、その背景にある文学的歴史的素養を得ることができた。帰りの駅改札を出て立ち寄ったのか、たまたまの休日にふらりと覗いてみたときなのか、出会いの記憶はもう定かではないのだけれど、地元本屋での偶然の出会いに感謝である。その日、店内の本棚を巡っているうちに、ふと目に留まったこの本を何の予備知識もなしに手にしてみて、すぐに購入しようと思ったのだ。
「季節を知らせる花」から「山吹笑う」の章に目を通す。
「吹き渡る風にしなやかに触れながら花が咲きこぼれる様子から、古くは山吹のことを山振といいました」と古名のいわれにふれ、春の山の様子を「山笑う」とたとえるように、山吹の鮮やかな花の咲きぶりに新緑で黄色に染まる山の様子を見てとり、自然の生命力がその咲く花に乗り歌ったかのような名前だと讃えている。そして続く一節が、今春に咲き誇るはずだった幻のヤマブキの花への想いを代弁していて、いにしえといまの心象が重なる。
「『振る』とは、小刻みに動かすという意味で、そうすることによってものの生命力が目覚め、発揮されると考えられていました。古えの人にとって、山吹色に輝きながら風にふれて生き生きと咲く情景は、まさに生命の息吹そのものに映ったのかもしれません。」
息吹きと山吹きの音韻が重なる。一定のリズムで吹く=深く吐いて吸うことで、自然な呼吸が生まれる。それこそが生命の源であり、律動だ。
人生の出逢い風景のなかで変わっていくもの、変わらずにあるもの、それでも季節は繰り返し巡ってくる。自然界の営みは、きまぐれのようでいて人智を超えて、いつも泰然自若としている。