横浜市青葉区、川崎市麻生区(神奈川県)と町田市三輪町(東京都)の行政区分の境目が入り組んだあたりに「寺家ふるさと村」と呼ばれる地域がある。田んぼや畑などの里山原風景が保全されているなかに人家が点在していて、周辺は住宅地内なのにそこだけ時間の流れがゆっくりと流れて、どこかほっとした気持ちにさせてくれる貴重な空間だ。
その奥まった一角に「JOKE STUDIO」はある。もと鋳物工場だった建物を改造してギャラリー空間として運営され、若手作家を中心に独自のセレクトで紹介する活動を続けている。カフェが併設されていて、道路側の広い窓からは、鶴見川を隔てて王禅寺丘陵の連なりが眺められ、斜面のところどころには先々週末の積雪がまだらに残っていた。すぐ前には、柿の果樹園があり、右手方向に目をやると稜線を越えて桐蔭学園の巨大校舎群が覗いている。郊外で里山と都市化・住宅化がせめぎ合う様子が目線がさえぎられることなく遠くまで見通せるなかなかの風景だ。
ギャラリーでは、デニム地にアクリル絵具でカラフルでポップなペイントをほどこしたバッグなどの女性作家「山崎小枝子の世界展」が開かれていた。今日の目当ては、DMで案内をいただいた愛媛県砥部で作陶しているという作家「遠藤裕人」の白磁展、こちらは併設のカフェの周辺の壁の棚やテーブルの上に配置されて、食事を楽しみながら手に取ってみて楽しめる趣向となっていた。作品と実用感覚の垣根が低くて、親しみやすい感じだ。写真で見て陶器に近いと思っていたよりも、スマートで都会的な味わいの感じがする。
木のカウンターで丘陵の眺めを楽しみながらランチをいただく。正面の大きく開けた窓からの里山風景がなによりの御馳走で、パンにクリームチーズ、ニンジンの桂むきにレタスのサラダ、メインデッシュの赤身の魚入りグラタンには酒粕が入っていてコクがあり、なかなかいける味わい。このような農村風景が残る地域では、実にシャレた雰囲気、そのせいか30代から40代くらいの女性グループでにぎわっていた。
午後2時過ぎ、すこし日がさして暖かく感じられるようになってきた。帰り道、せっかくだから久しぶりにちょうど梅の花が見頃な「こどもの国」に立ち寄ってみようと思い立って車を走らせる。「こどもの国」は昭和34年当時の皇太子ご成婚を記念して開設が計画されて、戦時中は弾薬庫だった敷地を転用して整備し、40年5月5日こどもの日に開演されたのだそうで、まったく偶然にも自分の人生と重なるのだ。当初は、朝日新聞社や横浜市が運営に関係していたらしいが、いまは児童福祉法にもとづき、社会福祉法人こどもの国協会が運営をおこなっていると知るとへえー、と思ってしまう。しかも当初の整備計画には、当時の若手芸術家、イサムノグチや建築家の黒川紀章、大谷幸夫、菊竹清訓などが関係していたというのだから驚かされる。その痕跡はいまとなっては、朽ちかけた遊園地遊具とさびついた“花びらシェルター”にわずかに遺されているのみで、単体の建物に関してはほぼ皆無のようだ。この郊外の園地において、高度成長時代端緒からのなんとも儚い移ろいを感じる。
娘が小さいころ、同じ子育て仲間の家族のみなさんと来て以来だから10数年ぶりか?平日の午後、広い園内はさすがに閑散としている。工事中の場所もあるけれど基本的に前とあまり変わらない、その変わらなさがうれしい。梅園は10分ほど歩いてすこし奥まった斜面に250本ほどが植えられている。南向き斜面はちょうど見ごろで、白梅・紅梅に枝垂れもあり、適度なほったらかし加減がいい。北向き斜面には雪が残り、蕾はまだ硬いままでその対照が見事なくらいはっきりとしている。もう少し気温が上がれば馥郁とした香りに包まれるのだろうな。
尾根までのぼり、梅園全体を眺めてからポニーや乳牛が飼育されている園内牧場まで歩いてみることにした。途中左手から歓声が聞こえる、日本体育大学キャンパスで練習する学生たちだ。体操、水泳、陸上をはじめとする全日本クラスの選手を輩出しているキャンパスは、こどもの国の敷地と隣接しているのだ。しばらく歩いて尾根を右手に下ると、こども動物園とポニー牧場だ。休日は乗馬でにぎわうのだろうが、今日の当番?の二頭のポニーも辛抱強くじっと立ちすくんだまま動かない。その姿と瞳が健気だ。
乳牛牧場の牛舎は建て替え中、その先のミルクプラントに立ち寄って、特別牛乳「サングリーン」をお土産に購入し、イチゴのとちおとめ果肉入りジェラートを食べながら入り口まで戻ることにする。
午後4時20分、正面入り口に近づいたところで、閉園の合図「夕焼け小焼け」そして「蛍の光」が流れてきた。このオーソドックスさもいまどきなんだかとてもなつかしく健全で安心できて、ほっとするなあ。
暗くならないうちに、愛車で“家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)” ~ 竹内まりあ「インプレッションズ」1994年より。
その奥まった一角に「JOKE STUDIO」はある。もと鋳物工場だった建物を改造してギャラリー空間として運営され、若手作家を中心に独自のセレクトで紹介する活動を続けている。カフェが併設されていて、道路側の広い窓からは、鶴見川を隔てて王禅寺丘陵の連なりが眺められ、斜面のところどころには先々週末の積雪がまだらに残っていた。すぐ前には、柿の果樹園があり、右手方向に目をやると稜線を越えて桐蔭学園の巨大校舎群が覗いている。郊外で里山と都市化・住宅化がせめぎ合う様子が目線がさえぎられることなく遠くまで見通せるなかなかの風景だ。
ギャラリーでは、デニム地にアクリル絵具でカラフルでポップなペイントをほどこしたバッグなどの女性作家「山崎小枝子の世界展」が開かれていた。今日の目当ては、DMで案内をいただいた愛媛県砥部で作陶しているという作家「遠藤裕人」の白磁展、こちらは併設のカフェの周辺の壁の棚やテーブルの上に配置されて、食事を楽しみながら手に取ってみて楽しめる趣向となっていた。作品と実用感覚の垣根が低くて、親しみやすい感じだ。写真で見て陶器に近いと思っていたよりも、スマートで都会的な味わいの感じがする。
木のカウンターで丘陵の眺めを楽しみながらランチをいただく。正面の大きく開けた窓からの里山風景がなによりの御馳走で、パンにクリームチーズ、ニンジンの桂むきにレタスのサラダ、メインデッシュの赤身の魚入りグラタンには酒粕が入っていてコクがあり、なかなかいける味わい。このような農村風景が残る地域では、実にシャレた雰囲気、そのせいか30代から40代くらいの女性グループでにぎわっていた。
午後2時過ぎ、すこし日がさして暖かく感じられるようになってきた。帰り道、せっかくだから久しぶりにちょうど梅の花が見頃な「こどもの国」に立ち寄ってみようと思い立って車を走らせる。「こどもの国」は昭和34年当時の皇太子ご成婚を記念して開設が計画されて、戦時中は弾薬庫だった敷地を転用して整備し、40年5月5日こどもの日に開演されたのだそうで、まったく偶然にも自分の人生と重なるのだ。当初は、朝日新聞社や横浜市が運営に関係していたらしいが、いまは児童福祉法にもとづき、社会福祉法人こどもの国協会が運営をおこなっていると知るとへえー、と思ってしまう。しかも当初の整備計画には、当時の若手芸術家、イサムノグチや建築家の黒川紀章、大谷幸夫、菊竹清訓などが関係していたというのだから驚かされる。その痕跡はいまとなっては、朽ちかけた遊園地遊具とさびついた“花びらシェルター”にわずかに遺されているのみで、単体の建物に関してはほぼ皆無のようだ。この郊外の園地において、高度成長時代端緒からのなんとも儚い移ろいを感じる。
娘が小さいころ、同じ子育て仲間の家族のみなさんと来て以来だから10数年ぶりか?平日の午後、広い園内はさすがに閑散としている。工事中の場所もあるけれど基本的に前とあまり変わらない、その変わらなさがうれしい。梅園は10分ほど歩いてすこし奥まった斜面に250本ほどが植えられている。南向き斜面はちょうど見ごろで、白梅・紅梅に枝垂れもあり、適度なほったらかし加減がいい。北向き斜面には雪が残り、蕾はまだ硬いままでその対照が見事なくらいはっきりとしている。もう少し気温が上がれば馥郁とした香りに包まれるのだろうな。
尾根までのぼり、梅園全体を眺めてからポニーや乳牛が飼育されている園内牧場まで歩いてみることにした。途中左手から歓声が聞こえる、日本体育大学キャンパスで練習する学生たちだ。体操、水泳、陸上をはじめとする全日本クラスの選手を輩出しているキャンパスは、こどもの国の敷地と隣接しているのだ。しばらく歩いて尾根を右手に下ると、こども動物園とポニー牧場だ。休日は乗馬でにぎわうのだろうが、今日の当番?の二頭のポニーも辛抱強くじっと立ちすくんだまま動かない。その姿と瞳が健気だ。
乳牛牧場の牛舎は建て替え中、その先のミルクプラントに立ち寄って、特別牛乳「サングリーン」をお土産に購入し、イチゴのとちおとめ果肉入りジェラートを食べながら入り口まで戻ることにする。
午後4時20分、正面入り口に近づいたところで、閉園の合図「夕焼け小焼け」そして「蛍の光」が流れてきた。このオーソドックスさもいまどきなんだかとてもなつかしく健全で安心できて、ほっとするなあ。
暗くならないうちに、愛車で“家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)” ~ 竹内まりあ「インプレッションズ」1994年より。