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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

カズオ・イシグロと村上春樹

2017年11月24日 | 文学思想
 「文学界」12月号に、今年のノーベル文学賞受賞により一気にスポットが当てられた日系イギリス人作家カズオ・イシグロインタビュー「村上春樹と故郷・日本」(ただし2006年の採録)が掲載されている。
 文芸誌を手にすることなどめったにないのだが、その内容に目をとおしてみると、本題に即した村上春樹そのものや日本についての言及は多くはなくて語られていることの中心は、作家自身についておよび自身の文学創作論が主体である。それでもこの雑誌を手にしてしまったのは、編集者のつけたタイトルが秀逸(同世代人気作家と日本出身の英国籍作家の対比)で、そこに惹かれたというのが正直なところだ。

 それよりも興味を引いたのが、77年生まれでイシグロと同じ長崎市出身の批評家酒井信による評論、「カズオ・イシグロの中の長崎」である。それによれば、初期のイシグロ作品「遠い山なみの光」「浮世の画家」は、幼少の記憶に残る長崎を舞台にした作品である。
 そんなわけで、先月のはじめにブックオフでたまたま見つけた代表作とされる「日の名残り」を読み終えたばかり、次にどれを読もうか迷っていた末の一冊は、デビュー作である「遠い山並みの光」とすることに決めた。それに加え、実際に本屋の店頭で並んだ表紙をながめていて、もっとも手軽に読みやすそうな短編集「夜想曲集ー音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」もあわせて購入した。こちらは読みやすくもあり、翻訳された魅惑的なサブタイトルに気をひかれ、めくったページには音楽曲タイトルや作曲家、アーティストの名前が目に入ってきて、村上春樹との比較にはちょうどいいかもしれないと判断したからでもある。

 今週末、その早川文庫版『夜想曲集』の一篇「降っても晴れても」を読みながら、小田急線車中の車中の人となる。こと短編については、村上春樹「東京奇譚集」(2005年)や「女のいない男たち」(2014年)などのほうがおもしろくて上手いのではないかと思う。これまで読んだ限りでは、イシグロの短編は翻訳にもよるのか、登場人物の造形が通俗的で十分な魅力を感じることがないまま、その物語の展開がやや平板に終わってしまうきらいがある。なんだかノーベル賞と話題になるにしてはちょっと物足りないのだ。イシグロは若いころミュージシャン志望だったと述べているが、標題の「夜想曲」には肩すかしを食わされた感がしている。もうすこし読み進める中、来月のノーベル賞ウイークになれば、世の中の盛り上がりで個人的な印象も違ってくるのだろうか。話題に乗せられるとはそのようなことかもしれない。

 さて、今年はあまりノーベル賞の話題に乗らなかった気がする村上春樹氏、カズオ・イシグロの受賞をどのように思っているのだろうか? ともにボブ・ディランのファンでもあるときく(ビートルズはさほどでもない?)。

 
 店頭にずらり並んだ“ノーベル文学賞”受賞の帯つき文庫本
 
 そうこうしているうちに終点の新宿駅へと到着すると、外気はひんやりと澄んだ冬晴れの空だ。小田急の改札をぬけて新宿駅西口ロータリーから摩天楼を眺めると、また少し青空の見える範囲が減っているような気がした。それだけ高層ビルが増えたのでななくて、自分のなかの良く知っている西新宿の高層ビルの風景は、今世紀に入った記憶のままだからだろうと思う。

 この西口でもっとも印象的かつ決定的な心象風景として作用した建築物は、正面にそびえ立つモード学園「コクーンタワー」で、はじめて対面したときの印象は、突然出現した近未来の異物のようでびっくりしたのを覚えている。そういえばこのモード学園、名古屋駅前にも「スパイラルタワー」の名称で圧倒的なインパクトでそびえたっていた。

(2017.11.20書き出し、11.24初校)


 

オリオン座三連星、ラ・コリーナのこと

2017年11月12日 | 日記
 立冬がすぎて木枯らしの吹く中、いっそう日暮れの早さを感じる今日この頃である。昨夜、仕事で遅くなり家路に急いで向かう途中、ふと見上げた夜空には冴え冴えといくつかの星が輝いている。その東の空の方向に、この季節はじめてのオリオン座三連星を見つけた。毎年十一月に入って夜の冷え込みが増してくるこの時期に、この星座を見上げるたびにそうか、もうそんな季節になったんだとしみじみ思う。だからこの日の夜は、ことしのオリオン座三連星天体観測記念日ということにしようか。

 そしてきょうはよく晴れた青空のもと、都内北区赤羽まででかける。公営住宅建て替えのため、この秋に引っ越ししたばかりの叔母の新居を訪問することにしていたからで、新宿までまっすぐ出るのはすいぶんと久しぶりだ。相模大野から小田急線の快速急行に乗リ合わせ、午前十時前には新宿に到着。改札をでてすぐ、しばらくの間デパートの開店を待つ。やがてエスカレータが動きだし、地階の食品売り場へと移動する。まったく都会とは便利にできているものだ。日曜日だからか開店早々の売り場は早くも来場の人々でにぎわって華々しい。
 まずは、手土産にカステラと日本茶を買い求める。それぞれ長崎と京都の老舗、まあお祝いだからすこし日常から飛躍した、ささやかな高揚感をあたえてくれるものがいいという消費者心理をくすぐる都市装置がデパートという空間だと実感する。
 それからすこし歩きすすんだ一番奥には、滋賀県近江八幡の老舗和菓子屋「たねや」のショーケースが目に入る。季節柄、栗を材料としたきんとん、羊羹、どらやきなど価格はそれなりのものだが、洗練されたしつらえと包装デザインがおいしさをひきたてている。ここでは、和菓子の味覚は素材に季節感と雰囲気が決定的に大事な要素なのだと教えてくれている。

 一昨年その近江八幡にある、たねやグループのフラッグショップ「ラ・コリーナ近江八幡」を訪れたことを憶い出す。駅からしばらくバスにのっていった、八幡山と呼ばれるたおやかな丘のふもとにひろがる北之庄町の広大な敷地に、そのユニークな横長の草屋根をのせた白壁の外観をみせていた。緑の屋根のかたちは、背景の八幡山の風景の連なりと呼応し、そこに溶け込んでいるかのようで、実物の建物をみるのは初めてなのに不思議と懐かしい感情を抱かせる。縄文あたりか中世中東にある砦を彷彿とさせるような、あのフジモリ建築の魅力全開である。

 わたしが三十年ほど前、W.M.ヴォーリズの残した建築を目にするため、はじめてこの地を訪れた時、ここは滋賀厚生年金休暇センターと呼ばれた公共の宿泊とスポーツ施設があって、敷地面積は12万平方メートルもあったという。そのときに宿泊した記憶は、いまでも周囲の外溝や生け垣にかすかな片鱗として残っているように見えた。その先には、いまもヴォーリズ記念病院と小さな教会堂が健在で、こちらの新旧のたたずまいもひたすら懐かしかった。
 そのセンター施設は、今世紀に入ってからの行政改革のあおりであえなく廃止、その後の紆余曲折をへて、ほぼ全域が現在のたねやグループの所有となったわけだ。かつてのヴォーリズが目にした当時は、水田を中心にのどかな里山の風景が拡がっていたと思われるから、ラ・コリーナが目指そうとしている姿は、もともとこの地にあった風土の遺伝子を内包して、大地に潜んでいた種子が発芽し、成長しているかのように思えるのだ。

 日曜日、新宿駅すぐのデパートの地下食品売場を巡る中で、そして赤羽から帰ってきてこうしてパソコンに向かいながら、さまざまな思い出が浮かびあがってくる。また、琵琶湖周辺と近江八幡を訪れてみたい。