「文学界」12月号に、今年のノーベル文学賞受賞により一気にスポットが当てられた日系イギリス人作家カズオ・イシグロインタビュー「村上春樹と故郷・日本」(ただし2006年の採録)が掲載されている。
文芸誌を手にすることなどめったにないのだが、その内容に目をとおしてみると、本題に即した村上春樹そのものや日本についての言及は多くはなくて語られていることの中心は、作家自身についておよび自身の文学創作論が主体である。それでもこの雑誌を手にしてしまったのは、編集者のつけたタイトルが秀逸(同世代人気作家と日本出身の英国籍作家の対比)で、そこに惹かれたというのが正直なところだ。
それよりも興味を引いたのが、77年生まれでイシグロと同じ長崎市出身の批評家酒井信による評論、「カズオ・イシグロの中の長崎」である。それによれば、初期のイシグロ作品「遠い山なみの光」「浮世の画家」は、幼少の記憶に残る長崎を舞台にした作品である。
そんなわけで、先月のはじめにブックオフでたまたま見つけた代表作とされる「日の名残り」を読み終えたばかり、次にどれを読もうか迷っていた末の一冊は、デビュー作である「遠い山並みの光」とすることに決めた。それに加え、実際に本屋の店頭で並んだ表紙をながめていて、もっとも手軽に読みやすそうな短編集「夜想曲集ー音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」もあわせて購入した。こちらは読みやすくもあり、翻訳された魅惑的なサブタイトルに気をひかれ、めくったページには音楽曲タイトルや作曲家、アーティストの名前が目に入ってきて、村上春樹との比較にはちょうどいいかもしれないと判断したからでもある。
今週末、その早川文庫版『夜想曲集』の一篇「降っても晴れても」を読みながら、小田急線車中の車中の人となる。こと短編については、村上春樹「東京奇譚集」(2005年)や「女のいない男たち」(2014年)などのほうがおもしろくて上手いのではないかと思う。これまで読んだ限りでは、イシグロの短編は翻訳にもよるのか、登場人物の造形が通俗的で十分な魅力を感じることがないまま、その物語の展開がやや平板に終わってしまうきらいがある。なんだかノーベル賞と話題になるにしてはちょっと物足りないのだ。イシグロは若いころミュージシャン志望だったと述べているが、標題の「夜想曲」には肩すかしを食わされた感がしている。もうすこし読み進める中、来月のノーベル賞ウイークになれば、世の中の盛り上がりで個人的な印象も違ってくるのだろうか。話題に乗せられるとはそのようなことかもしれない。
さて、今年はあまりノーベル賞の話題に乗らなかった気がする村上春樹氏、カズオ・イシグロの受賞をどのように思っているのだろうか? ともにボブ・ディランのファンでもあるときく(ビートルズはさほどでもない?)。
店頭にずらり並んだ“ノーベル文学賞”受賞の帯つき文庫本
そうこうしているうちに終点の新宿駅へと到着すると、外気はひんやりと澄んだ冬晴れの空だ。小田急の改札をぬけて新宿駅西口ロータリーから摩天楼を眺めると、また少し青空の見える範囲が減っているような気がした。それだけ高層ビルが増えたのでななくて、自分のなかの良く知っている西新宿の高層ビルの風景は、今世紀に入った記憶のままだからだろうと思う。
この西口でもっとも印象的かつ決定的な心象風景として作用した建築物は、正面にそびえ立つモード学園「コクーンタワー」で、はじめて対面したときの印象は、突然出現した近未来の異物のようでびっくりしたのを覚えている。そういえばこのモード学園、名古屋駅前にも「スパイラルタワー」の名称で圧倒的なインパクトでそびえたっていた。
(2017.11.20書き出し、11.24初校)
文芸誌を手にすることなどめったにないのだが、その内容に目をとおしてみると、本題に即した村上春樹そのものや日本についての言及は多くはなくて語られていることの中心は、作家自身についておよび自身の文学創作論が主体である。それでもこの雑誌を手にしてしまったのは、編集者のつけたタイトルが秀逸(同世代人気作家と日本出身の英国籍作家の対比)で、そこに惹かれたというのが正直なところだ。
それよりも興味を引いたのが、77年生まれでイシグロと同じ長崎市出身の批評家酒井信による評論、「カズオ・イシグロの中の長崎」である。それによれば、初期のイシグロ作品「遠い山なみの光」「浮世の画家」は、幼少の記憶に残る長崎を舞台にした作品である。
そんなわけで、先月のはじめにブックオフでたまたま見つけた代表作とされる「日の名残り」を読み終えたばかり、次にどれを読もうか迷っていた末の一冊は、デビュー作である「遠い山並みの光」とすることに決めた。それに加え、実際に本屋の店頭で並んだ表紙をながめていて、もっとも手軽に読みやすそうな短編集「夜想曲集ー音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」もあわせて購入した。こちらは読みやすくもあり、翻訳された魅惑的なサブタイトルに気をひかれ、めくったページには音楽曲タイトルや作曲家、アーティストの名前が目に入ってきて、村上春樹との比較にはちょうどいいかもしれないと判断したからでもある。
今週末、その早川文庫版『夜想曲集』の一篇「降っても晴れても」を読みながら、小田急線車中の車中の人となる。こと短編については、村上春樹「東京奇譚集」(2005年)や「女のいない男たち」(2014年)などのほうがおもしろくて上手いのではないかと思う。これまで読んだ限りでは、イシグロの短編は翻訳にもよるのか、登場人物の造形が通俗的で十分な魅力を感じることがないまま、その物語の展開がやや平板に終わってしまうきらいがある。なんだかノーベル賞と話題になるにしてはちょっと物足りないのだ。イシグロは若いころミュージシャン志望だったと述べているが、標題の「夜想曲」には肩すかしを食わされた感がしている。もうすこし読み進める中、来月のノーベル賞ウイークになれば、世の中の盛り上がりで個人的な印象も違ってくるのだろうか。話題に乗せられるとはそのようなことかもしれない。
さて、今年はあまりノーベル賞の話題に乗らなかった気がする村上春樹氏、カズオ・イシグロの受賞をどのように思っているのだろうか? ともにボブ・ディランのファンでもあるときく(ビートルズはさほどでもない?)。
店頭にずらり並んだ“ノーベル文学賞”受賞の帯つき文庫本
そうこうしているうちに終点の新宿駅へと到着すると、外気はひんやりと澄んだ冬晴れの空だ。小田急の改札をぬけて新宿駅西口ロータリーから摩天楼を眺めると、また少し青空の見える範囲が減っているような気がした。それだけ高層ビルが増えたのでななくて、自分のなかの良く知っている西新宿の高層ビルの風景は、今世紀に入った記憶のままだからだろうと思う。
この西口でもっとも印象的かつ決定的な心象風景として作用した建築物は、正面にそびえ立つモード学園「コクーンタワー」で、はじめて対面したときの印象は、突然出現した近未来の異物のようでびっくりしたのを覚えている。そういえばこのモード学園、名古屋駅前にも「スパイラルタワー」の名称で圧倒的なインパクトでそびえたっていた。
(2017.11.20書き出し、11.24初校)