日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

VANSのスニーカーとユーミン40周年

2013年06月24日 | 日記
 スニーカー離れして久しいが10年振りくらいだと思う、購入したのは。これって個人史の中ではちょっとした事件に違いない。町田に出かけた折に買い求めてしまったというわけ。
 お店に入って身に入ったのは、定番の「コンバース」製シューズ、二階に上がって「ニューバランス」の限定店舗オリジナルに目が行く。トップサイダーのデッキシューズにも目にいったがマリン派じゃないので、結局オーソドドックなデザインと色が気に入って標題のVANSスニーカーが4000円弱で出ていて、これに決めたっていう感じ。店員さんのアドバイスで細身の作りを考慮して通常より1センチ長い27.5Cmサイズを求めた。なんだか少し学生に戻った気分がした。家に戻って、防水スプレーを吹きかけて手入れ。さっそく明日試し履きしてみよう。

 なぜかユーミンを聴きたくなって40周年記念ベストアルバムを手に取る。3枚組の2枚目は「真珠のピアス」から始まる。これ、大学生当時に発売されたアルバムに収録されていた曲で、町田小田急百貨店食品フロアでアルバイトしていた当時の女の子がやや背伸びした感じで共感をよせていたことを思い出す。「海をみていた午後」「中央フリーウェイ」「埠頭を渡る風」「ノーサイド」「陰りゆく部屋」「水の影」・・・・・

 もしかしたら、ユーミンの楽曲が無意識化でスニーカーの購入を誘発したのかもしれない。

小曽根真&Gary Burton/横浜みなとみらいホール

2013年06月24日 | 日記
 ジャズピアニストの小曽根真、1983年23歳のときにCBSより「OZONE」でデビューして早30年となる。これは学生時代にリアルタイムで購入した。冒頭の一曲「クリスタルラブ」はゲイリー・バートンとのヂュオが鮮烈な印象ですばらしく、早熟の天才といった印象。当時流行った田中康夫の小説から命名された「クリスタル世代」とは関係ないが同時代であるのが興味深い。自分とは同世代の2歳違いというのも親近感を持った理由。

 さて23日午後は、都内から横浜みなとみらいホールへ移動しての二人のコンサートへ。2階席ロビーから久しぶりにパシフィコ横浜やヨットの帆を模したという、インターコンチネンタルホテルが目に入る。海はほとんど塞がれてしまって、代わりに一面のホワイトの建物。この実存感の希薄な人口の風景はいったいなんだろう。もし、地震がおきて津波が発生したら、近代的建物は残る代わりにホワイト色が薄汚れて廃墟を象徴するのだろうか?

 今回の来日ラストにあたる横浜公演は午後3時開演。舞台上にはヴィブラフォンとピアノがそれぞれ一台づつ。やがて1階客席後方から拍手があがる、えっと目を凝らすと客席後方通路から二人がそれぞれステージに向かって歩いてくる意表を突いた入場。場内が一気にあたたまり、演奏会への期待が高まる粋な演出、う~ん、やられた。
 座った座席2階LA3列11番からはピアニストの姿が背中側から望める。ピアノは小曽根が大好きというヤマハ製(機種は聞き損ねた)、ゲイリーはピアノ天井反響板に一部隠れてマレットの動きが半分以上読めない。今回は二人の新譜からのオリジナル曲中心で一部クラシック曲もふくめ(それもショパンやバルトークもない)、なじみのメロディーはなく、二人の自信と確信がうかがえる。
 そして演奏、超絶技巧と不協和音的ゆらぎが交錯する。ソロはなくすべてデュオ。以前相模大野できいた「OZONE]からの選曲はなかったと思う。同じことはやらないというメッセージか。圧倒された。アンコールはオリジナルのアップテンポな曲で締めくくる。

 17時過ぎの終演、ロビーでのサイン会行列を横目にみなとみらい線から菊名乗り換えで横浜線へ、町田経由で買い物をして帰宅。

森鴎外1862-1922の見た明治大正期の東京風景、そして岡倉天心

2013年06月24日 | 日記
 休日の23日午前、思い立って都内文京区の森鴎外旧居住地に昨年11月開館した区立「森鴎外記念館」にゆく。小田急線で代々木上原から反対ホーム千代田線に乗り換えて10時に千駄木へ到着。自宅を出たのが八時半過ぎだから早いものだ、この移動感覚は現代ならではのもので当たり前と感じないか、いや異なる時代を生きる人間の体験と思考に無意識の影響を与えずにはいないといつも思うのだ。

 さて、陶器二三雄氏設計の記念館、二回目の訪問だがベージュの煉瓦外壁と内部コンクリートの打ち放しがよく調和して小ぶりながら落ち着いた雰囲気である。特別展のテーマは「鴎外の見た風景 ~東京方眼図を歩く~」、鴎外は無類の地図好きで1909年(明治42)に発行された東京方眼図の企画者なんだとか、意外な側面を知る。展示スペース床面にその方眼図が拡大し敷かれていて目をひく。当時のモダン風景としての鉄道、デパートや「資生堂」、和紙の「榛原」などの日本橋、銀座街の商店と街並みが紹介されていて、これらの場所へは鴎外も足繁く通った。時の政府役人で医師高官でもある上流都市生活者として鴎外の姿が浮かぶ。弁護士で詩人の平出修も鴎外との接点があったと記されていた。平出家の墓(婿養子)は新潟の上越市寺町にあったことは記憶に新しい。

 鴎外は近くに日本美術院を創設した岡倉天心と同時代を生きた。同じ文久2年の生まれだが、天心は西洋暦では1863年、没年も10年早い。そして二人の生き方はある意味対照的である。社会的エリートを全うした鴎外、30代で官僚の地位を追われ在野で生きた天心、今回わかったのは、鴎外と天心の間に書簡のやりとりがあったということだ。鴎外は天心の死後、上野の帝国博物館総長兼図書頭の地位についていて、奈良にも赴いている。この二人を対比することで明治後半から大正期の時代精神が浮かび上がってこないか、そんな思いを抱いている。これにやはり同時代人の快僧武田範之を重ね合わせてみる。

武田範之忌に想う

2013年06月23日 | 日記
 きょうは、武田範之(1863-1911.6.23)が東京根岸養生院で遷化して102年目にあたる。九州久留米藩士の三男坊がいかにして明治期に遠く離れた雪国新潟の片田舎、浦川原村顕聖寺(曹洞宗)に関係したのかは修業のためというが、実際のところはよくわからない。わたしがちょうどひと月前五月に帰省した際、その顕聖寺を訪れて境内の巨大な事蹟碑に約一年振りに対面した。撰文は同郷の台湾総督が寄せていた。それによると武田は1900年代に伊藤博文の知遇を得て、韓国合邦運動を展開したというが挫折、1910年に帰国し、翌年に東京根岸で亡くなっている。
 この時代の同人としては、岡倉天心や森鴎外などがいる。武田は純粋に在野に徹しながら、極めて政治的な動きをしたとされるところが二人と大きく異なる。そのスケールの大きさは天心と同様、一筋縄では計り知れないものがある。

氣の活用研修

2013年06月18日 | 日記
 16日午後、相模大野でのはやぶさ講演会を終えたその足で、町田市薬師池公園から入った山崎町「氣の活用」道場へ向かう。5年ぶりくらいの研修会参加になる。

 道場主宰の岡村先生、栗田講師ともお変わりなくお元気の様子。道場も以前と変わらなく緑に囲まれて素晴らしい環境のままだ。テキストをいただき、前回の記憶がよみがえってくる。すっかり実践を忘れたままで、今回はそのカンを取り戻すのが目標だ。参加者は約20名、男性4割女性6割といったところか。
 まずは、研修を受けた方の体験談や感想の紹介から、次に「氣」とは何かについて。気ではなく「氣」と書くのがミソ。一言で述べると「人間本来の生命力」「大自然の根源的な生命エネルギー」、こう聞くと理屈でなく素直に入ってくる。次に「心身統一」の四大原則についての説明とペアになっての体験実習。私は隣の同年代くらいの男性とペアに。みなさん熱心に取り組まれている。実習を伴うなかでなごやかな雰囲気。休憩をいれて後半は、姿勢・呼吸法・日常生活や職場への応用と続く。
 5時に研修が終わって広間の囲炉裏を囲んで車座になっての懇談、これがよかった。参加の皆さんの生の声でお話を伺うのだが、誠実な参加動機や体験に感心させられる。自分はきちんと日々の生活に向き合っているのか、正直に生きているのか自省させられた。

 帰りが6時を回ったが、いそぎ足で濱田氏と薬師公園の見頃の花菖蒲田を眺めて帰る。もう人出はなく静かさのなかでよもやま話、親の介護や老後についての話題、そのような年代になったのだとしみじみ感じる。お互いの車で前後して走り、本町田の菅原神社のY字路でお別れ。

小惑星探査機「はやぶさ」打ち上げ10周年・帰還3周年とユーミン「VOYARER」

2013年06月17日 | 日記
 小惑星「イトカワ」探査機の「はやぶさ」打ち上げ10周年にちなんでJAXA宇宙科学研究所がある地元相模原で開催された一線の研究者による連続講演会にゆく。会場が相模大野駅すぐの「市民・大学交流センター/ユニコムプラザさがみはら」で、3月に新規オープンした新しい公共施設にふさわしい企画に違いない。
 登壇のふたりは若手・中堅といった年代、いずれも東大・京大卒の秀才に違いない研究者、とまず思ってしまうところが平凡な人間の浅はかなところ。実際のお二人はそれぞれの専門領域についてどみなくかつわかりやすく語っていたが、極めた研究を仕事とするものの真摯さを垣間見たきがする。その点は、優れたアスリートたちと同様の印象だ。
 後半のイオンエンジン開発担当研究者の國中均氏の話が興味深かった。「衛星」と「宇宙船」との違い、イオンエンジンと蛍光管の原理との相似点の解説、4基搭載のエンジンが3基まで故障した後のドラマチックなエピソードなど、おそらく映画化された「はやぶさ」のシナリオの多くは、氏を中心に担当され経験した範疇に拠っていたのではないかという気がする。
 話を聞く中で、ふとユーミンの「VOYAGER」(東宝映画「さよならジュピター」主題歌)を思い出した。今から30年くらい前、まだ大学生だったか卒業したすぐかの映画ではなかろうか。ふとシングル盤を確認したら1984年、いまから29年前のクレジットがプレスされていたからまさしうそうだ。カップリングは、これも好きな「青い船で」。ともにメロディーは鮮明に浮かぶし、なによりも詩の世界に共鳴した覚えがある。

  「青い船で」 松谷任由美

  私たちを乗せた船は東へと漕いでゆく
  朝焼けを 夕映えを 果てしなく追いかけて
  
  月をよぎる雲にの色も 波のしぶきさえも
  二度と同じ姿はない 永遠の万華鏡
  
  私たちを乗せた星は涼しげに輝いて
  木星を 金星を 導いてゆくように

  同じ時を旅している
  たくさんの人の中に
  なぜかとても ああなつかしい あなたがいてよかった

  恐れずに生きてゆける
  彗星のように燃え尽きたい

  遠い海を旅してゆく小さな船の上に
  もっと遠い夢をみている
  あなたがいてよかった
  なぜかとても ああなつかしい
  あなたがいてよかった




岡倉天心生誕150年没後100年、小林亜紀子氏講演会

2013年06月16日 | 日記
 今年2013年は岡倉天心(1863.2.14-1913.12.26)のメモリアルイヤー。15日午後、横浜線から東横線に乗り換えて大倉山下車、小高い丘を登って頂上のそびえ立つ大倉山記念館へ。ここは昭和7年の竣工で郷里新潟県高田藩士出身、長野宇平治の最晩年の設計。左右の建物幅に比して搭屋の高さがややバランスを欠いている印象だが、それはもしかしたら承知のことで正面列柱の上方ほど太くなる形状もそうかもしれないが、ひたすら宇宙の真理追求を目指した大倉精神文化研究所創立者大倉邦彦の意志なのかもしれない。
 ここで午後2時からの講演会「天心の中の日本と西洋」聴講。講師は初見の小林亜紀子氏、若手の比較文化研究者。黒のドレスにパンプス、長い髪のすらりと伸びた淑女できれいなソプラノでの丁寧かつよどみのない爽やかな語り口。この好ましい印象は内容以上のイメージを一般に残すだろう。内容は有名なフレーズ「Asia is one」を検証しながらの「多文化主義者としての天心」を丁寧に追ったもの。本業の比較文化論からフェノロサ、小泉八雲、タゴールとの関係性の考察などわかりやすくて丁寧な論考。天心の外国における和服姿への考察、東京芸大創立120周年「岡倉天心展記念シンポジウム」への遡及などなかなか細やかな目配り。ちょっと村上春樹小説の登場者のモデルとなってもおかしくなさそうな印象を持った。

三菱一号館、旧東京中央郵便局とJR東京駅

2013年06月15日 | 日記
 12日、小田急線から千代田線に入り日比谷下車、有楽町電気ビル北館17階で研修受講。JR有楽町駅、旧そごうデパート(現ビッグカメラ)がすぐ目の前だ。このビルは前から知ってはいたが研修の機会で訪問することになるとは!じつは受講したのもこのビルから周辺を眺めてみたかったから、というのが動機のひとつ。
 17階の窓からの周辺がずいぶんと高層化されていることにあらためて驚く。とくに丸の内や東京駅周辺は、ガラス張りビルが林立してスカイラインを形成している。ほとんどが全面ガラス張りで容積率が増えた分、圧迫感を和らげようとしているのか個性を消して互いの姿を映しあっている。すぐとなりのスバル座が入っているビルは変わらないようだ。記憶のあるラーメン「なかもと」も地階に顕在なのがうれしい。中層のビルの屋上は、流行なのか緑化庭園化が随分と進んでいる。

 夕方5時、受講が終わってまだ明るい丸の内仲通を東京駅方面に歩き出す。この明治期以来の伝統あるオフイス街ビルの一階は、その格式の高さに注目したであろうブランド店が軒を連ねていて、大きく育った街路樹(おもにケヤキ)がつくりだす緑陰による気持ちの良い遊歩道となっていた。途中で三菱一号館にたち寄る。美術館はあいにくの休館、デジタルギャラリーをのぞく。明治創建時の赤レンガ建築の再現で議論はあるようだが、実際に訪れてみて当時のスケール感を実感するうえでこれは悪くないと思う。
 続いて、旧中央郵便局にやってきた。吉田鉄郎設計による正面ファサードと一部内部は残しての高層化。この手法にも議論と批判はあったようだが、そのままの保存がもっともよいという保守論調にもうなずけない。ファサードもタイルは新旧いりまっじて旧態イメージを残している。郵便局内部の受付まわりと列柱のスケール感は前の状態を体感できるように配慮されていて、あたらしく建設された空間との歴史的対比がおもしろいと思った。はたして、ブルーノ・タウトがこれを見たらどうのように評するであろうか、と想像をめぐらす。
 そして、ななめ向かいには復元なったJR東京駅。三階建てとドームが創建当時の姿なのだとか。周囲の風景からあきらかに浮き上がっていて、忠実な再現が逆に書き割りのような張りぼて觀を醸し出している。あきらかになじんでいない。しかし、駅の中心にこの意匠とスケール感が当時のまま現代に保存されたことが大事なのだろう。意識されていたかどうかわからないが、周辺ビル群との鮮やかな対比が逆に時代感覚を浮かび上がらせている。

 話題の建物を満喫したあと、JR線沿いに煉瓦高架沿いをふたたび有楽町方向に戻る。煉瓦高架こそが明治期のままの構造をそのままに引き継いでいるようで、こちらを土木遺産か文化財に指定してよいと思う。ガード下の連なるにぎやかな店舗はアジア的な混沌風景でなつかしくほっとした気にさせられる。
 有楽町駅手前にガードをくぐって反対側に出るとそこに「ミルクワンタン」の古びた看板とのれん。開店したばかりなのか、店主らしき人物以外に客はいない。昭和の残り香り、という言葉通りの店構え、何度かその名前は目にしたことがある記憶がよみがえり、思い切って入ってみる。この体験は次回に詳細を記したい。

三渓園

2013年06月10日 | 日記
 昨日8日、空梅雨の合間に久しぶりに本牧三渓園へ。園内の重要文化財建造物公開に合わせての訪問。入り口大池からの旧燈明寺三重塔に紫と白の花菖蒲が艶やか。まったく絵になるというか、三渓園のイメージを代表する景観。期待を裏切らない導入に高揚感が増す。
 そのまま内苑へ。臨春閣は紀州徳川家ゆかりの邸宅。広間の前には池が開けていてここから望まれる三重塔もいい。谷沿いに造園された渓流をさかのぼり、本日のお目当ての一つ、聴秋閣を遊歩道から見下ろし一息つく。くだって今度は隣の渓流沿いに月華殿、天授院とめぐり、再び聴秋閣へ。京都・鎌倉からの移築が多く、明治大正期有数の数奇者の美意識を感じる。由緒ありの建物をわざわざ移して自らのステータスに加えるという行為は日本独特なのだろうか?単なるリサイクル以上の伝統精神の具体的再生か。

 園内茶屋で軽く昼食して、後ろ髪をひかれる思いでこの名園をあとにする。続いてバスで日本通りへ移動し、神奈川県庁での「歴史を生かしたまちづくり」シンポジウムへ。そして夜は家族と横浜駅で合流して海港祭花火を大桟橋からMM地区の夜景越しに鑑賞。もう、夏本番近し。

三渓園

今日6月8日はどんな日か?

2013年06月08日 | 日記
 今年は空梅雨模様のようで、今日もさわやかに晴れあがって、実にさわやかで気持ち良い陽気なんだなあ。家の周囲でもアジサイはよく水色から紫にほどよく色づいているし、近隣公園の花ショウブ園も艶やかに咲き出していて心が和ませられる。
 さて、今日の日が何か特別かっていうと、そんなことはなく普通の休日にすぎない。愛読の「鈴鹿暦 平成25年版」を見ると一粒万倍日とあるが、このブログを始めるにあって少しは意味のある日なのかしら?それでは明日9日は、何の日かっていうとごろ合わせでロックの日、皇太子と雅子様の結婚記念日20周年?くらいしか思い浮かばない。天文的には下弦から満月に至る日とのことで、ようするに8日はその前日で、これまた満願成就には一歩足りない、なんの変哲もない日だからこそ、ようやくのブログ開設にふさわしい日なのかも?