日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

M.ルグラン~S.グラッペリ/おもいでの夏

2014年05月25日 | 音楽

「ルグラン グラッペリ Legrand~Grappelli/おもいでの夏」は、フランス人音楽家の巨匠ふたりが初共演したシンフォニック・ジャズアルバムで、名門レーベルのヴァーヴより、いまから22年前の1992年にリリースされた。そのCDを聴きながら、ふと気になってジャケットを見直したら、今日がなんと!そのCD収録曲をふたりがレコーディングした記念すべき日にあたることに気がついたのだった。そこで急きょ、この稿を起こすことにしたというわけ。

 このCD、発売翌年の1993年4月に購入していた走り書きがある。シャレたイラストの二人の姿とピアノとヴァイオリンとが描かれたCDジャケットのクレジットには、「Digitally recorded on May 25,26&27,1992 in Paris」と記載されており、パリと東京の時差は8時間東京のほうが進んでいるにしても、このマスターピース全15曲が22年前の今日から3日間かけて収録されたことがわかる。そうか、そうなんだ、たったそれだけのたわいのない偶然なのだが、敬愛すべきふたりの姿が浮かんできて嬉しくなってくる。そして開いたリーフレットには、手を取りあっている両巨匠の柔和な笑顔のモノクロ写真が掲載されていて、これまた幸せな気分になってくる。
 収録されているのは、すべてがよく知られた名曲のカバーで、ミッシェル・ルグランが作曲した「おもいでの夏」(1971年)、「シェルブールの雨傘」(1964年)や、珍しいステファン・グラッペリ作曲の「5月のミル」(1989年)も収録されていて、50人編成のフルオーケストラとコーラスをバックにしてゴージャスで粋な音を聴かせる。長いキャリアの誇る二人の初共演が意外なくらいだけれど、さすが息がぴったりと合い適度にリラックスした演奏がとても素晴らしく(ほかに言葉がない)、生きているっていいなあとなごやかな気持ちにさせてくれる。

 アルバムタイトル曲は、映画「おもいでの夏」のテーマ曲で、原題を「SUMMER OF ´42」といい、避暑地における主人公の少年と夫を戦争で亡くしたばかりの美しい女性とのひと夏の物語。その少年は大戦中の1942年夏、訪れた別荘の一室でその女性の哀しみを埋め合わせるように誘われて、童貞を捧げるのだが、一夜を共にした翌日の夏の終わりとともに女性は少年のもとを行先も告げずに去ってしまう。そう書いてしまうといかにも通俗的な青春映画のように聞こえるだろうが、主演のジェニファー・オニールの長い髪と哀愁ある表情がたまらなく美しかったのと、ルグランのロマンチックで繊細なカスケードを思わせるピアノのメロディーが実にマッチしていて、いまでも思い出すと恥ずかしくも胸キュン!となる思い出の映画なのである。都内の名画座スクリーンで見た後しばらくして、渋谷東邦生命ビル内レコード専門店でオレンジ色のジャケットデザインのサウンドトラックアルバムを見つけて求めたのは、大学生時代の1981年のことだったなァ。
 もう一方のステファン.グラッペリのステージには、幸運にも二度接することができた。初来日が80才を越えてのことだったと思うけれど、最初は渋谷シアターコクーンであり、二回目が1995年ころの神奈川県民ホールでその時はすでに車椅子姿だったが、力量はいささかも衰えていなくてまさしく弦で歌うかのような流麗さで実に感慨深く、驚嘆の演奏だった。この来日が結果的に最後となり、グラッペリの訃報に接したのは、それから間もなくしてからだったと記憶する。

 ふたりの共演アルバムには、ほかに「聞かせてよ、愛の言葉を」や「セ・シ・ボン」「枯葉」などのよく知られたシャンソンの名曲の数々も入っていて休日をゆっくりと過ごすのにはうってつけ、幸せな気分にさせてくれる。今日・明日・明後日とグラッペリを偲び、またルグランの健康長寿を願い(叶うことならふたたびオーケストラを伴っての来日公演を!)、この季節にもふさわしい愛すべき珠玉の演奏を聴き続けることにしよう。


 映画「五月のミル」(監督:ルイ.マル、1989年)は未見だが、作曲のグラッペリに敬意を表してその五月にふさわしいのびやかな一枚を!町田ぼたん園・民権の森の広場に翻る鯉のぼりたち。いい感じ!                            
(5.25初校、5.26追記改定)

星の王子さまと赤いバラ

2014年05月23日 | 日記
 住まいの近くに“湘南”ならぬ“相南(そうなん)”という地所がある。そうはいっても一般的には何もイメージが浮かばないだろうけれど、東海大付属相模中学高校の名前をあげると、ああ“そうなん”ですか! といった、もうのっけから脱力感溢れる反応が返ってくるのだろうか?この辺りは小田急線でいうと、江ノ島線中央林間駅と小田原線小田急相模原駅を結ぶ三角地帯、相模原と座間と大和市の境界にあたり、住宅地の中に戦前からのゴルフ場(相模カンツリー倶楽部)が拡がっていて、適度に閑静で人為的ではあるけれど緑が豊かなところである。唯一の難点は、厚木飛行場に近くてときおり離発着する軍用飛行機の騒音に悩まされる点だ。

 天気がよくて気持ちいの良い休日、この辺りの住宅地を久しぶりに散歩しならが目に入ったいくつかのこと、連想したことなどを書き綴ってみるとする。まずは、東海大付属高校から脇に少し入っていくと、「相模原の住宅」(1992年、野沢正光建築工房)が目に入ってくる。ここは建築マップ横浜・鎌倉編でその存在を知ったところで、設計した建築家の自邸である。敷地は70坪あまりと周辺では平均的な広さ、OMソーラー設備を搭載した鉄骨造りの二棟を階段のある廊下でつなげた中庭に、珍しいセンダンの大木が枝を拡げているのが印象的なたたずまい。いまは鮮やかな新緑が芽吹きだしていてこれがもうすこしたって紫色の花が芳香を漂わし、初夏になると豊かな緑陰を住宅全体に広げてくれて、天然の避暑カーテンのような役割を果たすことになる。両側にはほかの住宅が並び、あまり外観が外からは望めないのが少々残念だが、基本的に簡素な素材を用いながら住み心地よさそうな住宅であり、よくメンテナンスが行き届いていて、建築家自らが愛着を持って住まわれていることが伝わってくる。

 その斜め前には、緑ヶ丘出雲神社の小さな祠がある。由緒書きによると、戦後このあたりが開墾されて新住民が暮らし始めたころに島根県出雲大社(竹内まりやの故郷だ)から分霊されたものだそう。鳥居の横には、狛犬のにかわりにウサギ石像がちょこんと鎮座している。りっぱな青銅製の龍口から自動で水を注いでくれる手水鉢もある。地元自治会でしっかりと管理されていて、地域コミュニティの拠り所となっているのだろう。
 神社と「相模原の住宅」の間の通りを進んだ先には、ベージュの家壁一面にバラを中心に春の季節のさまざまな花々でガーデニングされた住宅が目に入ってくる。角地に立つ住宅、90度回った玄関入口側まで花花で埋め尽くされているっていう感じで実にお見事!このあたりの家々は比較的敷地に余裕があるとことが多く、それぞれが思い思いに庭の木々や花々を育てていて、散歩していてすこし得をした気分になってくる。

 ここでようやくタイトルの「星の王子さま」にたどり着いたかな。相南とはまったく離れているが、昨年五月の帰省の際に関越自動車道下り三芳PAで見かけた風景のスナップがあまりにこの季節にぴったりなので、バラつながりでここに掲げようっと。ここのパーキングエリアは、星の王子様をモチーフにしたテーマパーク仕立てになっていて、建物・ショップ・庭園などすべてがその世界を構成している世界で唯一?のPAだろう。


 A.サン・テグジュペリ(1900-1944)の「LA PETIT PRINCE」“星の王子さま”本文プロット20番目には、王子さまが砂原と岩と雪をふみわけて歩いて行ったさきでバラの咲く庭にでるシーンが描かれている。

竹内まりやニューアルバム「TRAD」

2014年05月18日 | 音楽
 今朝は六時前に目覚めたのだけれど、すでに春の陽光が中庭に面したマンション別棟の白い壁面をまぶしく照らしていた。住まいのベランダから望める中庭の風景は、この季節の新緑がほんとうに豊かで鮮やか、日々眺めていて見飽きることがない。シンボルツリーの二本の欅を中心に、ツツジ・サツキ・ハナミズキと春の花々が季節を彩り、常緑の椿・モッコク・ヒイラギも新緑が美しい。べランダ正面にあるユズリハにはよく野鳥がやってきて葉をついばんでいた(ユズリハの葉っぱってどんな味がするんだろう)。本数は少ないが、メタセコイア・ウメ・モミジ・ドウダンツツジ・アジサイも見ることができる。ケヤキの樹形がマンション棟の壁面に深い影を映して、そこにやがてくる夏の予感を感じさせる。
 駐車場のある北側斜面には深堀川につながる自然林が残されていて、ここにも豊かで稀少な植栽があることはすでに記した通りでこのような環境に暮らしていることに感謝したいし、この緑が普段の生活様式や日常の考え方に影響を与えてくれているのだろう。

 さて前回、竹内まりやの現時点での最新アルバム「Denim」のことを書いたあと、15日の朝刊を開いたらびっくり!竹内まりや7年ぶりのニューアルバム「TRAD」9/6発売告知が全面カラー!で掲載されていた。うーん、こういうのをまさしく、“シンクロニシティ(素敵な偶然)”と呼ぶんだろうな、とちょとうれしくなった。たとえて言うと、早朝目覚めてある人のことをぼんやりと思いながら、たまたまPCメールをひらくとそのひとから早朝のメッセージが届いていて、すこし先の水無月の予定について書かれていたことを読んだときと同じような嬉しさ!なのかもしれない(やや無理がある?まあ、歌詞の内容にもはまりすぎだしね)。

 竹内まりやについての個人的なことを記すと、じつは自分でも驚いたことにその名前をずっと最近まで“まりあ”だと思っていた。“まりや”は本名だそうで、勝手にクリスチャンなのかと思い込み、それでうかつにもマリア様から“まりあ”と連想してしまったのかも。いまから思うと貴重な体験に違いないが、80年代前半に一度だけ、まほろ市にある百貨店地階の赤レンガ通ショップの招待で開かれた彼女のコンサートを聴きに行ったことがある。まほろのことを神奈川だと思っていたことや、少し前にとなりの相模原で行ったコンサートのこと(会館前の桜並木通りが広くて立派だったetc)をステージ上で話していたっけ。彼女の歌の何に惹かれるのかというと、よくできた無理のなく親しめる(だから飽きがこない)ポップス性にあるのだけれど、なんといってもそのナチュラルで落ち着いた声質が愛される所以だろう。聴いていてほっとするというか、安心するというか、近くによると照れてしまい、遠くで憧れるひと、といった印象ではある。
 好きな建築との関連では以前、NHK「ソングス」に竹内まりやが登場した動画をネットで見つけて、そこに吉村順三が設計に関わった八ヶ岳高原音楽堂を訪れている姿が映されていた。実際に何をうたったのかの映像ははカットされていたけれど、思いがけない取り合わせに目がクギ付けとなった。この音楽堂、以前はセゾングループの西洋環境開発がリゾートホテルの目玉として建設したもので、主にクラシック音楽演奏家に利用されていて、謳い文句では武満徹やリヒテルが音響上のアドバイサーに加わっていたというから、相当の箔がついている音楽堂なのだけれど、そこに竹内まりやの登場がそれなりの意味を付与されて飛び込んできたのだ。

 ニューアルバム「TRAD」のロゴは、赤のタータンチェックの柄であり、彼女の1978年デビューからの35周年記念にあたるのだそう。発売予告コピーには、このアルバムが(おそらく)時代に流されない世代を超えて愛されるエバーグリーンな楽曲集であろうことが期待感をもって書かれていて、トラッドなVネックセーターを白いシャツに羽織った本人の若々しい写真が大きくアップさている。
 還暦前!というのにデビュー当時とさほど変わらない風貌には驚かされるけれども、正直にもっと年齢相応の年の重ね方がでていてもいいのではという気がする。たとえば、駐日大使のキャロライン.ケネディさんのように、相応の顔の年輪や白髪交じりの髪などに共感できる年代だ。プライベートとは違うにしても、少し人工的な感じがして、もっとナチュラルでいいのになあ、と少し残念に思う。
 ともあれ、9月のアルバム発売を心待ちするとともに、7月23日に先行してニューアルバム「静かな伝説」が初回盤DVD付で発売されるそうだから、生まれて初めて音楽ショップに購買予約してゲットしよう!


補足:
 前回のブログで、まりやと山下達郎との音楽上の初めての公的つながりを4thアルバム「MISS M」からと記したが、今回その前作「LOVE SONGS」を引っ張り出してみると、その中で「さよならの夜明け」作曲者と「不思議なピーチパイ」のコーラスメンバーに達郎名義がクレジットされていて、当時同じRCAレーベル所属だから、デビュー当時からつながっていたのかな。

竹内まりや「人生の扉」

2014年05月10日 | 音楽
 今月の上旬、故郷新潟へ帰省していた。この時期の山間は、緑と生命溢れる季節、春の陽光と大気にいのちが洗われる。すこし山間を上って棚田を見下ろす位置からは、山里風景と遠きに冠雪をいただいた長野との県境の美しい山並みが望めた。ああ、人間は自然の中で生かされているなあって、つくづく実感させられる。
 戻ってきて、まほろの住まいの裏の自然林の緑もいよいよ濃くなり、ヤマザクラ、ヤマブキに代わって稀少植物のキンランが可憐な花を咲かせている。今年はうれしいことに初めてギンランも二株、植生を確認することができた。こちらはよく注意しないと気がつきにくらい緑の下草にまじってひそやかに清楚に白い小さな花を咲かせてくれている。

 帰省の前後、ほんの少し上の世代にあたる竹内まりやのCD「Denim」(2007年)を聴きだす。1978年の慶應大学生時代にデビューして、当初は女子大生アイドル的なスタンスで売り出されていたのだけれど、セカンド「ユニヴァーシティ・ストリート」、サード「ラブ・ソングス」あたりから、アメリカポップスカバーと自作オリジナル曲を前面に出すようになり(もともとそれが彼女の本領だった)、特に後者は私にとって思い出深いアルバムになった。大学生時代の夏休みに北軽井沢の嬬恋村にある会員制別荘地でアルバイトをしていたのだけれど、そこでよくひとり早起きして浅間山の雄姿を望みながらカセットテープ!で聴いていた曲が、竹内まりやの「ラブ・ソングス」だった。冒頭の「FRYAWAY」(詩C.B.セイガ-/曲ピーター・アレン)の伸びやかな歌声が、爽やかな避暑地の早朝にぴったりだった。そこですっかりはまってしまい、帰ってから4THアルバム「Miss M」(1980年)をよく聴いたのを思い出す。それはいまも手元に愛聴盤としてあるのだけれど、このアルバムの中で山下達郎が二曲「エブリイ・ナイト」「モーニング・グローリー」を提供している。これが、まりあと達郎のはじめての接点でいまにつながるきっかけだったと思う。

 さて、前置きが長くなったけれど、この「Denim」の中のラスト曲が「人生の扉」なんだ。じつをいうと竹内まりやは「Miss M」以来、しばらくご無沙汰していてた。達郎&まりやの理想の音楽カップル、才能のある夫を支える主婦専業シンガーソングライターという世間レッテルに少々の反発も感じていた。久しぶりに「インプレッションズ」をひっぱりだしてその良さを再認識してまた聴きだしたのだけれど、あまりによくできたスタンダードともいえる楽曲の数々に満足して、ほぼその範囲の中でとどまってしまっていた。
 ところがである、ドライブ中に何気なく「Denim」を流していて、ある日歌詞の中の「気がつけば五十路を越えた私がいる」というフレーズにはっと気が付いた。このおおよそこれまでの彼女の音楽イメージらしくない言葉と自分の年代が重なり合った瞬間、これまで「デニム」というタイトルにピンとこなかったけれど、この「人生の扉」って曲は竹内まりあが自分と同世代にむけた人生肯定の応援メッセージソングだったんだ、と。そう気が付いて、改めてCDリーフレットに記載された竹内まりや自身の文章を読むと、ちゃんと以下のように書かれている。

 アルバム「Denim」について

 人生はまるでデニムのようだと、私は思う。
 青春をおろしたての真新しいインディゴ・ブルーにたとえるとすると、
 年を重ね人生が進むにつれて、そのデニムの青は少しずつ風合いを増しながら、さまざまに変化していく。
 ある時には糸がほつれ、穴が開いたりもする。
 けれど、歴史とともに素敵に色褪せたその青には、若き日のあのインディゴにはなかった深い味わいが生まれているはずだ。

 この中の「人生の扉」という曲はタイトルからして、気負いもてらいもなく人生賛歌にそのまま向き合っていて逆に、彼女の余裕のようなものを感じる。ピアノ主体の演奏や落ち着いた歌唱も真っ向勝負の大人の曲そのものですがすがしい。リーフレットの写真には、デニムスカートやジーンズをまとった竹内まりやのショットがあって、舞台となった瓦屋根の日本家屋はクレジットされてないのだけれど、はたしてどこだろうと想像するに、おそらくこれって島根出雲地方出身の彼女の生家の旅館ではないだろうか? ちょうどこの春が去ろうとする季節、帰省したばかりのタイミングに相応しい心象も相まって、この歌曲の歌詞を引いてみるので、もし興味をもってくれて機会があったら聴いてみてほしい。

 人生の扉

 春がまた来るたび ひとつ年を重ね
 目に映る景色も 少しづつ変わるよ
 陽気にはしゃいでした 幼い日は遠く
 気がつけば五十路を 超えた私がいる
 信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったから
 どんな小さいことも 覚えていたいと 心が言ったよ
 
 (作詞・作曲/竹内まりや、編曲/山下達郎、センチメンタル・シティ・ロマンス)