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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

中野サンプラザと鵠沼訪問記

2023年02月27日 | 日記

 如月の初め、熊本の友人が仕事の出張で上京してくることになり、よかったらどこかで会おうよ、ということになった。二泊三日の滞在の内の機会に用件や会いたい人、訪れたい場所があったようで、何度かのやり取りの後に「ひとまず中野で逢いましょう」ということになった。

 この友人とは40年来近くにもなる付き合いでその始まりは、いまも中野駅前にあって良く目立つ白亜の三角形ビル、当時の正式名称“全国勤労青少年会館”内に存在していた「勤労青少年大学講座」の受講生としてである。ずいぶんとお役所的な硬い印象のその会館の愛称こそ「中野サンプラザ」で、1973年6月1日に開館して今年で半世紀50周年を迎える。東京在住者ならだれでも知っているランドマークのひとつだろう。

 当時からそしてこの七月に閉館が迫っているいまも、ポピュラー系コンサートホールとしての知名度は抜群といっていい。くわえて地階にはプール、ボーリング場、地上階には学園講座、研修室、図書館、職業相談室、上層階にはホテルや展望レストランと都市の要素が何でもひとつの建物中に揃っている夢の空間だった。
 その中野サンプラザが、中野駅北口周辺の大規模な再開発に伴って今年の7月2日でとうとう閉館し、取り壊しが決まったという。昭和40年代から平成にかけての都内における象徴的な建物のひとつ消えることになる喪失感は大きい。


 その思い出の詰まった中野北口にあるサンモール商店街の奥の横丁、当時からある魚料理の名店「陸蒸気」ですこし早めの乾杯!一階から二階へと吹き抜けになっている囲炉裏端を取り囲むカウンター、古民家の太くて黒い梁がそのまま店内に使用されている様子はなかなかの迫力。十年前の大学講座同窓会はここで開かれたが、入り口前のにぎやかな踏切警報気音は鳴っていなかったけれど、まったく当時のまま健在なのは嬉しい。
 夕方五時前で二階席を案内されたがおじさん、おばさんだけでなく、つぎつぎと訪れる若者たちで大にぎわいなのに驚かされる。決して値段は安くはないのに、内装の雰囲気と鮮度の良い魚料理のうまさが今も昔も人をひきつけるのだろう。

 午後七時前くらいに店をでて、飲食店街雑踏の中を駅方面へ向かい、喫茶「ルノアール」でクールダウン。中野駅ホームから望めるサンプラザのシルエット姿、窓には煌々と明かりが輝いている。この見慣れた光景も間もなく見納めとなる。少なくとも仲間うちで眺めるのは最後だろうか。中央線新宿駅で乗り換えて小田急線で帰路に着く

 翌日午前10時前に藤沢で待ち合わせて、サンプラザ講座生時代にお世話になった恩師、江橋慎四郎先生の仏前参りへと伺う。お供えの物は、この季節イチゴとお菓子にして、江ノ島線に乗り込む。
 鵠沼海岸駅で降りて、生活感のある商店街を懐かしく感じながら通り過ぎ、落ち着いた住宅地の中を少し迷いながら当時の面影のある古風なご自宅へと向かう。途中、あの欧風菓子店舗「クドウ」もいささかくたびれているが、当時のままに在るのだった。

 ご自宅玄関では江橋先生の娘さんが迎えてくださり、奥様はことし百歳を迎えられてご健在だった。良き時代を写し取ったような居間のソファ、そこから望めるふるくて落ち着いた中庭の植栽。すべての時間が泊まったかのようだ。わたしたちはまだ二十代であった約40年前の青少年大学講座生の夏のときに招かれて、この居間に集わせていただいた。そこから江の島の望める鵠沼西海岸まで歩き、海水浴をして遊んだ記憶が鮮明に蘇る。
 仏前に合掌させていただき、いくつかの思い出話をしてお昼間にお邪魔をするつもりが、恩師の若き学徒時代、戦時の運命に翻弄された神宮外苑競技場での歴史的エピソードや晩年のご様子などを伺っているうちに、進められるまま折寿司のお昼までいただいてしまうことになる。
 約二時間弱が過ぎてようやく話が落ち着き、お暇しようと立ち上がると、故人の好物であったという鎌倉豊島屋サブレ―セットの紙袋を持たせていただき、おおいに恐縮するのだった。

 玄関口で靴を履こうとしてあらためて目に入ってきたのは、額縁に飾られた大津絵「藤娘」、好きな画題である。外にでてから影向の松の枝が伸びる門柱を見れば、時代を経ていい感じに風化した大谷石が使われている。住宅地家屋のあちこちに、鵠沼別荘地のなんとも古き良き時代の面影が残っている。