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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

こどもの国、戦後75年夏の終わりに

2020年08月26日 | 日記

 夏の終わりの昼下がり、長津田からこどもの国線に乗ってゆっくりとカーブを過ぎ、恩田川を渡るとすぐ両側には伸び始めた稲穂や梨畑といった田園地帯がひろがる。二両連結車の外側は、ひつじたちのイラストラッピング、車両内にはメルヘンタッチの牧場情景が描かれ、床にはひつじの歩いた足跡が印されている。ひとつ目の「恩田」駅をすぎたと思ったら、もう終点の「こどもの国」に到着。わずか10分二駅、ローカルでのどかな鉄道旅である。

 この日は、開園55周年を迎えた「こどもの国」を訪れることが目的だ。予定よりすこし早く到着したので正門に向かう前に、地元で評判のパン屋へ立ち寄ることにした。
 大きなショッピングセンターのさきの信号を右折してしばらく歩いた大通りに面したマンションの一角にベーカリー「パナデリア シエスタ」がある。シエスタ=昼寝、という名前のそのお店は、本当に小さな間口で、入り口上の壁面いっぱいのおおきな木製看板と田舎の民家風の白壁に木枠の窓、外にはいくつかの椅子がおかれている。工房では三人ほどの女性が甲斐甲斐しく働きまわっていた。
 オーナーが自ら栽培した地場の小麦を使用して製粉し、天然酵母手作りなんだそう。売り場に並んだパンはごつごつした風合いがあり表情豊か、焼き立ての香りが匂ってきそうでじつにおいしそう。長型ボール形プレーンタイプとくるみイチジク入りホールタイプの二個を購入。お店の紙袋が欲しかったのだけれど、持参の折り畳みバックに入れて持ち帰ることにした。

 そこから歩いてふたたび駅前まで戻り、桜並木のさきの奈良川と車道にかかる陸橋を渡ったら、こどもの国正門入り口広場である。ここの改札で見学に来た旨を伝えて入場させてもらう。
 たちまち見通しのきく、広大な緑地がひろがる。中央広場のある脇の遊歩道をしばらく行くと、木立のなかに三角錐の大きな赤色屋根が目に入ってくる。これが「皇太子記念館」で、コンクリートの土台で支えた鉄骨に掛けられた大屋根が迫力だ。形状としては、集会所か体育館のイメージである。大屋根のおかげで雨に打たれていないためか、外観打ち放しのコンクリートは思いのほか新しく見える。
 この建物が開園当初からあったかどうかはわからないが、できた時から相当に目立ったことだろう。これから改修工事が予定されているとのことで、肝心の360席あるというホール室内は残念ながら見ることがかなわなかった。

 記念館をあとにして芝生広場を下ると、そこには屋外プールのスペース、冬はスケートリンクになる。この夏プールは休業となり、そこにはこどもたちの歓声もなくガランとしている。巨大なうねるチューブスライダー出口には蓋がされていた。
 その横にある乾いた三連の水流滑り台を目にしたときに、突然四十年近く前の学生時代、この滑り台を歓声をあげて降りた自身の姿がフラッシュバックしてきて、ちょっとしたとまどいを覚えた。はたしてその一瞬の記憶のよみがえりは、この場所のものだったかも定かではないようにも思えたが、改めて目を凝らしてみるとそれはまぼろしではなく、ここでの身体感覚の記憶のものと確信できたのである。
 思い起こせば、当時は導入されたばかりで話題のスライダーチューブを初めて体験したのも、ここの場所ではなかったか?誰か友人やガールフレンドと遊びに来たわけではなく、時間を持て余したちょっと空疎な夏の一日のことだったように思える。時の流れははやく過ぎ去ってしまったのに、たまたま思いがけない淀みにはまってしまったように、突然ひとりぼっちの夏の記憶が甦ってきたのだろうか。

 過去の記憶をたどるように、さらに園内奥へと遊歩道をすすむと、防空壕のようなコンクリートトンネルと、円形古墳か甲羅のような形状のコンクリート製たたき仕上げの古びた物体が目に入ってくる。これこそ開園にあたって起用された、当時新進気鋭の造形作家イサム・ノグチがデザインした児童遊具のひとつだ。微妙なカーブのこだわりに微かにその片鱗を見てとれる(気がする、というのが正直なところ)。
 イサム・ノグチの造形遺跡はもうひとつ、その先の半分汚れて朽ちかけたような温室の通路脇の児童遊園跡の草地に残されていた。「オクテトラ」と命名されたコンクリート製遊具で、不規則に配置されて一部が積みあげられたものもある。古びてはいるものの、赤みがかった濃いベージュのペンキでメンテナンスされている。コンクリートのほうがモダンだった時代があったのだろうか?この安普請の造形が、空調の効いた美術館の中で目にする天然石の作品よりも作者のアウラをまとって漂ってくるのは、そこに半世紀以上の時間経過を重ねて見るからだろうか。

 こどもの国が開園したのは、昭和四十年(1965)五月五日のことで、さきの「皇太子記念館」の名前にあるように、ここは元田奈弾薬庫と呼ばれた戦争遺構の地を、先代平成天皇が皇太子時代のご成婚を記念して、国が建設を進めた広さ百ヘクタールにもおよぶ“児童厚生福利施設”なのだ。
 敷地全体のマスタープランは、厚生省と朝日新聞社によって組織され、その中心は建築家・都市計画家の浅田孝が担ったとある。個々の具体的な設計に際して、黒川紀章、大谷幸夫やイサムノグチをはじめとする若手グループが結成されて、意欲的な建築物や工作物がつくられっていった。その当時をしのぶことができる数少ない遺構がさきの児童遊園跡の造形物というわけだ。

 来た道をもどり、ふたたび中央広場を望む木陰のベンチにすわって、アイスバーを口にしながら涼む。そうこうしていると遠く園内スピーカーから閉園をしらせる「夕焼け小焼け」のメロディーが流れてきた。この広大な緑の森のなかでそれを聴いていると、どこかのどかでありながら幾分哀しく、郷愁をさそわれるような気分になるのは、年齢を重ねたからなのだろうか。

 こどもの国という名のたくさんの過ぎ去った時間と思い出、消え去ってしまった夢、なつかしい未来、さまざまな感情が織り交じって、緑滴る地上に押し寄せてくる。
 戦後75年、蝉しぐれ夏の終わりのひとときに新型コロナウイルス禍収束と平和の続くことを祈る。

児童遊園地跡「オクテトラ」 造形デザイン:イサム・ノグチ(1965年)


スクリーンに映された三河湾と蒲郡ホテルの情景

2020年08月04日 | 文学思想

 八月に入って、ようやく関東地方の梅雨明けが宣言された。といっても、いつもと異なる重苦しい今年の夏、例年やかましい程の中庭のセミの鳴き声もいまひとつのようで、あきらかに戸惑っている気配がする。夕暮れに二度ほどヒグラシの「カナカナー、カナッ」を聴いたと思ったら、すぐに鳴き止んでしまった。
 陽光の下、花火のように咲く誇る百日紅の花があちこちの庭先で目に入るようになったし、鮮やかな黄色の大輪向日葵はこれからもうすぐが本格的に咲き出すだろう。遅まきながらの夏がやって来た。

 そうこうしているうちに、暦のうえでは七日がもう立秋にあたるから、2020年の盛夏は、気が付くと一週間ほどで過ぎ去っていってしまうようにも思える。その分、残暑がだらだらと続くのだろうか?これまでさんざん長雨が続いてあちこちで被害の跡を残していったばかりというのに、秋になって去年のように大型台風が立て続けにやってくるのだけはなしと願いたいものだ。 
 
 七月上旬に一泊二日の往復高速道の新潟帰省をしてから、車を十二か月点検に出し終えて、見えずらくなっていた眼鏡を新調したり、健康診断を受けてきたり、友人と久しぶりに再会したりと、わりと慌ただしく過ごしていたのだ。
 そうしたら、仕事からみで新型コロナウイルス騒動のとばっちりを受ける羽目になってしまい当事者にこそならなかったものの、あれこれやり取りに対処する日々だった、やれやれ。もし、この時期に東京オリンピックが開催されていたとしても、それどころではない状態で過ごしていただろう。

 さかのぼるふた月あまりまえに、三河湾蒲郡を訪れたのが夢まぼろしのようにも思える。あのとき高台の滞在先の部屋から、橋でつながった先にこんもりお椀のように茂った木々に覆われた竹島を眺めていた時間の記憶をときおり、繰り出してみようとしている自分がいる。

 東海道線蒲郡から車ですぐ、三河湾を望む丘の上の昭和初期に建てられた楼閣は一階ロビーに入ると吹き抜けに林立する柱と照明、二階の回廊と手すり、見事なアールデコ装飾空間が広がる、時のないホテル。
 海側三階の部屋からの眺めは、正面に歩道橋とつながる竹島が望めるロケーション。そこで午後からの時間をひたすら慈しんで過ごしているうちに気がつけば夕暮れ時になっていた。窓のカーテンをひくと夕闇にうかぶ欄干の灯かりの連なりが大鳥居へ続き、その先の杜は闇につつまれていた。
 翌朝、海岸まで下ると橋のたもとは干潟になるとたくさんの磯鴫が餌をもとめて集まってきている。島にわたって神社に参拝し、外周遊歩道を巡った後にふたたび橋をわたって対岸へと戻る。かつての大旅館常盤館あとには、明治末期築の元医院が移築されて「海辺の文学資料館」が建っていた。

 その外観の佇まいと三河湾の風景が、小津安二郎監督の「彼岸花」に映されている。昭和33(1958)年の松竹映画だから、前回東京オリンピックの六年前のこと、まだ東海道新幹線が開通する以前の時代の物語だ。
 竹島とそこにかかる長い歩道橋の途中で浴衣姿の二人が会話を交わしているシーン、笠智衆と佐分利信のふたりだ。旧制中学の同窓会で、関東と関西の中間地点にあたる風光明媚な蒲郡の海辺にある常盤館を訪れていたときの、朝食のあとの散歩だろう。欄干にもたれた笠智衆のさきに、丘のうえの横長の楼閣全景が何度か映り込んでいた。いまはないボイラー室煙突から煙が上がっているのが見える。
 ふたりは、父親の思い通りに運ばないそれぞれの娘の結婚の行方について、しみじみと語り合っている。いつものことながら世代の違いに時代の違いが透けている。致し方ないと思いつつも、やるせない思いに囚われてどうやら父親の思い込みで娘の将来を左右することはできないだろうということに気が付かされて、なんとか納得しなくてはと思いながら、その落としどころを探って言葉を交わすのだ。

「彼岸花」(1958年/松竹大船/カラー/118分)監督:小津安二郎 原作:里見弴 
 出演:佐分利信、田中絹代、有馬稲子、久我美子、佐田啓二、笠智衆、山本富士子

 7月の末、雪ノ下川喜多映画記念館で映画をみたあとに、ちかくの鎌倉文華館鶴ケ岡ミュージアム(元神奈川県立近代美術館、設計:坂倉準三、竣工1951年)を訪れる。
 白蓮の咲く平家池水面にモダンな“白い宝石箱“が反転して、空とともに映っている。杜と池に囲まれたミュージアムの入り口がかつての正面階段から西側に替わっている。あとから増築された新館は取り壊されて芝生広場に変わっていた。もとの学芸員室だったコンクリート打ち放し建築はすっかり撤去され、今風の飲食スペースへと建て替わっている。

 
 池に突き出した二階部分と一階回廊手摺、スイレンの咲く水面が反射してベランダ天井に映る。鎌倉鶴ヶ丘八幡宮境内ならではの、この情景が好き!

 対面からみた全景、白蓮極楽浄土に浮かぶモダニズム建築が眩しすぎる!