日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

齢を重ねることで気づく旅  琵琶湖畔篇

2015年03月26日 | 旅行
 旅の二日目は曇り空の金沢をあとにして、JR北陸本線から湖西線を特急サンダーバード号で下り、琵琶湖の西側湖畔沿いに京都へと向かう。

 途中の石川県内には松任、小松、加賀市大聖寺と平坦な日本海に面した平野の田園風景が続く。地図をみるとこのあたりの近郊には山中、山代などの有名温泉郷が点在していて、やがて雪の県境を越えた福井駅で停車する。ここは前日早朝まだ薄暗い中、金沢行の高速バスが停車したところなので、駅前の風景には覚えがある。駅の西方には金銅の福井大仏の姿が聳えていて、どことなく少し財力のある地方都市にあるような典型だ。続いて眼鏡フレーム産地として有名な鯖江から武生を過ぎると、京都府に近い北陸トンネルをくぐって敦賀に到着。そこからふたたび山間せまる県境越えのトンネルをぬけて、西浅井町の近江塩津で北陸本線とわかれて湖西線に入り、マキノ町あたりでようやく琵琶湖の北端に到達した。滋賀県近江は、「淡海国」とも書かれ、その異名が目の前の広大な琵琶湖からきていることが車窓の眺めからも次第に実感される。どんよりと曇った冬空のもと対岸の伊吹山地がうっすらと望めて、湖畔には今津の松並木が続く。じつにのどかな情景のなか湖上の視線の先には、ずんぐりした形の竹生島が望めて、対岸の町は長浜であるはずだ。なんだかすこし眠くなってきて、ふと気がつくと、窓側隣のひとは時々目をつむっているかのよう、その柔らかな横顔越しにたゆたう風景を眺めていると、静かに時が流れていってその風景が次第にゆっくりと身体に沁みていく、せつないくらい。

 やがて線路は湖畔からすこし内陸に入ってきて、途中通過するホームの「安曇川」という文字が読めた。ふたたび湖畔に近づくと近江舞子のあたりで、リゾートホテルやロッジ、ヨットハーバーなどが目につき始め、車窓右手には白雪の比良山地が迫っている。お昼のお弁当に買った笹押し寿司を二人して食べ出したのは、このあたりだったろうか。ああ、これまで何度か日本地図を拡げながら夢想していたのは、じつにこの風景が眺めてみたかったからなのだ、ずっうと。金沢から京都へ北陸路で移動しながらのふたりの視線には、いったいなにが映っていくことだろう。それにしても、ふたたびここを再訪したときに、このあたりの湖畔周遊の道路を初夏か初秋あたりにドライブしたら、どんなに気持ちが解放されることだろうか。いつか必ず実現したい夢のひとつとして加えることにしよう。

 しばらくすると琵琶湖大橋がみえてきたが、このあたり琵琶湖が最も対岸距離が近くなるところ、つまり瓢箪形のくびれの位置にあたる。雄琴をすぎると次第に街並みに俗っぽさが増し、大津周辺のビル街や高層マンションも視界に入ってくる。日吉大社のある坂本から右手に迫る山を見上げて、「ここが比叡山なのね」と隣のひとがつぶやく。数年前に研修で滞在したなつかしい唐崎を過ぎて、近江神宮と三井寺の間をぬけるように線路は逢坂をトンネルで通過する。山科盆地をへて京都駅に到着したのは、午後一時すぎ。すぐに在来線に乗り換えて、ひとまず宿泊先がある山科へと戻ることにした。

 午後からは、いよいよ京都東山周遊と国際現代美術展2015見学のはじまり、スタートは昨年竣工したばかりの京都国立博物館平成知新館からである。

齢を重ねることで気づく旅 金沢篇

2015年03月23日 | 旅行
 21日は春分、これから日々陽光の注ぐ時間がすこしづつ長くなっていく。金沢・京都からの旅から戻ってきて、はや一週間がすぎた。その間にすいぶんと春の兆しが進んだようで、早咲きの河津桜は濃いピンク色、コブシは白い花を満開してに咲き誇っているし、中庭のケヤキの枝枝の先も薄緑色の新芽がふくらんで、もう春を待ちきれんばかりに伸びだそうとする寸前の様子だ。
 “このたびの旅”の風景の断章をいくつか。まだまだ寒さの残る雪の金沢からJRで北陸路を下り、琵琶湖西岸のやや鄙びた山あいを抜けて、のどかさが残る湖岸に広がる里山風景を眺めながら、京都まで移動し山科を拠点に東山と岡崎周辺を巡る丸二泊三日の凝縮された旅。

 翌日の北陸新幹線開業を控えた十三日早朝の到着、金沢駅前は予想どおりの寒さ。夜行バスの疲れを朝スパで流した後は、十間町の宿泊先に荷物を預けて、そのままタクシーで卯辰山頂公園まで一気に上がると、展望台周辺は雪国らしく一面うっすらと白く覆われていた。あいにくの曇り空で能登半島方面や日本海は望めないけれど、金沢駅方面の町並みが一望される。金沢城公園や雪つりされた姿の松の木々で兼六園の位置を知ることができた。吐く息が白く、この北国の空のもと、雪原に記された足跡にこれからの旅の時間が始まることが実感されて、まるで無邪気な子供のようにうれしくなる。
 
 帰り道の途中、タクシーを降ろしてもらって、坂道を下る途中の寺の境内から浅野川の流れと、黒々と低く連なる瓦屋根に規則的な残雪が幾何学模様のように記されたひがし茶屋街方面へと降りて行く。
 町屋を改装した工芸ギャラリーで、和紙に印刷された写真、九谷陶芸、漆工芸、眼鏡、盆栽などに小一時間ほど見入って過ごす。このあとは浅野川を渡って、観光定番の兼六園へ。園内を巡って歩き、茶店「兼六亭」で昼食の治部蕎麦をいただく。ここの梅園はこれからの開花時期を迎える様子、新幹線開通前の平日で時々の雨降りということもあって、まだ人出はそれほどれもなく、ゆったりとした雰囲気がよかった。
 随身坂門口から通りを渡り、県立美術館の脇の斜面緑地のデッキを下って、本多町の鈴木大拙記念館を再訪する。昨年11月の際は、背後斜面の銀杏の黄色い葉がまだ鮮やかに残っていたが、いまの季節はモミジの木々も枝枝をひろげて、その先の新芽が春の到来予感を秘めているかのよう。まちなかの深い思索空間のなか静寂の池の水面には、その木々の姿と冬の曇り空が映りこんでいた。

 記念館ちかくの鈴木大拙生誕地に立ち寄ってから、金沢21世紀美術館へと歩く。到着して中に入ると、こちらは雨宿りも兼ねた様子の観光客でなかなかの賑わい。「ジャパン・アーキテクツ1945-2010」展を再見する。全体6セクションの構成からなり、今回は見落としの展示内容の再確認も含めて、じっくりと見て回ることにする。
 第1セクションの戦災から立ち上がった初期、あるいは戦前からのの歴史的建築物のかけら展示物が、赤瀬川さんたちの路上観察学メンバー、一木努コレクションから成ることに気がつく。第2セクションの前川國男、坂倉準三、A.レーモンド、大江宏、吉村順三、村野藤吾ら巨匠の古びて破れもした設計図が妙に生々しい。第3・4セクションはよく知られた近現代建築模型の数々、メタボリズム、1970年大阪万博会場の近未来型模型、それに見落としていた郷土高田出身の異色建築家渡邊洋治の「斜めの家」模型とようやく対面。第5セクションは1975年以降が対象で、建物が現存していて現役で活躍中の建築家も多い。最終第六セクションが現在進行形を含めた建築状況を網羅した形となっていて、現在と未来はいよいよ混沌としている印象だ。表層上の多様性のなか、じっくりと地に足の着いた社会や生活とつながりのある建築はどのようにして成り立つことが可能なのか、が大きな課題だろう。

 夕刻、回遊バスに乗り近江市場で下車して十間町の今夜の宿泊先の旅館に戻る。ここは金沢で最古の歴史をいまにつなぐ宿で、明り取り窓に坪庭、天井に残る太い曲がり梁にその風格をあらわれている。改装したばかりの二階の清潔な部屋に案内される。前室の障子窓をあけて格子越しに外をのぞくと、通りを隔てた真正面にあの中島商店ビルの三階建ての陶タイル張りの外観が望める。戦前の若き三十代の村野藤吾の設計、そのいまも現役の歴史的建築の前にしたここの場所を選んで今宵滞在することの幸運と不思議さにとまどい、夢が現実となったことに感謝し、そのことの意味を想う。


満月と真夜中のひこうき雲

2015年03月07日 | 日記
 帰り道に南東の空を見上げると、低い位置にまもなく満ちるであろう弥生五日の月が望めた。その上方にひときわ鮮やかに明るく輝く星は何だろうと、にわか興味が手伝って天文手帳で調べると、どうも「おおいぬ座」マイナス1.5等星のシリウスらしい。そのうえあたりにはこいぬ座があるはずで、ひょっとしたら一月末に亡くなった母の愛犬キャバリアのBAGUクンが「僕はここにいるよ」って教えてくれたのだろうか?まあ、ちょっとセンチメンタルすぎるかな。

 その日の深夜、メールの返信を書き上げ、送信ボタンをクリックしてから、ほっとして時計の針を見るともう零時を回ったところ、二十四節気のうちの「啓蟄 けいちつ」となった。この季節冬籠りしていた地中の虫たちが、ようやく目覚めて姿を現し始めるころ。
 ふと、“ほぼ”満月の行方のことが気になってリビングのサッシを開けてベランダに出てみる。しんとしてひんやりとした真夜中の空気を感じながら見上げると、東から南方向の高い位置に上ったほんとに見事な正真正銘の満月!そしてなんと驚いたことには、満月の右側に天空を横断する長い長いひこうき雲が月明かりに映えてくっきりと、天地を上から下方に流れるように描かれているではないか。当たり前かもしれないけれど、ひこうき雲って深夜でもできるんだなあ、でもその時が生まれて初めて出会ったような気がする。やがてその軌跡はゆっくりと満月を跨いで、東の方向へと次第に流れていく。いったいこの月とひこうき雲が交差していく情景って、そのとき密かに思っていた心象の何かとシンクロしていてくれたのだろうか?
 日常の合間のちょっとした奇跡のような真夜中の天体ショーを目の当たりにして、そのひと時の流れをうまく言葉にできなかったのは、人智を超えたような情景がひたすら美くしかったから。自然との出逢いのシンクロニティ、不思議な偶然に、来週末の旅の行方はどうなるだろうかと思いをめぐらす。

 今朝は柔らかな雨が降り、ひと雨ごとに草木萌え動きだし、生命の息吹を感じて、季節の気配を想う日々。

(2014.03.07初校、03.10改題校正)