日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

年の瀬相模湾、江之浦測候所

2022年12月31日 | 旅行

 令和四年の年の瀬に小田原の江之浦測候所を訪れた。早朝のJR東海道線根府川駅下り四番ホーム、降り立つと目の前一面に相模湾の陽光が広がって眩しい。なぎの海面は白波もなく穏やかであり、水平線まで光って三浦半島や房総半島まで続き、手前右に伊豆大島の姿もくっきりと望める。ホーム脇の海側空地には、かつてレンガ造りの倉庫蔵が残されていたのだが、いまは更地となってしまっていて何もない。すっきりとしてあまりの眺望の良さは、あっけにとられるくらい。

 ふと、あのレンガ倉庫を改装したこの海原と水平線をただ黙って眺めるだけのカフェがあったらいいのになあ、と思った。そのすぐ脇に初夏には赤いカンナの花々の咲く、海風の吹き抜ける横長の窓枠のある無垢の木の柱と床と白い内壁の小さな空間がいい。そのなかで晴れの日も荒れたときも、空と海の表情とただ向き合いながら、世の平和と平安を祈れるような鎮魂と安息のひと時を過ごすための空間。


上り四番線から駅舎へと向かう、細くて長い連絡橋。

 そんな夢想をしばし楽しんだ後にホーム中ほどの階段を上ってゆく。壁が白く塗られたすれ違うのがやっとの細い連絡橋を渡ると、小さな昔からの駅舎へと連絡している。こちらの外観はペパーミントブルーに塗られていて、懐かしさを覚えるようだ。舎内壁の端には、茨木のり子「根府川の海」の一篇が、真新しい和紙に墨書鮮やかに額装されて掲げられている。誰かがいつも様子をみて手入れをしているような気がした。

 駅前から連絡のシャトルバスで10分ほど、江之浦測候所参道入り口に着く。ここは、公開前の見学を含めると三度目の訪問だ。入り口に柑橘ならぬ「甘橘山」(かんきつざん)の一篇が掲げられている。「く」の字に折り曲がった道を進むと、岩石が敷き詰められた眺望の良い広場にたどり着く。石のテーブルに石柱をたてた椅子と石づくしの「ストーンエイジ・カフェ」だ。屋外厨房は、鉄製の菅柱で組まれた粗末な鉄板波板屋根の屋台で、これらが時を経て錆びつき次第に味わいを増すであろうことが織り込まれているのであろうか。
 ここからは相模湾がひらけて、真鶴半島も真近かに三ツ石も目にすることができる。残念ながら、カフェは週末だけの営業で、搾りたての果汁は味わうことができない。ふと眺めれば、扁額に「万事汁す」とあり、思わず揮毫者の得意満面の表情が浮かんでしまう。しばし休憩時間のひととき、持参のペットボトル茶で一服、おにぎりを海に向かって思い切り頬張る。

 この先の敷地、相模湾に向かって豊かな光の降り注ぐ南東に開けて、なだらかに下ってゆく。建築物と作庭に関わるもろもろは、その地理特性を生かし切って配置されて、来館者はその通路を巡ってゆけば、杉本博司の意図するところを自然と堪能できる仕掛けとなっている。

 今回特に興味を惹かれたところは、榊の森をくだって現れたかつての蜜柑作業小屋を改装した「化石窟」である。ここに展示された化石コレクションの数々は見事だ。まず最初のモロッコ産数億年前のウミユリの巨大な姿に驚かされる。とにかくアンモナイトの螺旋姿といい、経てきた時間軸の桁数が違うのだ。
 らせん構造といえば、遺伝子DNAの基本構造も螺旋状の組み合わせからなり、太古の記憶を今に伝える。蜜柑小屋、三葉虫や海サソリ、ヤシの葉の化石そして家屋の裏に佇む楠の木の根元にある磐座(いわくら)の佇まいは、不思議な気配に満ちていた。
 遊歩道の途中にさりげなくおかれたベンチは、園内整備で切り出された巨大な丸太を割って組んだものと思いきや、巨大な丸太状の化石の珪化木を真っ二つに割ってしつらえたものだった。今春勧請されたという朱色が鮮やかな春日社に詣でると、背後にはひたすら相模湾の海原が広がっている。

 駅まで向かう県道135号の帰路、ベーカーリー「MUGIFUMI」に立ち寄る。表札にある大野家末裔の敷地にできた古民家カフェの縁側でひと休み。
 ここは天正18年(1590)、秀吉の小田原北条攻めのさにに千利休に銘じて茶席天正庵を設けた跡だという。その面影を捜しても何もなく、ただ気配だけが通り過ぎて行く。この敷地に佇んですごした体験をこのたびの江之浦紀行の結節点とすることは、四百三十年余りを遡る歴史が個人の記憶に連なって、時空を超えた想像に相応しいことなのではないだろう。

 ミカン畑に海、水平線と切れ目のない天空。


相模湾の水平線。海上右端に真鶴半島と伊豆大島(2022.12.26)


熱田神宮の杜ときよめ餅

2022年12月07日 | 日記

 小雨降る午前中、ふたたび岡崎城址をぐるりと巡る。空堀に高く積まれた野面積の石垣、家康公産湯の井戸、岡崎城二の丸能楽堂と歩いて、三河武士のやかた前で武将に扮したボランティアから、お城の成り立ちや家康公の説明を聞く。ここは来年度放映されるNHK大河にあわせて期間限定のドラマ館へと替わる予定で、主役家康公に扮する松本潤が何度か訪れているのだそう。
 本丸広場にあるからくり時計の前に立ち、機械仕掛けの家康公が謡いながら能面をつけて舞う様子をよくできたものだと感心しながら見る。最後に城内日本庭園のなかの立礼で紅葉を眺めながら一服して、雨の中をタクシーで「東岡崎」駅へと出る。名鉄本線に乗り、名古屋市内「神宮前」で下車して、いよいよ熱田神宮へと向かう。

 熱田神宮は日本武尊ゆかりの杜、大化年間の創建。皇室三種の神器のうち、草薙剣を祀るという。なんども名古屋には来ているけれど、熱田神宮を訪れるのは初めて、ようやくの念願がかなう。
 車の行きかう大通りを渡って東門から境内の中に歩を進めれば、もう神聖な雰囲気だ。社務所から信長塀を越えてゆくと、巨大な神楽殿のとなりが石段となっていて、そこを上ると真正面に神明造りの本宮が見えている。意外なくらい駅からは近いことに驚く。周囲には熱田三大古墳が点在しているらしいが、位置関係がよくわからないので、地理学的考察には思考が回らない。清水杜から続く小径をぐるりと本殿の裏側まで探索してみる。
 せっかくなので、南方向の正門まで参道を踏みしめて歩いてみることにした。こちらから参るのが本来は正式なのだろうけれども、後からできたJR熱田駅は北側にあり名鉄神宮前駅は東側という位置関係で、殆どの参拝客は東門からショートカットして本宮に向かうようになるから、どうもアプローチとしては空間的な有難みが薄れてしまっているきらいがあるのではないだろうか。

 神宮正門からさらに進めば旧東海道宮宿にぶつかり、お伊勢参りにとつながる桑名宿へと向かう宮の渡し場がある。現代は埋め立てが進んでしまって当時の面影を想像することは難しいだろう。古の地図だとこのあたりが伊勢湾に面した熱田湊の年魚市潟(あゆちがた)にあたり、愛知の語源とされる。尾張名古屋の原点がここにあるわけだ。
 
 というわけで、もうすこし時間があれば、ブラタモリよろしく宮の渡し公園七里の渡し跡まで訪れて見たかったが、これは仕方なし。帰りの新幹線の時間が気になりだしたが、せっかくなので「きよめ餅総本家」に立ち寄り、レトロな雰囲気を残す神宮前駅商店町の一角、ひなびた構えの「喜与女茶寮」へ入ってひと休みしながら、ほうじ茶できよめ餅を頬張り、熱田との名残りを惜しむ。

 こうしてみると熱田周辺は、庶民的な大須観音商店街、異国情緒も混じる覚王山日泰寺参道とならんで、神宮の杜を取り囲むようにして門前町歩きと古墳巡りに、旧東海道宿場渡しの名残りを楽しめるところ、といえるだろうか。個人的に名古屋については、この訪問ですこし総括ができたかもしれない。


霜月三河旅、豊田から岡崎

2022年12月04日 | 旅行

 霜月の終いに岡崎を拠点に三河地方巡りをして、締めくくりに念願の熱田神宮を訪れてきた。この旅、当初通りの予定ならば八月二十八日からのはずだったのが、寸前で家族の新型コロナウイルス感染が判明してしまって延期になっていたものだった。ようやく三か月ぶりで実現した二泊三日の旅、これまでなく難産の末にようやく実現を果たしたものの、道中は和やかに進むように願いつつも、行き違いの修復が果たせない予兆を秘めながら、ときに対話が成り立たなくなって思いやりと寛容さを失いそうになり、ほろ苦い思いも含んだこれまでにない旅となった。

 豊田市美術館「ゲルハルト・リヒター展」をガイド付きで観たあと、足を延ばした豊田市民芸館からの帰路だった。片野元彦・かほり父子による藍染の絞りは良かったし、茶室からの紅葉と矢作川勘八渓谷の眺めもよかった。
 冬の日の暮れ始めた中岡崎駅へ降り立ったときには、どことなく不安な思いがしていた。岡崎は初めてであったし、滞在先最寄り駅は名鉄本線「東岡崎駅」がメインと案内を受けていたこともあり、虚を突かれた感じがしたのは致し方ないだろう。ふたつの駅は乗り換え可能ではあったものの、いったん改札を出る必要があったことが下車してわかる。これが振り返るには、どうもあまり良くなかった気がする。
 ここから滞在先までは徒歩圏ではあるらしいのだけれど、荷物を持っての暗い道中はできればタクシーを利用したかった。思いのほかローカルな中岡崎駅前に車が回送してきそうな気配はなく、もう疲れてはいたと思うが、仕方なくといった感じで暗闇を歩き出す。不条理さに加えて非と責められると、昼間なら何でもない道行が、なんとも遠くに感じて気持ちがすっかり萎んでしまった。
 ようやくといった感じで岡崎公園に隣り合った滞在先に到着したのだが、落ち着かずになんとも気まずいままで夜を過ごすことになりそうで、たまらなく気が重くなる。。受付もスムーズにはいかなくて動揺し、落ち着こうと自分に言い聞かせる。

 窓からは暗く沈んだ内堀に木々の影とライトアップされた天守閣と、その左隣り先に南欧風のそれとわかる安っぽいヴィラが浮かび上がっている。まあ、行ないの結末はもう悔やんでも仕方ないし、こんなこともあるさと自分を慰めてみる。ひとまずはアルコールを口にして体を温め、空腹を満たそう。深い眠りに入る前に展望大浴場に身を浸してみる愉しみだってあるさ、と気を取りなおす。

 翌朝、目覚めるとまだ暗がりの中に見知らぬ街が沈んで灯かりが瞬いている。眼下には乙川の広い河川敷、そこにはグランドと遊歩道が整備されているようで、コース道幅を記すLEDサインが点々と連なっている。そのコースを時折、別の灯かりが単独で進んでいくのを目を凝らして眺めていると、夜明け前のランニングをしている人のヘッドライトだった。大小の連なって揺れる灯かりは、どうやら犬をお供に散歩する姿である。こうしていつものようにこの町の情景は一日の始まりを迎えることを繰り返しているのだろうか。

 明るくになるにつれ、岡崎城址に隣り合って滞在したコーナールームの部屋からは、乙川の流れと天守閣が真正面に望める絶好のロケーションとなり、朝の光とともに気持ちも晴れてきた。
 せっかく岡崎を訪れたのだから、展望浴場の朝風呂ですっきりとして、お城を眺めながらの朝食を取り、まずはすぐの岡崎城址をめぐって徳川家康公生誕の足跡を確かめることにしよう。それからは、やはり外せない「八丁味噌の郷」巡りへと旧東海道を歩いて行けばいいさ。
 その日の行程プランが見通せるとほっとする。気を取り直して滞在そのものをじっくりと楽しもう、と思えるようになり、嬉しくなる。午前中のダラダラはリラックスできていい気分でシアワセな気持ちになれる貴重なひと時だ。そうだ、急ぐことはない、すこし部屋でゆっくりしてからお昼前に出かけたらいいよねって、お城を眺めながら、天下人の気分でうたた寝をするのも悪くない、緩急自在で行こう。


 東海道新幹線車中。新富士駅を通過し、富士川鉄橋を渡る(撮影:2022.11.27)