新春は寒の入りの最中、空は青く晴れ渡ってもう鏡開きの日だ。
令和六年の元旦早々から、不穏で物騒な幕開けとなってしまった。能登半島を襲った大地震、羽田空港の飛行機衝突と炎上、北九州市小倉駅前の飲食街火事、山の手線車両内傷害事件と立て続けにあって、三連休の最終日八日は、目白台の旧田中角栄御殿が全焼という事態。この先、いったいどうなっていくことやらと、誰しもが不安になる余りに思考停止となりそうな日々が流れていく。
昨年11月末に久しぶりに新譜CDのまとめ買いをした。長く愛聴し続けているアーティストたちが新譜を出した時期が重なったため、町田のタワーレコードに立ち寄った。その三人のアルバム、ポール・サイモン「七つの詩編」、ジャニス・イアン「ザ・ライト・アット・ジ・エンド」、そしてパット・メセニー「ドリーム・ボックス」の三枚を手に取る。
ポール・サイモンは81歳での新作、ジャニスは72歳で最後のアルバムと公言している。いずれもシンプルで原点に返ったかのようなサウンドの中に、いまの心境が歌われている。ポールの飽くことなき探究心、ジャニスのふっきれたような清々しさが、長年のファンとしてはとても嬉しい。
パット・メセニーのほうは、新作と言ってもエレクトリックギターによるソロ演奏曲未発表録音の中から本人が思い立つところがあり、聴き直してみて選び出した9曲にボーナストラックを加えた全10曲構成。その内訳は、自作曲が6曲と自作以外の有名曲では「カーニバルの朝」。そしてボーナス曲はなんとキース・ジャレット作品。パット・メセニーとキースは合わない思い込んでいたので、なんだか意外な印象がする。「コーラル」という曲名、これは「珊瑚」という意味でよいのだろうか。
ギターソロとしては、20年前のバリトンギターによる「ワン・クワイアット・ナイト」と対になるような作品であり、静かな夜更けに聴き入るような内省的な雰囲気のバラード集アルバムだ。
そしてつぎに書籍のこと。年末12月に入ってさみだれ式に本を四冊購入した。一冊目は小説、佐藤正午「月の満ち欠け」(岩波書店)、こちらはまだ手付かずのまま。
隈研吾「日本の建築」(岩波新書)のほうをぼちぼちと年末から読み始めて、新年二日にことし最初の読み切りとなった。B.タウトから始まって、F.L.ライト、藤井厚二、堀口捨巳とつながり、吉田五十八と村野藤吾の対比、A・レーモンド、終章では丹下健三を取り上げている。日本近代建築史を通史する記述がされていて、その人選とこれまでの建築への興味がぴたりと重なった。
翌日三日、ともに八ヶ岳山麓に別荘を持つ人気作家と社会学者の随筆本を読みはじめたら、どんどん面白くなってしまい、一気にまとめ読みした。梨木香歩「歌わないキビタキ 山庭の自然誌」(毎日新聞出版)と上野千鶴子「八ヶ岳南麓から」(山と渓谷社)の二冊は、同日町田久美堂本店で購入したもの。
梨木香歩を読むのは初めてだったが、帯のリード文「生命はとめどなく流浪する 深く五感に響き渡る文章世界」に誘われて読みだすと、自然誌的な細やかな視線と社会に関するキリッとした意志に惹かれた。コロナ渦の2020年6月から2023年3月までの雑誌掲載分をまとめたもので、そのあいだにおける時代状況へのまなざし、自己との重ね合わせをしながら読み進めることになった。
いっぽう、上野千鶴子の文体は対照的であって、彼女の口調を彷彿とさせる文章リズムが小気味よい。よくある山麓の田舎暮らし記ではなくて、「自然のなかの都会暮らし」と割り切っているところが潔し。文中のイラストレーションは山口はるみで、構成に彩を添えて有り余る。本編は別荘族と定住族の生活スタイルの違い、さらには定住族におけるガーデニング派と家庭菜園派の実態など。
最終章には、お隣さん住人の歴史家色川大吉氏との「おひとりさま」同士の浅からぬ交流がつづられていたことに驚かされた。
1980年代後半の一時期、セゾングループの端っこに在籍した身としては、上野千鶴子と堤清二との対談集が気になる。その「ポスト消費社会のゆくえ」(2008年文春新書)ではたして何が語られていたのか、ぜひとも読んでみたいと思う。
西武流通グループが改称しセゾングループとなったのは1980年代後半だった。本社は池袋サンシャインビルにあった。そのセゾングループについて、当時からいまに至り回想すること。
池袋百貨店本店八階にあった旧西武美術館はスポーツ用品売り場に、その上の書籍売り場リブロは雑貨文具のロフトへと変わっている。在籍当時の1989年に西武美術館は移転し、別館の1・2階フロアを占めて華やかに新装開場した旧セゾン美術館(よくローマ字表記で読み間違えられたSAISONからSEZON表記へ変更)があった空間は、いまは無印良品大型店舗がテナント展開されている。これもまた時代の潮流だからなのだろうと納得する。現代美術精神発露の前衛たらんと意気込んだ基地が、都市における民芸運動とも読める流れにのった路面からつながる消費空間へと変貌したのだ。
有楽町西武はすでにビルテナントから撤退して、移ろいやすい大衆の記憶からはるかに遠ざかってしまっている。そして、1987年にピーター・ブルック演出「カルメンの悲劇」で鳴り物入り開場して、西武美術館と並んでセゾン文化を象徴した「銀座セゾン劇場」は、運営に行き詰まった挙句、2000年に「ル・テアトル銀座」と名称を変えたあと、最終的には路頭に迷うように閉館してしまった。
同じビル内にあった高級路線で宣伝していた「ホテル西洋銀座」、映画館「テアトル西友」(資本の関係にしても何故この地で西友の名称なのかわからない)ともども建物自体が取り壊され、その目に見える存在自体が消えてしまっている。もともとこの地には「テアトル東京」という大スクリーン・大型客席の単独映画館が聳えていた。
堤清二が目指したグループ企業理念と消費社会との距離、その紆余曲折のはての大失敗、教訓と残された遺産の功罪について、単なる郷愁に押しとどめていてはあまりに勿体無い。
江之島相模湾 波のモニュメントの向こうの初春富士山
江の島サムエルコッキング苑(2024.1.8 撮影)