日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

山茱萸、そして春分すぎの夜桜

2016年03月25日 | 日記
 早春のこの季節、マンション入口の集会所通路脇に山茱萸サンシュユの可憐な黄色の小花がポッ、ポッと数十輪咲いている。これまでずうと同じ早春に咲く日本原生種のマンサクの花と思い込んでいたが、同じ黄色の小花でも花弁のつき方が微妙に違う。ともに若葉に先だって花をつけるのは共通だけれど、マンサクはひとつの花ごとに長めの花弁が数本づつシュルッと伸び、サンシュユのほうは同じ長さの花弁と雄蕊の集合体がひとかたまりになっていてる。時代は大きく異なるが、ウメやお茶の木と同じ中国大陸が原産の外来種で、江戸時代に朝鮮半島経由で薬用植物として持ち込まれたものだと知った。

 ここに咲くサンシュユの花はどうも芯が強いのか、普通の風にはわずかに雄蕊のほうが振れるくらいで、春一番くらいの勢いのある風でないと揺れたりはしないようだ。おもしろいのは、この枝を温めた牛乳にいれて保温のして一晩おくと、なんとヨーグルトが出来上がるそうでちょっとした驚きである。ヨーグルトのすこし発酵したニオイは大好き、ということは乳酸菌が生息している? 
 秋になるとグミによく似た赤い実がつくのだが、これが生薬となり、精強・止血・解熱作用があるということで、奥ゆかしく可憐な花にして思わぬ?意味深の効用は試してみてもいい?

 二十日春分の日は、MARIYAバースデー、その日に先だってのひと月前に、近くの国道16号線沿いのリサイクルショップで見つけた1992年のアルバム「Quiet Life」を手にして購入する。この頃の彼女は子育てがひと段落した頃で、本格的な音楽活動をこのアルバム制作で再開していた。もう24年前のことである。なにはともあれ、この温故知新のようなアルバムが最近のドライブの友となった。それとうれしくもつい最近、生前の歌声が発見された大瀧詠一の“新作”自作曲カバー集「DEBUT AGAIN」が加わることになった。ひとには理屈抜きで好きな声、歌い方っていうのは確かにあって、このお二人は自分の場合、とくにそうだ。
 さらにこの季節は、サイモン&ガーファンクルの1966年アルバム「パセリ・セージ・ローズマリー&タイム」のアンニュイで優しげな歌声を聴いてみたくなる。ことし発売50周年を迎えることになる、ハーブ名を連呼したユニークなアルバムタイトルは、収録一曲目「スカボロー・フェア」の一節からとられている。元歌はイギリス中世のフォークソングで、曲名はイギリス中部北海に面した小さな港町だという。いつか訪れることが叶うのだろうか。
 
 春分すぎての21日付夕刊新聞、一面の題字横にサクラのイラストが描かれるようになった。名古屋と並んで、関東でもソメイイヨシノが例年より数日早く開花する。昨晩の駅からの帰り道、病院前の通りを見上げると舗道の灯りに夜桜が浮かんでいる。雲のない夜空には彼岸明けの満月がくきっりさえて、これから生命溢れるいい季節になるだろう。

  
 満月の夜、東林さくら通りに浮かび上がる(2016.3.24 撮影)


 日々の行きかえりに思いつくと眺めていたサンシュユの黄色い花輪、よくみると実に繊細な造り、もうじき待ち焦がれたひとがやってくる。ほんのすこしうす緑の葉先が芽吹きだしていて、本格的な春はもうすぐだ。

早春の伊東温泉旅行

2016年03月14日 | 旅行
 早春の日、すこし冷え込んで、雨の合間に曇りとほんの少しの春の日差しといった天候のなか、熱海の少し先の伊東へと一泊二日の温泉旅行へ行ってきた。
 今回はJR横浜線で橋本駅までゆき、北口からバスに乗って出発するとそこから一路南に進む。圏央道の相模原愛川インターで高速道路に入って、相模川沿いの風景を眺めながら下っていく。いつも新潟に帰省するときとは逆になる、初めて走るルートだ。バスは左側に海老名運動公園脇を過ぎたかと思うと、厚木インターチェンジから小田原厚木道路に入った。この新旧の自動車専用高速道の対比が対照的で、一方は高架の構築物が曲線でしなやかに続き、後者は両側に並走する一般道に挟まれて専用高速道四車線が伸びるシンプルな造りで、その両者の構造の違いがななか興味深く、半世紀くらいの時代の違いがはっきりと表れている。

 やがて、バスは小田原市街を迂回するように郊外の丘陵地帯を疾走していく。左手には、関東学院大学の小田原キャンパスが見えた。すぐ先の早川の手前でインターを下りて、漁師町の一般道をしばらく進むと早川漁港が見えてきたところで右折し、国道135号線を相模湾沿いに走ることになる。海辺の先はどんより曇った雨模様だ。右手が箱根連山につながる断崖、左側は視線の先に海の水平線と曇り空の境目が混ざり合ってつながっている。
 根府川の手前で真鶴道路の江之浦の先、ひなびた岩海岸を海上を突き抜ける高速道路側から眺める不思議な光景を体験した。そこをすぎるとしばらくトンネルで半島をぬけることになり、ふたたび地表に出たところが福浦漁港、湯河原へと入る。そこからは海岸すれすれのビーチラインをひたすら熱海へむけて走ったあと、ふたたび国道135号線に戻ると伊豆半島の付け根を多賀、網代、宇佐美と下っていく。しだいに海の風景と生活感が濃くなっていき、ようやく、伊東市街のホテルへと到着したのは、もうお昼過ぎだった。
 六階建てのホテルのロビーは天井高で広々としているが、幾分昭和の時代を感じさせるやや大仰な空間で、築四十年以上は確実にたっている印象、天上のからのロッジ風吊照明など少しなつかしい感じがする。いかにもといった大温泉地ホテルの雰囲気が濃厚に残っていて、なつかしくもワクワクしてくる。これで暖炉があれば、別荘リゾートそのものといった感じ。
 
 荷物を預けてから、近くの威風堂々とした元旅館で観光施設として再生されている東海館を訪れる。大通りからすこし狭い旧道に入ると、昭和初期のじつに雰囲気のある木道三階建てが見えている。玄関の屋根は唐破風造り、中に入るといきなり正面に中庭が望めて奇石青石のたぐいが鎮座し、廊下から階段周り、各部屋も木材や建具意匠を吟味した凝った造りで、南側の客間からは松の木越しに市街を貫通する松川の流れが望める素晴らしい立地である。この建物外観を特徴づけるのは、なんといっても仏閣の様な望楼部分だ。初めての念願かなって、上層からの市街と周辺の山並みの眺めを楽しむ。
 午後からは、三階舞台つき百二十畳敷大広間での芸妓連の踊りの披露があって、かつての栄華を偲びながらの鑑賞で、タイムスリップしたかのような温泉地情緒を味わうこととなった。

 東海館を出ると雨があがって、ほんの少しの日差しも見えている。大川橋を渡って対岸の遊歩道をそぞろ歩き。サクラの開花には少し早かったけれど、川沿いの気持ちのよい小径が続く。川の流れには、鯉や鴨たちの姿、対岸の緑や旅館の風情ある情景がこのあたりにはよく残されていて湯の町らしい雰囲気。途中の左手に広大な緑の屋敷、どうも北里柴三郎の別荘跡らしい。その先にはさらに木立に囲まれて広い芝生前庭がひろがる、おおきく円弧を描いたモダンな建築が望めて、何かと標札を観ると「野間自由幼稚園」とある。この“野間”にピンときて後で調べたところ、やはりあの講談社オーナーの野間一族により、戦後すぐに別荘敷地の一部が提供されて開設された伝統ある幼稚園なのだった。しかも気になったモダンな円弧園舎は、平成十五年に完成したばかりの、安藤忠雄設計によるもの、とあって思わぬ“発見”にびっくり。あのアンドウ建築が温泉地に、しかも幼稚園舎なんて! ここはテラスがひろくつながり全体に外観は黒基調でありながら、内装や軒先の裏側には天然木を使っていて、環境指向を意識している昨今流行?の現代建築なのだ。もう少しじっくりと観察しておけばよかった、と後悔しきり。
 外出の後に戻ってチェックインした宿泊室は最上階の六階で、十二畳の和室と広縁スペースには低めのテーブルに向いあわせの椅子、くわえてツインベットルームにバスルーム、独立トイレ・洗面室が付属している広々とした間取りはいまでは考えられない。ベランダからは駅方向の市街と、周辺の山肌にひらけていった高台のホテル建物が望めた。大浴場はもちろんローマ風呂風、安造りのビーナス像がシェルの形の台座に乗っかって、そこから温泉があふれていた。

 さすがに温泉地として歴史ある伊東だけあって、ほんのすこし歩いただけのホテル・旅館をはじめとする建物探訪だけでも奥が深そうで、まだまだ楽しめるに違いない。また季節を変えて、潮風を感じだす初夏のころにここを再訪できたらと思った。


 左側奥に見えるのが市街の中心を流れる松川沿いの東海館。手前隣は旧山本館といい、現在はゲストインとして営業中なのでここへはぜひ泊まってみたい。それぞれ和洋の望楼閣の対比がライバルみたいでおもしろく、ここは伊東市内随一の景観。