日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

八十八夜から立夏のころ、箱根芦ノ湖畔へ

2023年05月06日 | 日記

 
 
 新緑の八十八夜が過ぎると、すぐに二十四節気「立夏」がやってくる。小学生のころ、唱歌「茶摘み」の歌詞にある「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みじゃないか あかねだすきに菅の笠」と、とんとんリズムよく歌いながら、手遊びに興じたことを思いだす。
 
 その間の五月四日は、寺山修司が1983年(昭和58)に47歳でこの世を去ってしまってからことしでちょうど四十年になる。当人が健在であったならば、現在87歳を迎えているわけだ。そのときの流れの速さにただただ驚かされるばかりで、ひたすら呆然としてしまう。
 寺山の墓は高尾駅から少し奥に入った曹洞宗高乗寺高尾霊園にあるが、久しく訪れていない。黒の墓標の上面には開かれた本のオブジェが彫られていた。もちろん、新しいページはめくることができないわけで、そのデザインは粟津潔ではなかったかと思う。今月中のうちに喧騒をさけて高尾まで墓参に出かけてみようか。

 生前の寺山修司を二度見かけている。1980年ころの池袋西武スタジオ200における岸田秀氏だったか谷川俊太郎氏だったかとの対談(ビデオレター交換による映像だったかもしれない)、それから渋谷ジァンジァンにおいての劇団天井桟敷公演「観客席」だったと記憶している。いずれの空間も今は存在しておらず、時代の変化とともに別の名称用途へと変わってしまった。
 当時の記憶が蘇り、亡くなってからの印象が強くなってくる人物はほかにはあまりいなくて、その形のない存在をどう受け止めていったらいいのか戸惑っている。大学生時代はあまり熱心なファンでもなく、たった一本の舞台と数本の映画を観たくらいで入れ込むことはなかったのに、何故か気になり続ける人物なのが我ながら、どうにも不可思議なのである。

 週末にあたる立夏の午前中は、昨年11月に購入した自家用車の六か月点検予約が入っていて、ちかくの神奈川ダイハツ店舗まで出かけた。この先10日後、新潟の実家まで高速道を往復する心づもりがあったこともあり、ちょうどいいタイミングだった。
 午後、92歳の誕生日を迎えた母の自室を訪問して、ささやかなコーヒーゼリー入りのお菓子と誕生祝いの花を飾って祝う。本人はもう正確な年齢は言えないというか覚えていないけれど、誕生日はしっかりと覚えていて、笑顔で口にできるのは親ながら大したものだと思う。

 と、ここまで備忘録的に記してきてからの本編、皐月の箱根旅について記そう。

 立夏をすぎたばかり、箱根芦ノ湖畔にある山のホテル庭園のツツジとシャクナゲが見ごろだというので遠出をすることにしたのだ。
 その日は、朝方からの生憎の雨がお昼頃からは嵐のような豪雨に変わってしまい、芦ノ湖遊覧船が欠航になってしまっていた。それで仕方なく元箱根からホテルまで連絡バスで行ってラウンジでしばらく雨宿りをしていた。せっかくの庭園見物はお預けで、ホテルにある展望室まで登ってみると湖に向かって大きく視界がひらき、ようやく見事な色とりどり!のつつじ園全景が見渡せた。
 ホテルのシャトルバスで元箱根まで戻り、桃源台方面行きの高速バスへ乗車する。そうしたら、なんとそのバスは先ほどのホテルロータリー前を経由していて、わざわざ元の場所まで戻ることはなかったのにと笑ってしまった。そのまま湖畔東側を通り箱根園経由で宿泊先へと向かう。
 桃源台へ到着したときも暴風雨状態で、ロープウェイ駅舎内のがらんとしたレストランで昼食をとりながら、芦ノ湖を眺めていた。もう、周囲の対岸も霞んで見えないくらいのすごさでこれもめったにない自然との遭遇と思い、それもよしと達観するしかなかった。

 天候の回復の兆しがまったくない雨の中、傘が飛ばされないように急ぎ足で宿泊先までたどり着き、ロビーでチェックインを待っていた。ほかにも外国人を含めて数組が待機していた中、少し早めて二階和洋室に入ることができ、ようやくほっとした。
 窓を叩きつけるようなひどい雨が続き、嵐はますますひどくなっていた。降った水流が嵐に吹かれてホテル入り口へつながる敷地内を逆流している。もう、ここが湖畔にいることすらわからなくなってくるほどで、湖畔から少し離れた高台にあることが不安を和らげてくれて救いだった。
 こうなったら、温泉に入ってごろ寝して寛ぐほかはないけれども、ある意味これ以上ないような非日常の上等な過ごし方には違いない。目覚めた翌日も嵐は止んでも、まだ雨は残っていた。まずは温泉入浴、誰もまだいないゆったり朝湯はまた格別によい。朝食会場の広いウインドウからはゆるやかに下っていく前庭のさきの新緑がさわやかだ。湖周囲の山並みもうっすらと霧の中に浮かび上がってきていて幻想的な情景が拡がる。

 予定通り遊覧船が就航するとのことで、宿を出て桃源台から午前9時半の箱根町行に元箱根まで乗船する。たちまち船内は昨日足止めを喰らっていた観光客が沢山乗り込んできてにぎやかだ。静かに船は湖面を進む。一瞬晴れ間が出てきたかと思うと再び曇が拡がって、湖畔周囲の霧はたたずんだまま、周辺先は見渡すことが叶わない。こんな情景の就航に遭遇するはたぶん初めての体験だけれど、それもよし。
 元箱根に着き、雨が上がりきらないなか、湖岸を歩いて杉木立の参道を箱根神社へと向かう。石段を登りきると雨に濡れた本殿前にでる。記憶にあるよりも少しコンパクトな作りであるように感じたのは、周りを木立に囲まれているせいだろうか?
 ここから昨日のホテルはもうすぐだ。やがて忽然と道べりに湖畔に向かってせり出したベージュ色の瀟洒な喫茶室が見えてくる。そこはホテルの旧漕艇庫だったと聞いたことがあるが、なるほどという佇まいである。
 
 ホテル正面脇の通路から庭園ヘと進んでゆく。視界が高まって湖側へと開いていくと見事なくらい大きな植え込みに咲く色鮮やかなツツジたち。今朝までの大雨で傷んでしまった株もあるけれどいまが丁度の見ごろ。
 遠路を高台に上って行き見下ろせば、やはりここからの眺めは圧巻!岩崎男爵家別邸見南山荘時代からの歴史の重なりを感じさせながらも、芦ノ湖と周囲の山並みの取り合わせが唯一無二だろう。
 あいにくの天気で富士山の姿こそ望めなかったものの、川瀬巴水が描いた昭和初期の庭園風景版画情景を重ねてみると、その感慨は芦ノ湖の深さほどに増してくる。当時の風景画にはないホテルの深い赤レンガ色の瓦屋根を載せて横に長く伸びた建物本館がすっかり庭園風景と調和している。



 ツツジ園のさらに上の道をたどれば、シャクナゲの林へと続く。こちらのシャクナゲ株も大きく育って、かるく人の高さを越えて、見事に咲き誇っている。藤棚へと下ってくる脇には、野生のままに育ったマメザクラが小ぶりの花を咲かせていた。やはり、ふもととは標高が違う!
 本館の近くまでもどってきた芝生地には、復元されたという青銅製の天使と見まごうようなかわいい子獅子たちが支える台座の上に日時計が設置されている。案内板に記載された説明によると、その台座は男爵別荘時代からのもので、上部日時計部分が欠損したまま時が流れて、2009年5月に復元されたもの。

 もう、雨はすっかり上がってきていて温度が上場してきたせいで霧は湖を包んだままだ。新緑が目に柔らかく、雨を含んでいてしっとりと美しい。こんな箱根での滞在もまた得難い時間だろう。



 日時計版表版には「標高744m 見南山荘」とある。

追記:日時計の外観からしてもしやと思い、銘板を確認するとやはり小原式日時計、この作者小原輝子氏は相模原市南区在住でいらして、文字通り知る人ぞ知るご近所の著名人なのである。(2023.5.23記)