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「高谷史郎/明るい部屋」 東京都写真美術館(恵比寿ガーデンプレイス)

2014年02月02日 | 美術
 一月最後の日曜日の26日は、「高谷史郎/明るい部屋」展最終日、どうしても見て確かめておきたくなって、東京都写真美術館へ出かける。

 中央林間から田園都市線に乗り、渋谷ではJR山手線乗り換えのためいったん街頭広場に出てみるが都知事選の喧噪は感じられない。ハチ公像に「東京都知事選挙2月9日投票日」のタスキが架けられているのが目に入ったけれど、「いまの気分のようなもの」を象徴しているようだ。原発問題、高齢化、労働の空疎化などの課題を内在させながら、少なくとも表面上TOKYOは平和そのものだ。

 恵比寿に着いた。ガーデンプレイスは、落語のEBISU亭で訪れて以来10年ぶり?くらいか。その際は赤レンガ造りのレストラン、サッポロビアガーデンで食事をしたと思う。その横を通り抜け、さて写真美術館ってどこ?という感じで高層ビルの先を通り過ぎるてようやく入口へたどり着く。初めての美術館は地階を含めた五層構成、展示スペースは三階までで四階は図書室となっている。高谷史郎の個展は地階だったので、階段で会場へ降りてみた。

 地階空間はすっきりとしたL型ホワイトキューブ形で、写真メディア展示にはふさわしい。向かって左側の壁面に、高谷史郎が1987年にヨーロッパで撮影した空の雲の様相のパネル、右側の壁面は美術館蔵のマスターワーク・プリントのパネルのいくつか、中央スペースには展覧会フライヤーに使われたレンズ付光学装置を用いて写真集からのプリントを覗きこむ仕掛けと、全周魚眼レンズを用いて撮影された天空の日の出から日没までの風景を覗きこむ早送り映像など。奥には、大型スクリーンの両面に次々と様々な街角のデジタル風景写真が早送りで映し出され、反対側に別の鑑賞者が立つとその像が影法師のように重なる、映像インスタレーション。さらに奥には、八面の液晶パネルを繋いで横長に映された、ある湖畔らしき風景の日の出から夕暮れまでの様子をいったん分解したうえで再構成してつないだと思われるカラー映像インスタレーション。じっとソファに座って眺めていると20分くらいだろうか、湖畔が次第に明るくなって、葦が生える水面の風景が拡がっているのがわかる。そのうちに雨模様となってきたようで細かい水文様が拡がる、そうしているうちに雨はやみ、明るさが戻ってくる。だんだんと日が落ちて薄墨色に代わってくると水墨画のようでもある。そして夕暮れから暗闇へ、やがて薄明かりの中、また朝の表情が始まる・・・といった映像が繰り返されていく。
 作品の対象が空や雲の表情、自然の風景の移り変わり、街角の様子などすべての場所が特定できない、あるいは移り変わりゆくもので、カラーであってもモノクロームの無菌室のような淡々とした印象である。「明るい部屋」とは、ロラン・バルトの写真論(1980年)のタイトルからの引用だということだけれど、この展示会場の雰囲気をそのままあてはめているかのようだ。高谷史郎は、京都を拠点とする芸術家集団「ダムタイプ」のメンバーで作風は極めてスマートなスタイルを保持している。

 このあと展示室を出て、四階の図書室へ。一月六日に東京ステーションギャラリーで見た、植田正治の写真集があったのでしばらく見入る。鳥取砂丘での人物ポートレイトやヌード写真を眺めていて、この人の感性の不思議さを想う。山陰の風土にありながら、どことなくモダンで都会的な構図、無機的な砂丘の中に人物を配した有機的な表情。被写体のひとり、植田の愛妻は着物を来て、ときに傘を差し砂丘にたたずんでいる。彼の砂丘に配したヌード写真をみていて、ふとこれらのモデルに着物を着せて映してみたら面白いのに、と思った。ヌードは多分に西洋的な価値観が先行しているものだから、その意味で体型的に劣るであろう日本人の裸体を生かすのは、身体の表層を布が覆うなかで見せる表情ではないだろうか?

 美術館を出た後、隣の高層ビルの都内目黒方面から丹沢大山方面を望む最上階の和食店で昼食をいただく。富士山はかすんで見えない。このフロアの山手線内側から都心方面の眺望は、次に機会の楽しみにとっておこう。(1.27書き起こし、2.2書き終わり)

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1 コメント

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美術館での贅沢なひと時! (Toshi)
2014-02-07 05:25:02
20分のカラー映像はとても贅沢デスね!
都会の喧騒を忘れ、静寂の中で景色の変化を愉しむ.....これはもう「ワビサビの世界」です。
ところで、ビルの上にあるレストランで頂いた和食に興味が有るのですが、何を召し上がりましたか?
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