日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

2014年も暮れて紅白に思う

2014年12月31日 | 音楽
 週末からカレンダー通りに休暇に入ったと思っていたら、あっという間の大晦日を迎えてしまっている。ここ数日の出来事について書き出してみよう。
 
 28日朝、TBSサンデーモーニングを見ていたら、今年亡くなられた方々の惜別録が流されていて見入ってしまった。その中で放送されなかったけれども忘れられない方に、安西水丸さんと赤瀬川原平さんのお二人がいらっしゃる。テレビという大衆的なメディアではやや一般的ではないのだろうけれど、翌日29日の朝日新聞の回顧特集「惜別 亡くなった方々」には掲載されていて、紙媒体との親和性を感じた。青山表参道あたりを歩くと事務所のあった安西さん(と共作の多かった村上春樹)を想いだし、玉川学園「ニラハウス」は赤瀬川さんがお住まいだったところ、そしてこのお二人には俳句を通してのつながりがあったことを町田市民文学館企画展「文学と美術の多面体 赤瀬川原平×尾辻克彦」の展示物で知って、へえっと思った。ご冥福を心よりお祈りします。

 この日は、年末大掃除の手伝いを命じられて、リビングのワックス掛けとサッシ網戸の水洗いを役割分担する。ここをいかに心を込めて乗り越えるかで残りの日々が平穏に過ごせるかの分かれ目?となるのだが、我ながら真面目に取り組んでいたせいか次第に楽しくなってきて、お昼過ぎに家人より無事お許しがでた。で、年末の買い物に出かけることにして、「CASA ブルータス」2015年1月号と来年のNHKテレビテキスト「岡倉天心 茶の本」を購入。家にいちど戻って、午後2時からのFM東京「サンデー・ソングブック」をインタネットラジオで聴く。山下達郎氏が案内する長寿番組を初めて聴いたのは、その日のゲストがご夫人の竹内まりやさんであり、そのかけあいに関心があったから。21日に全国ツアーを武道館で打ち上げたばかりの、ほっとした声が伝わってくる。すこしハスキーで落ち着いた声のトーンと響きがとても心地よくて、クセになりそう(もう、なってる)。番組中、達郎氏のことを「タツロウ」のほかに時々「たっつあん」と呼んでいたのがおもしろかった。ふたりとも2014年は「よく働いた」そうで、2015年はまりやさんも年女、いよいよ素敵な還暦を迎えるのだそう。
 夕方は、自宅が書道教室になるので、時間調整のために23日にオープンしたばかりの東林間「CHIEZO CAFE」にいくことにした。その真新しいゆったりした空間で、雑誌特集「ニッポンが誇る名作モダニズム建築全リスト」のページをめくる。表紙はホテルオークラロビー、ナマコ壁の横に伸びる外壁と薄い緑色の軒先、柔らかな障子越しの差し込む明り、切子玉形の数珠のようなランターン、1962年だから東京オリンピック前の竣工で和風モダニズムの極致だ。来年9月までのオリジナルが無事なうちにもう一度訪れなくては、という思いを強くする。

 29日、新宿でムロケンさんと久しぶりに顔合わせ、靖国通り「DUG」で音楽談義の続きのあと、年末で58年の歴史に幕を下ろすという「新宿ミラノ座」ラストショーで「エクソシスト」を見る。テーマ曲「チューブラーベルズ」が有名だが、思ったほど本編では流れることがなくてやや拍子抜けの感あり、悪霊と対決する除霊師がイエズス会神父だったとはね!

 30日、伊勢原に出かけて、年末用に食べたい地元食材「おおやま菜漬」をJA市場で買い求める。せっかくだからその足で15分の大慈寺まで歩いて、渋田川沿いにある太田道灌の墓参り。あたりは一面に畑と田圃が拡がり、すぐ脇を国道264号が伸びている。そしてその先の巨大な東海大学病院の向こうに大山が望める。


 国道246号をてくてく駅まで戻りながら、途中の伊勢原大神宮の茶店「常若」でひと休み、お汁粉をいただいて駅前をぶらぶらと帰路に就く。相模大野で下車して、2015年の手帳二冊(一冊は、星の王子様の天文ダイアリー)を買って帰る。
 夕食後、うたた寝をしていたら「ほら。始まりましたよ」って起こされ、「レコ大賞」番組中流された今年の竹内まりや全国ツアーライブシーンを見ることができた。大阪アリーナだろうか、黒地にラメ入りのシックかつ華やかなドレス姿で「静かな伝説」を歌っていたけど、達郎氏の演奏姿もチラリ、ご本人の歌唱もお化粧も!とても自然ないい感じでしばらく見入る。

 今日大晦日の午前は、今年の締めの映画、オードリ―・ヘップバーン主演の「シャレード」(1962年アメリカ、監督:スタンリー・ドーネン)を見る。シャレたラブサスペンスドラマで、音楽が名手ヘンリー・マンシーニだ。帰りがけに洗車をして、新年を迎える準備はひとまず完了。自宅に戻って夕食前に、DVD録画「SONGS 竹内まりや」(2007年4月放送)を、家人にまた?と半ばあきられながらも!再び見直す。信州川上村海の口、八ヶ岳高原音楽堂を主な舞台にして、山梨北杜市にある神代桜を訪れる風景が「人生の扉」歌詞にあわせてだろうか映されたり、全体に50代を迎えたまりやさんの心境を綴ったドキュメンタリーではあるのだが、どこかミュージックビデオ風なのは、前作「DENIM」の発売時期にあたっていたこともあるのだろうか?スリムな身体にまとったチェック柄のシャツにジーンズのラフな姿とドレス姿の対比が目をひく。ともあれ、センチメンタル・シティ・ロマンスとのセッションは素敵だった。

そして大晦日の夜、NHKテレビでは「紅白歌合戦」の最後の盛り上がり、嵐そして松田聖子のステージの最中だ。その直前は、予定通り?サザンオールスターズのサプライズ横浜アリーナ生中継の「東京VICTORY」でジーンときて、さらにその前が中島みゆき「麦畑」、美輪明宏「愛の讃歌」と今年の紅白は心から楽しめた。タモリと黒柳さんの出演もよかったし、一月からのブラタモリの復活が愉しみ!
 最後は「ふるさと」で大合唱、人のつながりや思いやり、感謝といったことが素直に心に沁みた。来年もさらに充実した良い年でありますように、柔軟な心持ちで謙虚に、日々の暮らしを大切にしながらも日常に埋没することなく、楕円の軌跡をイメージした複眼思考でいこう。
(2014.12.31初校、2015.1.1改定追記)

冬至の朝澄んだ光のなかで、ワルツを。

2014年12月28日 | 日記
 名古屋から午後の新幹線で帰ってきた翌日のちょうど冬至にあたる月曜日、よく晴れて澄み切った冬の青空が拡がった朝に、ちかくの成瀬山吹緑地へと車を走らせる。相模と武蔵の境目の丘陵地のここからは、180度の視界が大きく広がって、まほろ市街のむこうに丹沢大山の山並みに富士の白き冠雪がちょこんと望めるとっておきの場所。この日は昨日まで気持ちのクールダウンが必要だと感じていた。

 週末20日は一般的にはどんな日だったのか?歴史的には東京駅開業100周年の記念日であり、個人的にはデビュー35周年を迎えた竹内まりやの新アルバム「TRAD」発売に合わせた全国ツアーの最終地、日本武道館コンサートの日、といったことで記憶されるだろうな。
 と、当日はそんなことはすっかり忘れて、堀川納屋橋詰の旧加藤商会ビル(1931竣工、設計者不明)『サイアムガーデン』で食事するという幸運に恵まれていた。名古屋の中心地、栄オアシス21でMと待ち合わせて、芸術文化センターに上がり、展望スペースからしばしクリスマス前の大通り公園の夜景、名古屋大通公園沿いに伸びるの都市空間を眺める。そしてレストランの賑わいを横目に広場に降りて通りを渡り、広小路の街並みを10分ほど歩いて辿り着いたそのビルは、交差点に面した重厚な入口が花崗岩でゆるくアールを描いていて、二階以上が三面の縦長窓であり、その左右の壁面には赤煉瓦タイルが貼られた歴史洋式の鉄筋コンクリート造り。かつては旧シャム王国領事館が置かれていたこともあったという三階建ての歴史的建築をリノベーションし、タイ料理店に転用したなんて実に運命的とも思えてくる。堀川沿いのプロムナード夜景と合わせて、ロケーションと雰囲気は最高、トムヤムクンスープとパクチーの香りがとてもエスニックだった。
 翌日は、タイ王国ゆかりの覚王山日泰寺参道で今年最後の縁日市をひやかしながらぶらぶらと歩く。途中、横道に入いると閑静な高級住宅地で、松阪屋初代社長の別荘地だった揚輝荘と庭園に立ち寄り、かつての栄華をしのんだ。そのあと本堂に戻ってお参りして、さらに先の敷地にある釈迦の真骨がおさめられているという、仏舎利奉安塔(1918竣工、設計は伊東忠太)を望む。花崗岩の仏塔の先の相輪は抜けるような冬の青空の先にむかって、ありがたくも金ぴかに輝いていた。
 境内周辺には、張り付くように弘法大師八十八カ所霊場巡の祠があって、土俗的雰囲気を残していたのがなんとも面白かった。遅めの昼食に、参道の庶民的な食堂の奥座敷で、中庭を望みながら名古屋名物きしめんをいただく。

 そして戻っての翌日、成瀬山吹緑地である。青い空を背景に、丹沢のうしろに富士の白い頂が寒さで吹雪いているよう。このひらけた場所で大きく深呼吸をして、きのうまでのことをゆっくりと反芻してみる。なんだか30年分の縁(えにし)の糸につながれて想いつづけた大事な夢がようやく交差したみたいな気がする。あるいは、ずっと待って探し続けてようやく見つけた二つの焦点がゆっくりと描いた楕円の軌跡みたいで、ワクワクドキドキ不思議出会いに感謝したい気持ち。そしてこの日からまた少しずつ陽が長くなっていく希望の日のはじまりだ。
 あとでわかったことだけれど、この日、ジョー・コッカーが黄泉に旅立っていた。1969年ウッドストック音楽祭で歌い、1982年の映画「愛と青春の旅立ち」の主題歌をジェファー・ウォーンズとデュエットしてた、あの髭面のイギリス人ロック歌手。大学生時代にヒットしたのでよく覚えている思い出の曲。なんとなく、センチメンタルな気分になったせいはそのことがあったのかもね。

 
 さて、この日の午後は思い切って、先月から見てみたいと思っていて名古屋では見れなかった新作の北欧映画を見にいく。小田急線で新宿にでて、東口武蔵野館で上映中の「ストックホルムでワルツを」(2013年、スウェーデン/監督ペーター・フライ、主演:エッダ・マグナソン)がそれで、ビル・エヴァンスとの共演で知られる(といってもこの映画を見るまでその事実すら知らなかったけれど)、スウェーデンの歌姫モニカ・ゼダールンドの実話をもとにした映画だ。
 北欧の風景のなかでのジャズソングが流れる演奏シーンがとにかくカッコいい!アイスブルーの丸まっこい車体のバスに、主演のエッダの扮する主人公の透き通るような肌と輝くブロンドヘアー、ターコイスブルーの吸い込まれる瞳、ファッションのカッコよさ!軽やかなスウェーデン語で歌われる「歩いて帰ろう」「モニカのワルツ」がいい。そして、当初はやや傲慢で身勝手とも映るモニカが、挫折を重ねた最後にとうとうNYでビル・エヴァンズとの共演を果たし、喧嘩ばかりだった父親と和解して電話で話すシーンはジーンとくる。実は父娘の心理的葛藤と和解、シングルマザーの生き方がこの映画の隠れたテーマ。最後は、思いを寄せられていたべーシストのストォーレと子連れ再婚してハッピーエンド、となるのだけれど、彼と別れることになる相手の女性の心中を想うと、どうしても複雑な気持ちになってしまう。彼女にもやっぱりいつか幸せになって欲しいと思う。

 モニカとエヴァンスとの関係から連想して久しぶりのことだけれど、同じ北欧はノルウェー出身のシンガー、“セリアSILJE”とパット・メセニーの共演曲「tell me where you are goinng やさしい光につつまれて」を想い出す。このセリアのアルバム内「ワルツ・フォー・ユー」含めた三つのワルツ曲、ビル・エヴァンス・トリオ「ワルツ・フォー・デビイ」とチャリー・ヘイデン&パット・メセニー「ワルツ・フォー・ルッス」について感じたことを、いつか書いてみたいと思う。

 この日は、帰ってから冷えた体をゆず湯に入ってゆっくりと温めてあがると、そのあとに囲んだ食卓にはカボチャのサラダが用意されていた、やっぱり冬至だものね。

(2014.12.28初校、12.29加筆・改定)

 

三浦半島小網代の森を歩く

2014年12月13日 | 日記
 関東周辺で、源流から河口が海まで注ぐ生態系が自然のままに残る唯一の森、というふれこみで今年の夏に遊歩道が完成し一般オープンした「小網代の森」を、ようやく!機会を得てガイドつきで歩いて巡る催しに参加してきた。
 
 横浜から京浜急行に乗り込んで一時間余り、午前10時前に終点の三崎口に到着。肌寒いものの、よく晴れあがった透明度の高い空、列車がホームに滑り込む少し手前で、相模湾の向こうに冠雪の富士山が望めた。森の遊歩道入り口は、国道134号線引橋バス停の脇を下って行ったすぐにあった。すこし歩いていっただけで、もう視界のすべてが森と空だけに変わっていく。小さな谷からの流れがいくつか集まって、浦の川と呼ばれる小川になり、かつては水田耕作が行われていた山間の平地は、ここ数年の手入れによって湿原へと変わり、その中央を整備された遊歩道が河口に向かって伸びていく。

 そこは、三浦半島の先端に近い油壺マリンパークの手前の小網代湾に面した約70ヘクタールの手つかずの自然地域で、明治神宮とほぼ同じ広さだと説明されたが、湾に向かったいくつかの谷からなる丘陵地なのでその表面積を比較すればはるかにこちらの森のほうが大きいだろう。分水嶺に降った雨が森の谷間を流れて上流の小川となり、中・下流へと次第に姿を変え、河口では干潟となって海へと注ぐ「流域」のランドスケープ全体の豊かで多様な自然の営みが、この70ヘクタールの貴重な森の中で完結してみることができる。ガイドの柳瀬さんの説明が的確で素晴らしく、この森への愛情と熱意がひしひしと伝わってきた。

 入口からわずか1.5キロメートルほどで、展望テラスのある湾に注ぐ河口=干潟へと到着。その先には小網代湾の入り江が伸びていき、正面にシーボニアマンションとマリーナがみえる。短い距離なのにまるで、写真でみる北欧国フィヨルドのような風景のような不思議なデ・ジャヴゥ感覚に目がくらむ。干潟の先には、プライベートビーチのような小さな岩場と砂浜もある。まるでここは、いつか訪れてみたいと念願しているスウェーデンの国民的建築家、グンナール・アスプルンド(1885-1940)「休日の家」のあるストックホルム郊外の湾風景を彷彿とさせる。大きく異なるのは植生で、あちらは針葉樹ばかりでこちらのほうは混合樹林と、気候の違いによる植物の多様性が際立つ。春になれば新緑が鮮やかに吹きだし、生命の営みがあちらこちらで謳歌されるのだろう。美しいその時期に、きっとまたここを訪れて歩いてみよう。

 
 河口干潟から見た小網代湾。ここではかつて戦前にアコヤ貝による真珠養殖が試みられていたそうだ。


 ここで、この森の保全の中心的役割を果たされている岸由二さんが引用している一文に共感したので、そのままを掲げてみたい。小網代の森を歩いてみて五感を通して感じられることは、次の一文に象徴されていると実感したからだ。そこには人類が自然と対立し征服することではなく、自然との共存をとく東洋的思想との共通点がある気がする。

「大地と海と空とそこににぎわう生き物たちの影響のもとに自ら進んで身を置こうと思うものには、
 必ず永続的な自然との接触による喜びが神の恩恵(霊感)として与えられる」
レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」より

 さて、かえり道はすこし急な坂を上り、初音町三戸との稜線にでて海風を体全体に受けながら、広い台地一面に広がる三浦大根とキャベツ畑からなるあたり一面の広大な緑のランドスケープに歓声を上げる。こんな風景が三浦半島の先っぽにあるなんて本当に驚きだ。相模湾越しに臨む丹沢山塊と、雲に霞んでかすかに山裾がのぞく富士を眺めながら三崎口駅まで歩く。


この海を臨む緑一面のダイコンとキャベツ畑の雄大さ! 水平線の向こうの空が澄み切って眩しく光っている。
 
(2014.12.13初校、12.14改定)

慶應日吉キャンパスのヴォーリーズ教会

2014年12月06日 | 建築
 来年の秋に二胡の演奏会を企画していて、その所用で港北ニュータウンを結ぶ横浜市営地下鉄グリーンラインに初めて乗った。JR横浜線山中駅で下車して乗り換え、日吉行きの車両に乗り込む。都内大江戸線と同じで建設コストが低額で済むように、通常の地下鉄よりもひとまわり小ぶりの車両だ。
 五つ目の北山田駅で下車して、その日午後の演奏会が行われる地区センターを目指す。ここでのロビーコンサートに出演するのが、横浜をベースに活動してる二胡奏者のシェンリンさん、10月に町田でその演奏を初めて聴いたときになかなか素晴らしくて、出演依頼できる機会を持ちたいと思っていた。今回は地域の無料コンサートなので、ディズニー曲など親子連れを想定したプログラムだったけれど、最後の曲が意表をついておもしろかった。なんと、ジャズ原曲の「バードランド」。オリジナルはジョー・ザビヌルの率いたグループ、ウェザーリポートで、一般的にはボーカルコーラスグループのマンハッタントランスファーの大ヒットで知られる。アップテンポの明るい曲調で会場内に違和感なく溶け込んでいた。

 ふたたび地下鉄に乗り、終点の日吉まで出る。駅ビル改札を通って外に出ると慶應大学日吉キャンパス入口が正面だ。ちょうど黄色に染まった銀杏並木が両側に奥までずうと伸びている。すこし周辺を歩いてみたくなって、綱島街道を下り住宅街に入って奥まった階段を上り、キャンパスの裏手の高校グランドの脇に出た。丘の上から横浜都心のビルが住宅越しの望める風景だ。グランドでは高校生たちがバッティング練習を行っている。たしかこの奥には、谷口吉郎が戦前に設計したモダニズム寄宿舎があるはず。グランドの縁には新幹線のトンネルが通っていて、その路線は新横浜駅からその先の名古屋方面にもつながっていく。丘の縁の住宅の前には、冬空に伸びた皇帝ダリアの薄ピンク色のシンプルな花がいくつか、寒くはないのかいと声を掛けたくなってくる風情の中、咲いている。

 と、グランドの端に赤いトタン屋根の古い建物が目にはいってきた。最初は野球部室かと思ったけれど、よくみると小さな尖塔のうえに十字架がある。教会?でもミッション系でもないところにどうしてと不思議に思いながらも通り過ぎようとしたが、やっぱり気になって戻り、思いきってキャンパス内へと歩みいる。その建物はどことなくかわいげな感じ、どうぞと招き入れられるような気がして、建物前にまで歩み寄ってみた。すると入口に説明版があって慶應大学YMCA会館とあり、さらに読むとなんと戦前の1937年に竣工したW.M.ヴォ―リーズ(1880-1964)設計の教会堂だった!まさかこんなところで出会うなんて本当にうれしくもあり驚いた。なにしろ横浜でのヴォ―リーズ建築といえば、山手の横浜共立学園くらいだと思っていたので意外だった。キリスト教系の学園以外で敷地内にチャペルがあるのは、国内ではほかに例がないとか。中に入れていただくと、高天上はシンプルな木組みで、正面奥にはきちんと祭壇があり、並べられた椅子は坂倉建築事務所のデザイン、天童木工製で、東京六本木の国際文化会館から譲り受けてきたものなのだそう。う~ん、インテリアまでスゴイぞ。それにしても、戦前から戦後しばらくのヴォーリーズ建築の影響って、キリスト教をバックにして全国津々浦々まで拡がっていることの一端を、ここ日吉で実感する。

 帰りには、戦前1934年竣工の白亜の古典洋式を加味したモダニズム建築、慶應義塾日吉校舎(曽根中条建築事務所)の前を通り、キャンパス中央の見事に黄色く色づいた銀杏並木が続くゆるやかな坂を下っていく。この軸は駅ビルの正面吹き抜け空間を抜けて、反対側の日吉中央通まで一直線に伸びて、キャンパスと住宅地が結ばれている日本離れした象徴的なビスタ=眺望軸を形成している。
 わずか一時間あまりだったけれど、思わぬ発見の日吉さんぽを満喫させてもらったひとときでした。


 慶應義塾大学基督教青年会館の赤い尖塔と銀杏

 冬空の寒そうな空気のもと咲く、わらかいピンクがなんだか、けなげでいじらしい皇帝ダリア

高橋長英 朗読舞台から

2014年12月03日 | 文学思想
 この冬、神無月最後の週末土曜日、『朗読と音の調べ 暮秋』と題して、横浜在住のベテラン俳優、高橋長英さんの藤沢周平作品朗読会を催した。これまで仕事で直接関係した舞台のことについては触れてこないようにしていたのだけれど、今回は十回目の節目ということもあり、当日のリハーサルの様子やちょっとしたエピソードを記す。

 その公演日の朝、遅刻しそうになってホール玄関に駆け込むと同時にエレベータに乗り込む人影が見えたので、一緒に上がろうとしたらその手前で設備の人とバッタリ、「おはようございます、今日は消防設備点検をやってますから」と声を掛けられた。その会話もそこそこにして早くエレベーターにと焦っていたら、先の人影の人物がニヤリとして「よう、久しぶり!」、よく見直したらなんと長英さんご本人でこちらがびっくりした。予定の楽屋入り時間には少し早かったし、車で来館されるとばかり思っていたのでちょっと虚を突かれた感じだったが、あわてぶりを冷やかされる。
 この日の公演は、午前11時と午後2時半の2回が予定されている。事務室に入ると、舞台スタッフが照明の準備を始めていてくれる様子がモニターに映っている。そうしてしばらくすると、共演の増田美穂さんが到着したのでホールロビーに上がっていき挨拶をすると、いつのまにかオマタタツロウさん夫妻も楽屋入りしていた。リコーダーにリュート、手作り楽器などのマルチ音楽演奏家で画家でもある多彩なパフォーマー、オマタさんは富士山のふもとの在住でいらして、昨日から長英さん宅に泊めてもらっていたらしい。いつも帽子をかぶり、スナフキンのような風体で人懐こい自由人そのもの、といった感じ。この公演も回を重ねて、舞台が始まる前の気心が知れた出演者との近況についてなど、何気ない会話のやりとりが楽しい。

 しばらくして舞台上で場当たり、照明と音響のチェックが始まる。今回、増田さんはまだ若いのに、さすが横浜ボートシアター出身の舞台俳優、落ち着いてメリハリのきいた心地よい声をしている。このホールにおけるはじめてのお二人の朗読共演なので、長英さんも舞台と客席をいったりきたりして、様子を確かめている。オマタさんが場面に合わせて音を奏でると、みるみる場面が豊かにふくらんでいくのがわかる。長英さんがそれに呼応して冗談を言うとオマタさんが軽く応じたりして、舞台リハーサルはすすんでいく。
 最初からしばらく朗読台本を譜面台前において読みあっていたのだけれど、なんだかこれまでと印象が違う。ためしに譜面台を外してみると、客席からふたりの姿全体が見通せて臨場感が増すことに気がつき、本番はそれでいこうということになった。もうここまでくると間違いなくいい舞台になりそうな予感がしてくる。

 バタバタと事務所に戻って何気なしにプログラムノートを見直す。長英さんが横浜生まれで上智大学から俳優座養成所出身というのは知っていたのだけれど、ふと何年生まれなのか気になってパソコン検索してみると、昭和17年生まれの71歳とある。そうか、いつも年齢を感じさせない風貌と落ち着いた存在感のある声だなあと思って生年月日をよく見ていてびっくり、なんとこの日の公演日がまさに誕生日!ご本人が何もおっしゃらないのでうかつにも全く気が付かなかった。これはもうサプライズでお祝いをしなくちゃと公演担当者に相談したら、さすがすでにちゃんと奥様にリサーチしていて、晩酌の好みは焼酎オンリーであるとのこと、それではお祝いの品は公演終了後にお渡しすることに。

 さて、当日午前午後二回公演は、計三百名をはるかに越えるお客様に来場いただいて大盛況。
 今回は読み手が長英さんの独り舞台から、増田さんを迎えて二人になったことで掛け合いとなって、その結果より情景が立体的にふくらんだ。増田さんは本番に髪をあげてシックな着物姿で江戸を舞台とする藤沢周平作品にふさわしい落ち着いた雰囲気を創りだし、作品そのものの良さを一層引き立てて、市井の庶民生活の細やかな哀歓がくっきりと浮かび出ていた。また、オマタさんの超絶リコーダー演奏も聴きどころたっぷり、前半はリコーダー数本をひとりで操って「上を向いてあるこう」変奏曲からリュートの調べを奏で、後半は横笛を中心にしっとりとした情景にあわせて聴かせる。休憩前の舞台上では、長英さんから10回目公演の記念挨拶があって、終演後のロビーでの交歓風景も小ホールならはの良さがあり、地元公演ということもあって出演者の知人友人も多数来場し、いつになく華やいだ雰囲気。

 ロビーの観客が引き始めてた頃、はじめて長英さんの奥さまと話す機会があったけれど、すらりとした長身で表情豊かな素敵なかた、熟年夫婦かくありたいと思わせるカッコよさなのだ。人前でのお二人の少し照れ気味のやりとりも楽しいもので、こちらの決めつけかもしれないが、長英さんはその風貌から想像できないくらいのロマンチスト、なのだと思う。


 シリーズ大人の時間10 『高橋長英 朗読と音の調べ 暮秋』 藤沢周平作、桐畑に雨の降る日/約束~「橋ものがたり」より
              (平成26年11月29日/横浜)