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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

目白台永青文庫 「良寛」展

2018年07月10日 | 日記
 夏の青空と暑い日差しがもどってきた平日、思い立って小田急線で新宿へ、乗り換えて目白駅前からバスに乗り込んだ。目白駅前は山手線のなかでも落ち着いた雰囲気の駅で、駅舎からしてベージュを基調とした柔らかでたおやかな印象だ。バス停からはその駅舎とJR系ホテルが見える。

 永青文庫(ここの地番は目白台1-1-1だ)の春季!展「生誕260年記念 良寛」を見に行くのは、ニか月ぶり二回目になる。五月若葉のころにでかけたときは、その墨跡に接するのが初めてで、ふるさと越後の高名な名僧の直筆に心が震える想いだった。
 見終わったあとにひと休みしようと別邸喫茶室へ入ろうとしたら、なんと玄関前で湯河原在住のはずの細川護煕氏にばったりと出くわしてしまい、「こんにちわ」と一言発したかと思ったら、秘書らしき男性を伴って文庫内へと歩んでいかれた。その悠然とした本物のふるまいに少なからずびっくり、まさかと声がでなかった。

 今回の後期展示は、良寛(1758-1831)が還暦を迎えた乙子神社の草庵時代以降の書簡、和歌、漢詩墨跡が中心で、前期にあった五合庵時代の漢詩二編大字楷書一巻や、相馬御風、下村観山、小杉放菴といったひとの作品が入れ替わっており、とくに御風の書は、良寛に劣ることなく心惹かれるところがあっただけに再会がかなわずにすこし残念だった(御風も新潟出身の人だから、いつか帰省の際に足を延ばして糸魚川にある記念館へいってみたいと思っている)。
 それにしても良寛の墨跡はよどみがなく流れ自在であり、誤解を恐れずに述べれば、「自由素朴で究極のヘタウマ優美」とでもいえようか。そこにはやはり清貧で純粋な人柄がにじみでていると思う。雪国での暮らしは辛かったことも多かっただろうが、そこから湧き出してくる喜びも大きかったはずで、最晩歳の貞心尼との和歌をとおした交流は、年齢差と性差も超えた人間ドラマを想起させる。

 永青文庫から神田川側の木立のなかをくだると肥後細川庭園、かついては旧新江戸川公園と呼ばれていた回遊式池泉庭園である。目白通り側の隣地は、村上春樹の小説「ノルウェーの森」第一章にでてくる「見晴らしの良い文京区の高台にある学生寮」のモデルとされる財団法人和敬塾、旧熊本藩主細川氏本邸だ。両者ともお屋敷跡だけに緑が深く閑静な雰囲気で、それは芭蕉園から椿山荘へと続く。小説では、主人公の僕が初夏この寮の屋上で、都会の暗闇の中にホタルのあわい輝きをみつけると、やがてその輝きは東へと飛び去っていく情景が描かれている。おそらくその蛍は、隣地の椿山荘で放たれたものだろう。このあたりのまちなみをめぐるとき、どこか都市のなかの現実から遊離したような不思議な感覚をもたらす。

 目白通りにでると、東京カテドラル・マリア大聖堂の尖塔とアルミ合金のクロス大屋根が、夏の太陽光を反射してひときわまぶしく輝く姿が目に飛びこんでくる。絶頂期の丹下健三が1960年代、代々木のオリンピック会場と同時期に設計したこの建物は、強烈なインパクトでそそり立ち、まるで宇宙から飛来して大地に光臨したUFOのようだ。


 和敬塾前からカテドラルの尖塔を眺める。手前オレンジ瓦屋根は講談社野間記念館。 



 夏空の雲が沸きだしたが如く、未確認物体の光臨。


 東京カテドラル聖堂前を通って、独協学園前から白新坂を下っていく。下りきるころに首都高速高架をくぐって新江戸川橋からバスに乗り、新宿区のど真ん中をぬけて曙橋から靖国通りを新宿西口へとむかう。都心のダイナミックな景観があれば、窪地に込み入った住宅地もあり、思いのほか街なかの緑が豊かであかるいことに驚いた。沿道途中にホワイトキューブ状の建物をみつける、話題の草間弥生美術館だ。
 新宿大ガードをくぐって、西口バスターミナルに到着、地下街エースタウンでレストラン「墨絵」の焼きたてパンを買って帰る。小田急新宿駅ホームに入ると、ロマンスカーLSEのラストランをみようと人だかり、そこに15時40分発のはこね41号が入ってくる。展望席つきの車両、懐かしいオレンジエクスプレスを捉えてその勇姿、かなりピンボケ!


(撮影:2018/07/10 小田急新宿駅地上ホーム)