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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

ソウル行滞在記

2019年09月28日 | 日記
 二十数年ぶりの海外旅行が、初めてのソウル行き三泊四日だった。一時帰国していた娘の戻りに合わせて、彼女の語学遊学先と滞在アパートの確認、周辺環境を確かめに行こうということになったのである。

 パスポート申請から始まって、八月中旬にそのための往復航空券と宿泊先手配のために旅行代理店に出向き、ようやく出発一週間前になって2019年8月21日発行と記載された日本国政府発行パスポートを受領し、そのようにしてバタバタと出発の準備が整った。
 それからの日々のいろいろ、知り合いの方のジャズトリオのライブが地元のイタリアンパブであったので、仕事帰りに聴きに立ち寄ったり、夏のなごりの花火の打ち上げを酒匂川べりの開成まで見物にいってきたり。楽しみにしていた村上春樹のFMラジオDJ番組JAZZライブ収録(半蔵門FM東京ホール)を聴いていたら、山中伸弥教授が登場したのに驚かされたり、音楽家生活40周年を記念した三枚組CD発売に前後して掲載された、竹内まりあのインタヴュー新聞記事「語る 人生の送りもの」全15回を毎回読んでは切り抜いたりしていた。仕事の関係では、事務所隣にある消防署出張所まで救命講習にいき、三つの演奏会の会場運営もありとけっこう忙しく過ごしていた。
 そうしているうちに旅立ちが近くなってきたのだが、よりによって出発前日の朝になって、愛用のパソコンが壊れてしまい、やや動揺しての月末の旅立ちとなってしまった。

 あれからもうひと月が経とうとしている。月またぎの慌ただしい旅行ではあったが、振り返ってみれば、やはりそれなりに得るものあったと思う。帰国後に、台風15号の影響で公共交通が大混乱した。すこし心配しつつ、田舎の様子をみに帰省してきたりで、ようやくパソコンの新規購入をはたし、あたらしいダイナブックのディスプレイに向かってソウル滞在記のために、キーボードを叩いている。もう、おだやかな初秋の時候となって、ひと月のことを振り返るにはよい時期かもしれない。

 ソウルへは、成田13時55分発大韓航空704便で向い、インチョン空港へ夕方の到着だ。飛行時間はわずか三時間たらずで、たとえれば福岡の少し先の感覚、沖縄へ行くよりも近い。日本列島本州上空を横断して信州から能登半島をかすめたら日本海上空を北西へと進む。朝鮮半島を斜めに横切っていったん海上へでたら、完成してまだ新しいピカピカのインチョン空港へ到着した。日本と同様まだ外気は熱く、やや乾燥している感じがする。緑も多いが、日本ほど広葉樹は多くないように思える。街路樹のあちこちに松の木が目に付く。

 ともあれ、先導役の娘のあとについて鉄道に乗り換え一時間半あまり、ソウル市東大門区のアパートがある回基(フェギ)駅まで向かう。このあたりはソウル中心街からやや郊外の東側周辺にあたるにぎやかな学生街だ。地図でみてみると三つの大学が徒歩圏内にある。アパートは一階にセブンイレブン、二階に居酒屋が入居している建物の三階で、セキュリティはしっかりしていて、室内はきれいかつ十分な広さで、電磁調理器つきのキッチンがありひとまず安心。まだ、引っ越したばかりなので机にベッド、タンスに洗濯機、テレビ、レンジなどの生活用品とシンプルな空間だ。まだ壁時計がなく、エアコンは備えてあり、外窓が小さいがまずまずの環境。

 部屋を出たら、外はすっかり暗くなっていて駅にもどり、私たちの宿泊先がある「乙支路4街ウルチロサガ駅」まで行き、チェックイン。昔からの電気器具専門商業地と新再開発ビジネスビルが混在する地区の大通に面した21階建て大型ホテルの9階だった。
 窓ガラスの先には岩肌ののぞく小高い山々がみえて、その手前からこちらまで市街地が続いているようだ。もう、あたりはネオンと外灯またたき、すこし離れた旧市街は暗く沈んでいる。アジア独特のカオスも残っていて、これがはじめてのソウル市街の情景だった。
三人して部屋の中ですこし休んでから、ソウルきっての繁華街であるミョンドン明洞へと出てみる。屋台で賑やかな通りは若者を筆頭に、老若男女すごい人出だ。ちょうど新宿と原宿竹下通りをあわせたような感じ、横町にはいったビルの二階、庶民的な食堂で夕食にする。前菜は食べ放題のキムチ、骨付き鶏肉の入った韓国鍋におおぶりの水餃子、ビールで満腹になる。
 
 あすはすこし早起きをして、ホテル周辺の街歩きをしてみよう。


 仁寺洞通りの街並み。古美術店、伝統喫茶、工藝店、画廊ギャラリーが点在する。
近代的ビルにレンガつくりの教会、伝統家屋瓦屋根が混じる。(2019.9.1撮影)


インチョン仁川空港ロビーにて、うねる天井にネオンサインの色彩が変化する現代アート。