日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

この夏 小布施から越後妻有へⅡ

2018年08月13日 | 旅行
 小布施の小さな西洋旅籠といった雰囲気の宿で一夜をすごしたあとの目覚め、しばしの微睡、夢のような世界。ようやく寝ぼけ眼で起き出すと、庭には昨夜の台風が去ったあとの木々の緑に雨のしずくが残されていた。そのしずくが時おりの風にふかれて、ぱらぱらと落ちてくるのをよけながら、朝食場所へと移動すると、中庭の木の枝に蜘蛛の巣に雨が光っている。身支度を整えたあとに、部屋の入口の軒さきでハーブティーを飲みながら、デッキテェアに揺られてしばしくつろぐ。
 
 奥には蔵づくりのコーヒー焙煎のお店があり、静岡出身で奥さんの実家である小布施に移住してきたという若きオーナーとしばし雑談をする。テイクアウトのアイスコーヒーも持って、さあいよいよ出発だ。小布施をでるまえに、地元和菓子店に併設されている栗日本人画家の作品を収集展示している「小さな栗の木美術館」に立ち寄る。よく手入れされた緑豊かな流水のある庭園があって、館内は静謐なこじんまりとした小さな空間があり、この雰囲気はとてもいい。

 小さな美術館をでたら、新潟の大地の芸術祭の里へと一路千曲川沿いを走る。台風が去って行ったなごり雲がのこる青空のもと、おおきく眺望がひらけた風景がひろがる。いかしたドライブのおともは、山下達郎「COZY」(1998年リリース)。このアルバムは、達郎&メリサ・マンチェスターとのデュエット「愛の灯」が聴きもの。個人的には、連続朝ドラマのテーマ曲でもあったストリングス入り「ドリーミング・ガール」がとくに大好きな曲。雄大なメロディー、ハミングでこの走りには最高、ぴったりかもしれない。
 北アルプスの山並を眺めながら途中、道の駅「千曲川」に立ち寄ってのランチタイム。地元食材をつかった食事はこなれた盛り付けでおいしかった。しだいに山並が迫る国道ルート117号を北東にのぼっていき、栄村の宮野原で橋をわたると県境、ここからは新潟県域津南町だ。そしてルート沿いの千曲川は、信濃川へと名前を変えてゆく。

 ここをふくむ周辺で「大地の芸術祭」越後妻有アートトリエンナーレが開催されるようになって18年、越後妻有という名称はすっかり浸透したけれど、それまではあまり地元でそう呼ばれることはなかったように思う。いったい、この「妻有」という呼称はどこからきたのだろうかと思って、手元のガイドを参照すると、そのルーツは古く、中世後期の室町・戦国時代の「妻有郷」へと遡り、それが明治の廃藩置県以降すたれてしまったのが、平成にはいって広域観光エリア名称として復活して、芸術祭の名称に取り入れられて有名になった、ということになる。
 芸術祭総合ディレクターの北川フラム氏によれば、「妻有」の語源は「とどのつまり」にあり、地理的に雪深い行き止まりであるところからきているという。その妻有に越後をつなげることで、雪深い山奥の集落に暮らす人々のアイデンティティを表現したのであるというから、なかなかこれは芸術祭の本質につながる非常に興味深い名称だとあらためて思う。
 
 さて、車は十日町の手前でルート117号を右折して、清津峡方面へとむかう。ここからは、時を隔てて、懐かしい情景の記憶がアート作品とともに広がってゆく。その河岸段丘のひろがる情景は、ことばで語るよりも画像がふさわしいだろう。


 真っ直ぐにのびた農道両側の水田の緑と青空と朱の対比が鮮やか。これはアート作品ではないけれど、それと見まごうような巨大な赤鳥居。


 「たくさんの失われた窓のために」(2006)内海昭子
  台風12号が去ったあとの余韻が残る夏空、風はまだ残って強く吹いている。昼過ぎの陽射し、本格的に暑くなってきた。
 

 「ポチョムキン」(2003)カサグランデ&リンターラ建築事務所(フィンランド)
 川辺と欅の大木と北欧ゆかりのモニュメントの対比、かつてここでフラムさんがガイド乗車しバスとたまたま出会った。川面のむかって風に吹かれてのブランコの気持ち良さ。いつか、ここでスイカをほうばってみたい。さて、冬のあたり一面の雪の風景はどうだろうか。 


 「カクラ・クルクル・アット・ツマリ」(2009~)タダン・クリスタント(インドネシア)
 ここへはすこし迷って辿り着いた、出逢いたかった懐かしい風景と音の世界。竹とブリキの風車が奏でるモンスーン地帯の農耕風景、大地への感謝の響き。やがて、あたり一面の田園は実りの秋へと向かうだろう。 

この夏 信濃善光寺から越後妻有へ

2018年08月04日 | 旅行
 ほんとうに久しぶりだ。いつも高速道路で通り過ぎるばかりで、信州長野へ立ち寄ったのは、三十年ぶりくらいだろうか。

 上信越道を長野インターでおりると、そのまま北上してJR線長野駅南口にぶつかる。目指す建物は駅のすぐとなり、まずは宿泊先で荷物をとく。部屋の中でひと休み、これからのたびの旅程をあれこれ思案したあと、まだ日が明るいけれど汗を流しに展望風呂へ。浴室に入ると東から南方向に大きく開けたガラス窓のさきに信州北アルプスの山並がひろがり、眼下には新幹線と平行して在来線のホーム、線路がのびている。ここの浴槽にはまだ誰もいない、またとないだろう一番風呂の愉しみを全身で味わいながらの街並みを俯瞰できる爽快感。

 夕暮れどき、まちにでる。駅舎は建て替えられて新しくなり、以前の寺社建築風の面影を一新してモダンになっている。にぎわう駅前からバスに乗り、やるやかにのびる参道をのぼっての善光寺詣りへ。1998年、いまから二十年前の冬季オリンピックが契機だったのだろう、参道は石畳と植栽で整備されてすっかり整えられている。両側にみやげもの屋や老舗飲食店が連なっているが、もうほとんど人のすがたはなく、しずかな店じまいの時間である。
 仁王門のあたりからずっと宿坊がいくつもならび、このあたりの歩いた記憶が蘇ってくる。仲見世どおりをぬけて山門までいくと、国宝本堂はもう眼の前だ。ふりかえると真っ直ぐ下った表参道の両側に門前町が広がる街並みがよくわかって、言葉もなく感動する。


 夕暮れの善光寺仁王門、ライトアップされた門のあいだから仲見世の灯り、本堂、その背後は大峰山。(2018/07/27 撮影)

 翌朝、台風12号の影響ですこし雨模様のなか、ふたたび善光寺へ。大門ちかくの蔵つくりのお店の囲炉裏端で、汗だくで焼きおやきをいただく。このお店をふくむこの一角、かつての商家や蔵のまちなみを再整備、再生したらしく、植栽の木陰や木のベンチ、露地に入り込んだような先に気の利いたお店がいくつもあって楽しい気分にさせられる。
 途中雨があがって、宿坊街、仲見世をひやかして山門へ、ここは1750年寛永年間の建立で重要文化財。昨夜はできなかった登楼体験をしようと、せまくて急な階段を上がると市街を見下ろせる絶景が待っていた。恐る恐るといった感じでぐるりと一周、赤い欄干の太鼓橋のかかった放生池には、うず紅色の蓮の花が咲く。楼上からの威風堂々とした本堂の姿が美しい。やがて正午の鐘の音が衝かれ、あたりに鳴り響くと、それにつられるように学校かどこかのチャイムの音が流れ出す。その新旧の連鎖におもわず顔がほころぶ。ここ仏の都のひとたちは、古来ずっとこれで生活の時を知るのだろう。
 境内をすすんで、内陣へあがらせていただく。こちら善光寺は創建以来の独立寺院で無宗派であり続け、一光三尊阿弥陀如来がご本尊だ。念願のお戒壇めぐり、ウルシ塗の紅い擦り階段をおりて真っ暗闇を手壁に触れながらそろそろとひとめぐり、ややあっけないくらい。善光寺詣りのハイライトはこうして無事にすませることができた
 
 ふたたび仁王門を通って、ちかくの門前茶寮弥生座でせいろ蒸しの昼食を楽しむ。ここは江戸時代からの町屋を改装して食事処としていて、使っている器類もよくできた民芸品が選ばれている。カウンターの向こうのおおきな戸棚が信州民家らしい。添えられた瓜の漬物もうまかったが、女将のサービスでいただいた手づくりのオレンジとブルーベリーのアイスクリームが口直しに最高で得した気分になる。

 さあ、これから仲見世を冷やかして宿駐車場までもどり、千曲川を超えて一路、小布施のまちへ。長野を拠点としていた建築家宮本忠長が景観づくりに深くかかわった美しく小さい町、北斎と栗菓子のまちだ。そこでゆっくり一泊滞在したあとは、JR飯山線沿いに国道117号、通称善光寺街道を北上していく旅、いよいよ三年ぶりの越後妻有アートトリエンナーレ大地の芸術祭の里山地を訪れよう。


 ハスの花 咲く極楽の浄土にうかぶ三門威風堂々(善光寺の夏)