日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

薫風大山詣で

2016年05月22日 | 旅行
 相模国大山、シンプルでそのものズバリのいい名前だ。

 現代における大山詣では、鉄道、バス、上り参道を徒歩で、最後のケーブルカ―に乗り継ぐことで、あっさりと行くことができる。阿夫利神社にお祭りしてある大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)は、美人の誉れ高い木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)の父神にあたるんだとか。ということは大山と富士山とは信仰上、関係が深いことになる。

 爽やかな五月晴れの休日、友人二人と待ち合わせて小田急線で合流し、伊勢原駅からバスに乗ること約30分で終点の大山ケーブル下に到着する。そのさきの両側にみやげ物屋や食事処が並ぶレトロな雰囲気の通称“こま参道”を通り抜ければ、ケーブルカー乗り場だ。五十年ぶりに更新された新型車両は、大阪で製造された後、大型トレーラーでヤビツ峠にあるヘリポート基地まで運ばれ、そこからはなんと空輸で吊り下げられて、ケーブル駅仮設置場まで移動したのだそう。レール、枕木とケーブルを更新し、車体枠は旧型をそのまま利用して組み立てを現場で行い、すべて完成したのが昨年九月のこと。それから八か月、鮮やかなブリリアントグリーンの車両が新緑の季節にいっそう映えている。このフロントに太いゴールドと細めのレッドラインをあしらったスタイリッシュなデザインは、いささかまぶしすぎて面はゆい感じもするが、室内に入ってみると円弧を描いた高い木目天上と、広いガラス窓から注ぐ明るい陽光が、日常からすこし離れての観光気分を盛り上げてくれる。

 午前十時過ぎ、そのケールカーに乗って緑のトンネルを抜ける遥か下界の真っ直ぐ先に、うっすら江の島が望める。そうしているうちに、五分余りで終点駅ホームへ着いた。そこからすこしまわり込んで見上げた先の参道石段を上ると大山阿夫利神社の下社拝殿前にたどり着く。久しぶりと振り返れば、視野一杯に広がる相模平野と相模湾が飛び込んできた。やや右方向の高取山の先、相模湾に面して横に細長く大磯丘陵が伸びていて、中継塔の突き出たあたりが湘南平か。ここ標高約七百メートルからの眺めは、天上から下界を俯瞰するといった感がある。陽を透かしての周囲のモミジの新緑が目にしみいる。その緑陰でたたずむと、吹き渡る涼風の心地よさにしばしゆったりと寛ぐ。

 拝殿の左手に回ると浅間神社があって、大山と富士山の関係が記されている。正面に掲げられた祭り神は木花咲耶姫と姉君の磐長姫で、神道に詳しい同行の友人によると、姉妹神両方の名前が記されてるのは珍しいという。とくに磐長姫は神話の世界では最初に名前が記されるのみで、その後の存在が不明のちょっとミステリアスな雰囲気の女神なのだそう。そんな話をこの場所で聴くのも面白いものだ。

 参拝を果たしてから、ふたたびケーブルカーに戻って下山し、こま参道をひやかしながら、地元産きゃらぶき新物と山椒昆布焚きを土産に買ってから、大山講宿坊の面影を残すとうふ料理屋でひと休み。お座敷からは広くはないけれど手入れされた小さな池と風情ある庭が望める。食事をしているとその庭先から、まるで計らったかのようなタイミングでウグイスの鳴声が聴こえてくる。なんとまあ機微をわきまえたウグイスなのだろうと、耳を澄ましながらうれしくなって思わず雰囲気がなごんだ。
 いのち溢れるよい季節、今夜は満月の夜だ。


 大山阿夫利神社下社境内から、相模平野と相模湾方面を望む(2016.05.22)

 2016.05.22初校、24改定

きんじろうカフェ、雨のち穏やかな晴れ

2016年05月12日 | 日記
 小田原城天守閣が、再建後56年後の大改修を終えての新装お披露目ということで、うす雨模様の城下まち歩きを楽しんできた。

 まずは、小田原駅東口コンコースの先の富士屋ホテルグリル“エフ”へ、11時半開店と同時に入店してすこし早目のランチで腹ごしらえ。本日のメニューは、周辺の飲食店が競って共同キャンペーン中の小田原丼なる地産地消もののどんぶり飯。地域柄、新鮮な魚介類の刺身を盛り込んだものが多い中、ここは老舗のホテル店舗だけあって、ロースト牛肉が盛りつけられている。となれば、平日昼から赤のグラスワインに手が伸びる。
 店舗を出ると右手先に、二宮金次郎少年像がいつもの勤勉な姿で見えている。その日は母の日を控えてのカーネーションに囲まれて、なんだかいつもとちがう様子にちょっと照れているかもしれない?

 JR線沿いに小田原城公園に歩いてゆく。天守閣はすっかりきれいにお化粧直しされて、石垣のうえに威風堂々とそびえたっていた。この天守閣、昭和35年(1960)に復興されたもので、江戸時代初期、稲葉藩主時代のものが原型となっているそうだ。それ以降、四百年の間に直近の関東大震災を含めて、五度もの震災被害に遭っていて、そのたびに復興してきた。昨今の熊本城の被害に驚かされてる現代人からすると、むかしのひとは少々の天災は当たり前で簡単にはへこたれなかったのだろう。天守閣が小田原市民ならずとも、城下町に暮らす人々のこころの支えとなってきた歴史が偲ばれる。
 三層四階建ての天守閣最上階に昇って、地上四十メートルちかくから周囲を眺め回す。かつての北条氏本丸跡と推定される八幡山方向、その先の箱根連山から時計回りに丹沢・大山・相模方面の山並み、東方向ふもとには小田原市街地が広がり、南方向に早川、江之浦から真鶴半島の先、相模湾が一望できる。この城下町の全体が見渡せる眺望は格別で、やっぱり高いところは登ってみるものだ。足元には、のんびりレトロ児童遊園地のかわいい豆列車が走っている。
 館内のパネルには、戦国時代の小田原城総構と小田原合戦について解説文があり、先に放送されたブラタモリ小田原特集のネタ元はここにあったのかもしれない。歴代小田原藩主の系譜も示してあって、三代藩主稲葉氏は長興山のしだれ桜で知られるけれど、小田原のあとに越後高田藩へ転封されているので、その意味で両地域は歴史的につながっているわけだ。
 つぎに小田原を訪れるときには、風祭から石垣山一夜城歴史公園まで歩いてみよう。そうしたらそのあとに早川港方向面へぬけられる。

 天守閣を下りてその足で報徳二宮神社へ足をのばす。本殿にお参りした後に、境内を歩いていると最近できたばかりの素敵なお休みどころを発見した。それがネーミングもかわいい「きんじろうカフェ」、軽やかな構えでどことなく無印良品風のセンスを見て取った。店内には二宮尊徳ゆかりのオリジナルグッズもあって、すこしばかりお土産に買い求めてから、無垢のテーブルが置かれたその場でひと休み。周囲の新緑が身に沁みる。すこし、晴れてきた、もうすこし、街歩きを楽しもうか。


 壁に“きんじろうカフェ”の立体文字、木製棚上段の枠の中には、金次郎像のミニチュアが浮かぶ。
このオープンカフェ、誤解を招かずに書いてしまうと、現代の市中における山小屋とでも呼ぶべき建物で、中村好文氏設計“ハット”シリーズのひとつのようでもある。なんとも和んで、境内の緑につい長居がしたくなる居心地の良い空間。そこには、早川でとれた農産物、加工品の販売や片浦レモンを使った飲み物もある。尊徳さんの経営センス、なかなかのものです。


 母の日のカーネーションの植木鉢に囲まれて、勤勉で親孝行の金次郎少年(小田原駅東口)。


八十八夜前の帰省、霧ケ岳温泉三昧

2016年05月03日 | 日記
 先月末、故郷新潟へと帰省してきた。相模原愛川インターから圏央道、関越道を経て二度の休憩を取って六日町インターで降り、峠の県道をぬけて行く。今春の山里はすっかり雪解けして、遠くの長野県境の山襞に残る残雪のみで、いつになく青々としてそびえ立っていたように思う。
 途中、松代を通り抜ける時に、ほくほく線の鉄路の向こうに巨大なクモ虫の様な特徴ある白い外観をした「まつだい農耕文化センター」と、その先の棚田の中で作業をする農夫姿を模した青と黄色のモニュメント像が望めて、ああ故郷の近くに帰ってきたんだ、という実感がわいてくる。まだ日が残る明るいうちに、実家まで帰り着くことができた。玄関と縁側の雪解け用の羽目板を外して、ひとまず荷物を家の中に運び込んだ。半年のあいだ無人だった居間に入り、縁側のカーテンとサッシを開けて、明りと外気を呼び込むことにする。そうしてようやく、人の気配の中で家が呼吸をしはじめた。

 この日の夕方は、車で半時間ほどの地元日帰り湯に行くことにした。霧ケ岳温泉「ゆあみ」という名のそこは、2005年の市町村合併前にできた当時の村おこしブームで誕生した日帰り鉱泉施設。建物は目を洗うような緑の山々に囲まれ、保倉川のせせらぎに隣接している立地がまずもっていい。トタン屋根田舎家風の鄙びた、というか都会人の目を意識したようなことのない普通の雰囲気が救いで、じつに肩の凝らないのんびりした鉱泉だ。いつ行っても閑古鳥が鳴いている感があって、はたしていつまで持つのだろうと気になっていたが、とうとう来年三月をもって休館なのだという。ここの魅力ある環境は、なかなか捨てがたく、いやあ、もったいない気がするなあ。大広間、サウナ、キャンプ場あり、バーベキューガーデンあり、コシヒカリアイス店舗の併設されたドライブイン要素も兼ね備えているのに、周囲に対して十分にそれがアピールできていないもどかしさ、あっさりしすぎの欲の無さを感じるのだ。
 あたりの景色を眺めながら湯船につかり、そうかこの春から秋が見納め、いや湯納めになってしまうのだろうと思うと、なおさら愛おしさが増してくるし、やわらかな新緑がいっそう身に染みる。ちょうど広場の八重桜が満開で、こんどは昼間にゆっくりと来てみようと思う。

 
 第三セクター鉄道ほくほく線うらがわら駅。静かなローカル線だが、昨年まで越後湯沢発金沢行きの特急「はくたか」が疾走していた。題字は開業十周年を記念して、どのような繋がりだったのか、あの片岡鶴太郎氏による。田舎風民家を模した待合室、積雪を意識した高架の駅舎はエレベータつき。この先に行くと曹洞宗の名刹、顕聖寺。境内には、明治時代日韓併合の影の立役者、快僧武田範之顕彰碑がたつ。


 翌日午前中は、近くの裏山でいまが旬の筍掘り作業にいそしむ。タケノコって、竹冠に“旬”と書くのかと気がついて、山斜面に先端をちょこっとだけ出したところを発見、やはり、いまが旬なんだと実感した。このタケノコ、根元まで掘りやすかったこともあり、慎重にシャベルで掘り出したら、最終的に予定した倍の本数の新鮮な収穫物があった。さっそく持ち帰って庭の苔の上に並べて、記念撮影と相成った。考えてみるに、田舎で暮らしていた時は、このような行為に喜びを感じることも意識しないままで、都会に出て戻ってきて、ようやく改めて感じ入ったわけで、不思議なものだ。

 
 庭の杉苔のうえの掘りたて、旬のタケノコ。孟宗竹につき、根元まで毛深い!?