東京するめクラブなる三人組が、今世紀初頭というと大げさになるけれど、要するに2002年から3年にかけて「ちょっとヘンな」あるいは「すこし気になる」、ひらたくいえば海外を含む各地のB級的観光地?を巡った紀行文集が「地球のはぐれ方」というタイトルで文庫本化されているのを読んだ。
そこに取り上げられた地所の標題は順に、
「魔都、名古屋に挑む」食材編:失われた世界としての名古屋 文化編:日本は世界の名古屋だったのか
「62万ドルの夜景もまた楽し―熱海」諦観の静けさに幸あれ
「このゆるさがとってもたまらない―ハワイ」 夢のハワイで盆踊り
「誰も(たぶん)知らない江の島」 へえ、江の島ってこうだったのか
「ああ、サハリンの灯は遠く」 サハリン大旅行 ワイルド・ウエストとしてのサハリン
「清里―夢のひとつのどんづまり」 清里 メルヘンの果て
となっていて、一見脈絡のなさそうなその地所の選び方自体が興味深くおもしろいでしょ。
東京するめクラブと称する三人組は、村上春樹に吉本由美、都築響一の組み合わせでこの名前をみただけで好奇心をそそられる。村上、吉本は団塊の同世代でともにプロ野球ヤクルトファン、都築はその少し下の1956年生まれで結構前からの旅行仲間だからというから、へえっ、意外という感じ。
最初の訪問地に選ばれたのは、名古屋。この選択は隊長こと村上春樹の主導だったのかはわからないけれど、前半の食材編(食べ歩き記)のお店のセレクトは都築隊員らしいニオイがする、もっとも取材にあたっての案内役には、名古屋在住の人があたったていたと書かれているけれど。まずは軽いノリでの食べ歩きであちこちの名古屋人には普通?でも少なくとも東京人にはマニアックなお店を巡り、レポートしてる。あのハルキさんも10数年前はこんな感じの仕事も受けてたんだ、とちょっと意外でもあります。もしかしたら、息抜き的に、いや積極的に次回小説の題材探しをしていた、という説もあり、ムラカミ隊長担当の冒頭文「失われた世界としての名古屋」「名古屋道路事情」「名古屋に来たらラブホテル」(つい先日市内の新栄から千種あたりのメイン通りからの一歩奥のブロックを歩いてみると、派手なネオン輝くホテルが林立してた)を読んでみて、あらためて現時点での最新書き下ろし小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(2013年4月)に思いを巡らしてみるとおもしろいかも。ひとりの人間の体験したことが創作において何かしらの無意識の影響、インスピレーションを与えていることは当然のことだろうけれど、ひとつはっきりしているのは「地球のはぐれ方」も「色彩を持たない・・・」もともに文芸春秋からの発行であるということなんだ。職業作家村上春樹としては、しっかり結果を出したうえで仁義を果たしているということは言えると思う。名古屋、たしかに掴みどころがない街です。
この紀行文集のなかでもうひとつ興味深かったのは、秋の江の島宿泊訪問編。江の島の不思議な魅力は個人的にも大好きで、このブロブでもこれまで二回触れる機会あり、新年の冠雪の富士を望む江ノ島神社詣でから始まって、つい最近は晩夏の恒例イベント「江の島BALI SUNSET2014」に行ってきたばかり。訪問記最後の鼎談会でムラカミ隊長が「どことなく土着的、アンダーグランド的な凄味がある」と発言することに応じてツヅキ隊員が「バリ島みたいな感じ?」、隊長「誰かが江の島ケチャダンスとか作っちゃえばいいんだ」となっていたけれど、その数年後本当に「「江の島BALI SUNSET」なるインドネシア大使館後援、ガルーダ航空協賛のイベントが始まってしまったのだ。江の島にバリですよ!おまけに時期が前後してハワイアンダンスのイベントも並行して行われていて、もっとすごいことになってしまっている。
宿泊先の岩本楼の洞窟風呂とローマ風呂ステンドグラスは確かに一見の体験価値あり。ここのよくできたテラコッタやタイルが陶芸作家の小森忍(1889-1962)だとは知らなかった。大阪生まれで京都で浜田庄司や河井寛次郎などとともに修業し、たしか愛知にもゆかりの人ではなかったかな。島内めぐりのエスカレーター“エスカー”は1959年設置のバリアリー施設の先駆け?野良猫天国なのは、参道や民家の並ぶ路地をあるいてみるとすぐわかります、ムラカミ隊長が猫好きだったとはね。シャッターの降りた店先でトラ猫に手を伸ばす隊長のなんとも幸せそうな表情が楽しい。
江戸時代からの宗教的要素と参詣の伝統が息づき、明治にはE.モースが臨海生物観測を行い、50年前の東京オリンピック大会ではヨット会場となり、平成になって展望塔が建替えられ、高野山真言宗の江ノ島大師ができたと思ったら、そこの住職が東京九段の朝鮮人民団体が入居するビルの売却を巡って登場して世間を騒がせたのは記憶に新しい。そして、ハワイにバリである、やれやれ、世界広しといえどもこんなごった煮的要素をもった島はないだろう。あれもこれもウワバミのように飲み込んで、今日も江の島は平和であるうちに暮れていく(だろう)。
境川を跨ぐ国道134号線の向こうの“異界”の島。江の島大橋に椰子の並木が伸びる、空には秋雲の気配か。
江の島とは関係ないけれど、青空ついでに住まいの上空を横っていく「オスプレイ」、プロペラが上向きモード。正直他人事と思っていた日米安保上の懸案事項が、身近になった瞬間。独特の爆音を響かせて、数機が富士演習場での訓練後に厚木飛行場に向かって戻っていった姿だろう。24日には沖縄の普天間基地に帰っていったと報道されていた。
そこに取り上げられた地所の標題は順に、
「魔都、名古屋に挑む」食材編:失われた世界としての名古屋 文化編:日本は世界の名古屋だったのか
「62万ドルの夜景もまた楽し―熱海」諦観の静けさに幸あれ
「このゆるさがとってもたまらない―ハワイ」 夢のハワイで盆踊り
「誰も(たぶん)知らない江の島」 へえ、江の島ってこうだったのか
「ああ、サハリンの灯は遠く」 サハリン大旅行 ワイルド・ウエストとしてのサハリン
「清里―夢のひとつのどんづまり」 清里 メルヘンの果て
となっていて、一見脈絡のなさそうなその地所の選び方自体が興味深くおもしろいでしょ。
東京するめクラブと称する三人組は、村上春樹に吉本由美、都築響一の組み合わせでこの名前をみただけで好奇心をそそられる。村上、吉本は団塊の同世代でともにプロ野球ヤクルトファン、都築はその少し下の1956年生まれで結構前からの旅行仲間だからというから、へえっ、意外という感じ。
最初の訪問地に選ばれたのは、名古屋。この選択は隊長こと村上春樹の主導だったのかはわからないけれど、前半の食材編(食べ歩き記)のお店のセレクトは都築隊員らしいニオイがする、もっとも取材にあたっての案内役には、名古屋在住の人があたったていたと書かれているけれど。まずは軽いノリでの食べ歩きであちこちの名古屋人には普通?でも少なくとも東京人にはマニアックなお店を巡り、レポートしてる。あのハルキさんも10数年前はこんな感じの仕事も受けてたんだ、とちょっと意外でもあります。もしかしたら、息抜き的に、いや積極的に次回小説の題材探しをしていた、という説もあり、ムラカミ隊長担当の冒頭文「失われた世界としての名古屋」「名古屋道路事情」「名古屋に来たらラブホテル」(つい先日市内の新栄から千種あたりのメイン通りからの一歩奥のブロックを歩いてみると、派手なネオン輝くホテルが林立してた)を読んでみて、あらためて現時点での最新書き下ろし小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(2013年4月)に思いを巡らしてみるとおもしろいかも。ひとりの人間の体験したことが創作において何かしらの無意識の影響、インスピレーションを与えていることは当然のことだろうけれど、ひとつはっきりしているのは「地球のはぐれ方」も「色彩を持たない・・・」もともに文芸春秋からの発行であるということなんだ。職業作家村上春樹としては、しっかり結果を出したうえで仁義を果たしているということは言えると思う。名古屋、たしかに掴みどころがない街です。
この紀行文集のなかでもうひとつ興味深かったのは、秋の江の島宿泊訪問編。江の島の不思議な魅力は個人的にも大好きで、このブロブでもこれまで二回触れる機会あり、新年の冠雪の富士を望む江ノ島神社詣でから始まって、つい最近は晩夏の恒例イベント「江の島BALI SUNSET2014」に行ってきたばかり。訪問記最後の鼎談会でムラカミ隊長が「どことなく土着的、アンダーグランド的な凄味がある」と発言することに応じてツヅキ隊員が「バリ島みたいな感じ?」、隊長「誰かが江の島ケチャダンスとか作っちゃえばいいんだ」となっていたけれど、その数年後本当に「「江の島BALI SUNSET」なるインドネシア大使館後援、ガルーダ航空協賛のイベントが始まってしまったのだ。江の島にバリですよ!おまけに時期が前後してハワイアンダンスのイベントも並行して行われていて、もっとすごいことになってしまっている。
宿泊先の岩本楼の洞窟風呂とローマ風呂ステンドグラスは確かに一見の体験価値あり。ここのよくできたテラコッタやタイルが陶芸作家の小森忍(1889-1962)だとは知らなかった。大阪生まれで京都で浜田庄司や河井寛次郎などとともに修業し、たしか愛知にもゆかりの人ではなかったかな。島内めぐりのエスカレーター“エスカー”は1959年設置のバリアリー施設の先駆け?野良猫天国なのは、参道や民家の並ぶ路地をあるいてみるとすぐわかります、ムラカミ隊長が猫好きだったとはね。シャッターの降りた店先でトラ猫に手を伸ばす隊長のなんとも幸せそうな表情が楽しい。
江戸時代からの宗教的要素と参詣の伝統が息づき、明治にはE.モースが臨海生物観測を行い、50年前の東京オリンピック大会ではヨット会場となり、平成になって展望塔が建替えられ、高野山真言宗の江ノ島大師ができたと思ったら、そこの住職が東京九段の朝鮮人民団体が入居するビルの売却を巡って登場して世間を騒がせたのは記憶に新しい。そして、ハワイにバリである、やれやれ、世界広しといえどもこんなごった煮的要素をもった島はないだろう。あれもこれもウワバミのように飲み込んで、今日も江の島は平和であるうちに暮れていく(だろう)。
境川を跨ぐ国道134号線の向こうの“異界”の島。江の島大橋に椰子の並木が伸びる、空には秋雲の気配か。
江の島とは関係ないけれど、青空ついでに住まいの上空を横っていく「オスプレイ」、プロペラが上向きモード。正直他人事と思っていた日米安保上の懸案事項が、身近になった瞬間。独特の爆音を響かせて、数機が富士演習場での訓練後に厚木飛行場に向かって戻っていった姿だろう。24日には沖縄の普天間基地に帰っていったと報道されていた。