本格的な盛夏がやってきた週末午前、小田急線で都心に向かう。途中代々木上原で地下鉄千代田線に乗り換え、乃木坂駅で下車して、新国立美術館で開催中の「第68回毎日書道展」を見にゆく。
地下鉄駅改札から直結の連絡口から館内に入ると、巨大なガラス張りの曲線を描いたアナトリウム。手前の企画展示室では「ルノワール展」に多くのひとが吸い込まれていくが、一番奥が会場の書道展のほうは落ち着いた雰囲気だ。それこそ壁一面に並んだ額装の書の数々、巨大な公募書展ならではの迫力のなかを、家人の佳作入選作品を探しながら巡っていく。モノクロの世界の中の一点、その所の前で記念撮影のあとは、足の赴くままに時々気になった所の前で立ち止まってみたり、漢字、ひらかなと流しながらの変化に身を任せてみる。刻字がいくつか出品されていて、地の木肌色と刻まれた文字に塗り込められた深緑色の対照の妙が、職人的というのか筆文字とは異なる味わいでおもしろい。
一階のアナトリウムに戻り、カフェで飲み物を手に屋外のデッキにでて、欅の緑陰のコーナーでひと休み。周囲への視界が広がり、思いのほか蒸し暑くなくて過ごしやすい。と、一羽の雀が飛んできてデッキの上をちょんちょん歩き回ると、お隣のテーブルのサンドイッチのおこぼれをおねだりしている。もう人慣れしているのか、そのうちに椅子の縁に停まったかと思うとテーブルのうえまでやってきて催促の様子、かわいいものだ。田舎では害鳥扱いの雀も、都会では生きていくために環境に順応して、人間社会とうまく折り合いをつけて共存しているのだろう。
カフェデッキから見上げた新国立美術館(設計:黒川紀章)の外曲面ガラス、緑陰を抜けた先の夏空
ふたたび地下鉄地下鉄千代田線に乗って湯島へと向かう。地上に出ると陽射しは強さを増している。東大付属病院に入院中の叔母の見舞いのために、交差点角「つる瀬」で夏の和菓子を購入してから、湯島天神を左に高級マンションのはしりといわれた湯島ハイタウンを右に見ながら、ゆるくカーブする切通坂を上っていく。マンションの向こうは広大な旧岩崎邸庭園の緑の森だ。旧竜岡町までくると病院の古風な入口門がみえてくる。入ってすぐに大学本部棟があり、その脇をまっすぐに桜と欅の大木の並木が並行して構内を貫いている。並木通りの緑陰を歩いて右手の建物が巨大な付属病院棟だ。手前がスクラッチタイル貼り本棟で、奥が高層新棟となっていて十ニ階が叔母の病室である。
仕切りカーテンの奥での面会、思った以上に元気そうな姿で一安心する。病室の窓からは、隅田川のむこうのスカイツリーが、目の前真正面、天空に向かって雄々しくそびえていた。すぐ眼下には、旧岩崎邸洋館、和館の瓦屋根、芝生広場と庭園が手に取るように見下ろせる。明治時代のお雇い外国人で日本を愛し、帰化したジョサイア・コンドルによる建築設計だ。江戸時代は越後高田藩の屋敷だったそうだから、故郷ゆかりの場所でもある。
「このさきからの眺めのほうがもっと絶景だから」と、叔母の言葉に促されて食堂に移動する。その窓の先に広がるのは、不忍池全体と上野公園の森が一望できる眺めだ。不忍池弁天堂あたり一面の蓮の葉が風にそよぐと、裏面が返ってさざ波のように揺れては流れていく。
世界遺産となったばかりの国立西洋美術館は、低層のため木々に隠れてわからないが、湖畔にのぞむ精養軒、清水観音堂、東京文化会館大ホール上屋、国立科学博物館、博物館のオレンジがかった横長の瓦屋根、表慶館の緑色のドーム、芸大キャンパスの棟々などが俯瞰される。じっと目を凝らせば、上野時鐘堂とそのすぐ隣に横山大観ゆかりの食事処韻松亭が見えて、あそこで食事したんだなあ、そのときにこの高層棟も望めたっけと、まるで天空人になったかのような気分がしてくる。
帰りは、旧岩崎庭園裏手の年代物の煉瓦積塀にそってまがりながら、無縁坂をおりていく。森鴎外小説ゆかりの坂というよりも、やはり同時代人にとってはより身近であろう、さだまさしのあの歌を口ずさみながら、不忍池のほとりに出る。池の半分は、蓮の大きな葉でびっしり覆われて水面が見えないくらい。濃いピンク色のふくらみを持った蕾がところどころからすっと細長い茎を延ばしていた。
しのばずの蓮華に浮かぶ慈しみふみづきのひと白日の夢
この蓮の花は、越後上越高田公園のハス、不忍よりも雪国の花は色白で密やかか(2016.07.21撮影)
地下鉄駅改札から直結の連絡口から館内に入ると、巨大なガラス張りの曲線を描いたアナトリウム。手前の企画展示室では「ルノワール展」に多くのひとが吸い込まれていくが、一番奥が会場の書道展のほうは落ち着いた雰囲気だ。それこそ壁一面に並んだ額装の書の数々、巨大な公募書展ならではの迫力のなかを、家人の佳作入選作品を探しながら巡っていく。モノクロの世界の中の一点、その所の前で記念撮影のあとは、足の赴くままに時々気になった所の前で立ち止まってみたり、漢字、ひらかなと流しながらの変化に身を任せてみる。刻字がいくつか出品されていて、地の木肌色と刻まれた文字に塗り込められた深緑色の対照の妙が、職人的というのか筆文字とは異なる味わいでおもしろい。
一階のアナトリウムに戻り、カフェで飲み物を手に屋外のデッキにでて、欅の緑陰のコーナーでひと休み。周囲への視界が広がり、思いのほか蒸し暑くなくて過ごしやすい。と、一羽の雀が飛んできてデッキの上をちょんちょん歩き回ると、お隣のテーブルのサンドイッチのおこぼれをおねだりしている。もう人慣れしているのか、そのうちに椅子の縁に停まったかと思うとテーブルのうえまでやってきて催促の様子、かわいいものだ。田舎では害鳥扱いの雀も、都会では生きていくために環境に順応して、人間社会とうまく折り合いをつけて共存しているのだろう。
カフェデッキから見上げた新国立美術館(設計:黒川紀章)の外曲面ガラス、緑陰を抜けた先の夏空
ふたたび地下鉄地下鉄千代田線に乗って湯島へと向かう。地上に出ると陽射しは強さを増している。東大付属病院に入院中の叔母の見舞いのために、交差点角「つる瀬」で夏の和菓子を購入してから、湯島天神を左に高級マンションのはしりといわれた湯島ハイタウンを右に見ながら、ゆるくカーブする切通坂を上っていく。マンションの向こうは広大な旧岩崎邸庭園の緑の森だ。旧竜岡町までくると病院の古風な入口門がみえてくる。入ってすぐに大学本部棟があり、その脇をまっすぐに桜と欅の大木の並木が並行して構内を貫いている。並木通りの緑陰を歩いて右手の建物が巨大な付属病院棟だ。手前がスクラッチタイル貼り本棟で、奥が高層新棟となっていて十ニ階が叔母の病室である。
仕切りカーテンの奥での面会、思った以上に元気そうな姿で一安心する。病室の窓からは、隅田川のむこうのスカイツリーが、目の前真正面、天空に向かって雄々しくそびえていた。すぐ眼下には、旧岩崎邸洋館、和館の瓦屋根、芝生広場と庭園が手に取るように見下ろせる。明治時代のお雇い外国人で日本を愛し、帰化したジョサイア・コンドルによる建築設計だ。江戸時代は越後高田藩の屋敷だったそうだから、故郷ゆかりの場所でもある。
「このさきからの眺めのほうがもっと絶景だから」と、叔母の言葉に促されて食堂に移動する。その窓の先に広がるのは、不忍池全体と上野公園の森が一望できる眺めだ。不忍池弁天堂あたり一面の蓮の葉が風にそよぐと、裏面が返ってさざ波のように揺れては流れていく。
世界遺産となったばかりの国立西洋美術館は、低層のため木々に隠れてわからないが、湖畔にのぞむ精養軒、清水観音堂、東京文化会館大ホール上屋、国立科学博物館、博物館のオレンジがかった横長の瓦屋根、表慶館の緑色のドーム、芸大キャンパスの棟々などが俯瞰される。じっと目を凝らせば、上野時鐘堂とそのすぐ隣に横山大観ゆかりの食事処韻松亭が見えて、あそこで食事したんだなあ、そのときにこの高層棟も望めたっけと、まるで天空人になったかのような気分がしてくる。
帰りは、旧岩崎庭園裏手の年代物の煉瓦積塀にそってまがりながら、無縁坂をおりていく。森鴎外小説ゆかりの坂というよりも、やはり同時代人にとってはより身近であろう、さだまさしのあの歌を口ずさみながら、不忍池のほとりに出る。池の半分は、蓮の大きな葉でびっしり覆われて水面が見えないくらい。濃いピンク色のふくらみを持った蕾がところどころからすっと細長い茎を延ばしていた。
しのばずの蓮華に浮かぶ慈しみふみづきのひと白日の夢
この蓮の花は、越後上越高田公園のハス、不忍よりも雪国の花は色白で密やかか(2016.07.21撮影)