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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

鎌倉八幡宮池のほとりに映る白い宝石箱

2016年01月30日 | 建築
 先週の日曜日の午前中、鎌倉駅を下りて東口のバスロータリーをまわり込み、海岸から真っ直ぐ一直線に八幡宮まで伸びる若宮大路へと出る。二の鳥居から始まる檀葛が改修の真っ最中で、白色に塗られた鉄板の囲みに覆われていた。このいつもと違う眺めもこの時期だけのものだと考えると貴重な風景なのかもしれない。囲みの上から植え替えられた桜並木が覗いていて、その枝の花包は寒空のもと、まだ固く閉じられたままだ。
 鳩サブレーの豊島屋本店、ホテル結婚式場の鶴岡会館を過ぎると、ファッションの旧ラルフ・ローレン店舗だったゴシック風のビルは、時代がまわって風格を増した外観はそのままに、三井住友銀行鎌倉支店に様変わりしていた。この転用は角地ということもあり、じつにぴったりの組み合わせだと思う。昔からの土産物屋さんも今風の雑貨と飲食店へと改装され、ここ鎌倉のメインストリートにも現代の商売風は確実に吹き込んでいる。昔ながらの骨董屋が目につくのが古都らしい。

 八幡宮三の鳥居前から太鼓橋ごしに舞殿と本殿を望んでから左手の進んですぐ先、平家池ほとりにその「小さな白い宝石箱」は見えていた。今年で65年目を迎える神奈川県立近代美術館鎌倉館の軽やかな姿である。二層の建物の一階周囲の大谷石と二階周囲のアルミパネルの組み合わせが、伝統とモダンの二重奏を奏でている。この美術館が1951年に八幡宮境内に誕生した経緯はくわしく知らないが、池のほとりの立地こそがこの白い近代建築の直線シルエットを水面に映して爽やかに引き立てることとなって、戦後モダニズム建築の傑作と称賛られる最大の要因となった。
 改めて眺めたときに決して建物本体は贅沢な造りではないのに美しいのは、周囲環境との調和を図ることを基本として日本の伝統への敬意の上に、近代モダニズムが融合されていることにあることに気がつく。二階部分をアルミ外壁で囲って地上より持ち上げ、一階にピロティ空間を作り出す。二階の池に面した部分をガラス面で大きく開口させ、喫茶スペースと階上テラスを設けている。枕詞のようにつく「20世紀を代表する大建築家ル・コルビュジュのもとで研鑽した」坂倉準三(1901-69)設計のこの建物は、国立西洋美術館や豊田市美術館に先駆けて、美術館建築自体の存在が芸術作品のひとつであることの先鞭をつけたという意味で特筆される。そのル・コルビュジュが、1955年国立西洋美術館の設計調査のために来日した際、弟子の坂倉に案内されて一階テラスや中庭でたたずむモノクロ写真が残っている。
 一方、日本の伝統との融合を意識しているのと思われるのが、一階部分外壁をすべて大谷石で巡らし、池側にはみ出した六本の鉄骨で階上部分持ち上げて広いテラスとして、池からの風光を建物内部空間である中庭まで呼び入れていることだ。ここには日本人坂倉準三の建築家としての美意識が光っていて、全体を見た時に、先の枕詞はもういいかげんに必要ないのではないかと思われる。建物の内側回廊にはさらに豊かな空間が広がり、中庭中央にはイサムノグチ作の赤御影石こけし像二体が置かれている。大谷石の内壁を背景にした男女風のやさしい造形だ。

 建物周囲を巡ってみる。池に面した側からみて左側面が建物本体の正面にあたり、一階左手の入場券売場に立ち寄ったあとに中央開口部に設けられた階段を軽やかに駆け上がっていくうちに、その先の展示空間での美術鑑賞への期待がいやがおうにも高まっていく空間演出だ。その日は込み合う館内への入場はあきらめて、建物横から池の畔にたち、一階テラスと池に張り出した六本の鉄柱の並びに目をやる。水面には白い箱がさかさまに映って、テラスの天井に水紋をゆらゆらと反射させている。この情景が視覚的に自然と建築との幸せな関係性をしめす。初夏には水面一面に蓮が繁茂して、さながら極楽浄土に浮かぶ白い宝石の箱となる。
 階段前からつながる地面には、通路用にコンクリートが打たれていて敷地の外の車道に伸びている。こちらからのアプローチを利用する人は少ないだろうが美術館の正門はここにあって、その両側の塀は建物本体との呼応性を考慮されて大谷石で作られている。そこに『神奈川県立近代美術館 KAMAKURA』の銘板が英仏独の三家国語で掲げられて、この美術館の企画展の歴史におけるインターナショナル指向を示しているのだろう。

 
 平家池にある離れ島へつながる赤い橋、神社の境内にある美術館ならではのショット。一月末で美術館機能を終えて、神社に返還された後、宗教関連施設に改装される方向で検討中という。それはそれでもっと興味深い。
 隣接したやや小ぶりの建物は、1966年に増築された新館で本館に同じく坂倉準三の設計。外形区画を構造鉄骨で囲み、鉄とコンクリートとガラスを用いた箱型モダニズム建築を徹底しているがやや鈍重な印象だ。こちらは閉館後保存されないらしい。


 平家池前の喫茶室「風の杜」窓辺から見る、ここは白い宝石箱を眺めるための特等席。


 建物正門入口脇にある美術館銘板。日本語に加えて三か国表示だ。古びた大谷石の風合いがいい。


 池に群れるユリカモメ、ここが海辺から遠くないことを示す。連続画像のうちすぐ上には、白い箱に海鳥の影が映り込む


 建物横に回ってテラスを見る。水面に張り出した六本の鉄骨は自然石に乗っかる。池に逆さ像が映り込んで風に揺れる。



 大谷石に囲まれた一階出口付近の水飲み。当時はこの造形もオリジナルの施工手造り。中庭のこけし像と似ていて、もしかしてイサム・ノグチ?!


 帰りに振り返れば、鶴岡八幡宮の大鳥居。その先の太鼓橋に本殿と、この遠近効果もすばらしい。


 手前からまっすぐのびる段葛は修復工事中で県道の一部かと思っていたら、発注者はなんと宗教法人鶴岡八幡宮所有、つまり境内の一部だった。工事看板に意外な発見!

寒の入りの日の出早まり、夕暮れ空は耀く

2016年01月17日 | グルメ
 小正月がすぎた今週末、故郷から取り寄せた新春の味覚セットが届いた。その中の珍しい「紅ちまき」というのがこの季節にふさわしくて、地元の自然水で打たれたという「彩翠うどん」との紅白の対でおめでたいのだという。ほかにはアスパラ菜と呼ばれる菜の花の一種らしい春先もの漬物に、おまけとして金箔入りの梅昆布茶が入っていた。
 若いころは、このような田舎からの食べ物をとくに気にとめることもなかったけれど、この年代になってみて季節の折々に縁起物や旬のものをいただけることが、本当に豊かでありがたく感じるようになってきた。美味しく味わうだけでなく、やや大げさにいえば連綿と続いてきた四季の暮らしの遺伝子のなかに、自分の存在も連なっていることを確かめて安心するような感覚なのかもしれない。こちらでの暮らしも十代までの故郷ですごした歳月よりも、はるかに長くなっているのだから。

 ここ数年のことになるが、年末に地元もの食材を買い出しにゆき、それをもって口にすることで新春を迎えることにしている。今年用に求めたものはというと、まずは伊勢原の農協市場まで車を走らせ、大山山麓の子易地域特産の「おおやま菜漬」を手に入れた。これは野沢菜よりも青臭くて歯ごたえがあり、何よりも野趣にあふれてピリッとした辛みがあるのが特徴で、この寒さが増す時期に元気になりたくて食べてみたくなるのだ。三袋求めたあとに店内を巡っていると、おとなり秦野市特産品を見つけ、そのシンプルなラベルにも惹かれた縁起物の落花生をラッキーとばかりに購入することにした。

 ちかくの太田道灌墓を参っての国道246号帰り道、屠蘇散を浸すための地酒を求めて、厚木郊外船子で県道にぬけ、相模川を渡るとふたたび246号高架下をクロス通過、右折してしばらく進んだ海老名下今泉の泉橋酒造へ。
 敷地内に入るとすぐに新酒寒仕込み時期特有のほのかなよい匂いが漂う。蔵造りの直売コーナーで新酒を一本購入。こちらの若主人は酒造りについての地産地消を徹底して、酒米を地元の田圃で育てることから始めている。相模原市内の望地新田や上大島にも栽培契約農地があるという。さらに自家製で精米も行い、仕込み水は丹沢山系伏流水を敷地内地下からくみ上げ、アルコール添加を行わない純米酒醸造生産を徹底しているのがすごい。かつては地酒では普通に行われていたことを、この時代に復活させる試みを実現させてきたのだという。
 海老名の今泉・上郷周辺はもともと“海老名耕地”と呼ばれる穀倉地帯で、旧国分寺史跡ちかくには天平時代の水路の遺構、逆川跡も残っていて、米作りの歴史そのものは随分と古くまで遡る。時間の流れを大きく捉えるとしごくまっとうな試みと納得するが、それにしてもこの効率化社会の時代、江戸安政年間創業のこの酒蔵元のドンキ・ホーテのような姿勢を応援したくなる。

  
 というわけで新春を迎えるあたって、地元で買い求めた品々を並べて記念写真。

 

2016年新春丙申年寒の入り

2016年01月08日 | 日記
 平成二十八年は丙申年(ひのえさるどし)、暖冬とはいえ朝晩の寒さはさすがに厳しいが、少しずつ陽のひかりが長くなってきているのがうれしい。水道みちを駅まで歩く途中には蝋梅やニホンスイセンも咲き始めていて、そっと顔を寄せてみれば馥郁とした香りを漂わせている。

 新年が明けて朝の六時すぎはまだ暗く、南東の空には下弦の月がくっきりと浮かんでいる。そのさらに東寄り、煌々と輝いているのは明けの明星だろうか。しばらくリビングで頭をベランダに向けて寝そべったまま、その眺めに見とれていた。やがて東のほうから白み始めたかと思うと、七時前後にはみるみるまに明るさが増してきて、中庭にも朝日が差し込みだすと、葉を落としたケヤキが箒状樹形のシルエットをマンションの白壁に版画のように写し出してくる。午前中しばらくは、南の青空に高く雲のような半月が残って、陽のひかりと共存しているのがおもしろい。

 元旦には、家族三人で大晦日に仕込んでおいた屠蘇酒をいただく。このお屠蘇、昨年末冬至の近江大津の旅で、宿に荷物を預けてから遅めの昼食を駅前の蕎麦屋さんでとった後、琵琶湖方向に向かって街中を歩いていた時に、たまたま通りかかった立派な店構えの老舗味噌醸造元の番台に置いてあったもの。この機会にせっかくだから購入しようとしたら「どうぞお持ちください」って、無料でいただいた。袋には、愛知県西尾市の販売元名と屠蘇の由来が書かれている。それによると「屠は邪気を除き、蘇は人魂を蘇生する意味で、嵯峨天皇の治世に四方拝の儀式としてもちいられた」とある。なるほど、それで「屠蘇」なのかと感心し、新年の息災を願った縁起物には違いないだろうけれど、いままでちゃんと考えたこともなかったのが、これで少し賢くなったような気がした。そして、あの旅の日々の出来事がまぼろしではなかったことを確かめたくてしみじみと味わった。また、新しい年がはじまる。

 二日、恒例の江ノ島詣で。午前中に相模湾からの富士の冠雪の眺め、例年よりもくっきりと神々しく聳えている気がした。初春にふさわしいその眺め、江の島燈台とのツーショットも入れて、時の流れの順に並べてみよう、希望の年でありますように。


富士は不二または不死につながるのでめでたいのだ、という説を聴いたことがある。山頂のうえの白雲、海上を横切る渡船の弁天丸。島内コッキング苑入口前の広場から奥津宮の杜とその向こうの湘南海岸、丹沢の山並み。
 

 お昼過ぎの帰り道、弁天大橋からの相模湾越しの“海景”。もうその姿は海の向こう、うっすら空のいろに溶け込んで、やがて夕方になれば西日の逆光にシルエット姿でくっきりと浮かびあがるだろう。