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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

秋深し、甲州府中の旅 その二

2022年11月11日 | 旅行

 翌朝の六時に目覚めると、東からのひかりが窓の外の山並みにも射し始めている。曇りの予想が青空も覗いてくれていてまずまずの天候、美しくも雄大な光景で、今日は良いことがありそうだ。
 まずは、目覚めに大浴場で入浴してから、朝食会場へと向かう。バイキング形式の会場は入り口から順番待ちの列ができていた。三階屋上庭園と外が望める窓脇に並んで席をとる。目の前には、敷き詰められた小石の庭と紅葉した植栽の木々、その先にはうすっらと紅葉が始まった湯村山のたおやかな山並みが広がる。


 
 食事をいただいた後、湯村温泉巡りに繰り出す。一階ロビーからそのままコンベンションホール前をぬけてゆくと、併設されたコンビニの横に出て温泉通りへとつながっている。早朝通勤のためなのか、車がスピードをあげて走り去ってゆく。
 温泉街通りを行けば、そこはかとなくさびれた感は否めない。湯川橋を過ぎると、廃業になったらしいホテル建物は閉鎖されたままか、老人ホームやデイサービス施設に転用されていた。太宰治が新婚時代に逗留したという旅館明治も古びて時代がかった外観を晒している。
 弘法大師伝説が残る、杖温泉弘法湯の道路にかかる渡り廊下をくくり抜けると塩澤寺だ。石段階段の参道のさきにそびえる立派な山門を見上げる。ここの脇にあるのは舞鶴の松、石組に囲まれて張り出した枝ぶりの、これまたとても立派なこと。鶴が翼を大きく広げた様子にたがわず、左右の枝ぶりは三十メートルほどもあり、樹勢いはなお盛んな様子だ。この境内本堂前からは前方はるか南アルプスのむこうに、富士山頂が望める天下一品の絶景だ。お寺の脇には、湯村温泉発祥の湯跡があるらしい。

 ここから折り返して擬宝珠つきの庚甲橋を渡り、一本裏通りをぬけて引き返す。温泉通りの入り口の向かいは、皇室御用達で囲碁将棋のタイトル戦にも利用される常盤ホテルがある。玄関入り口前では、ドアマンがうやうやしく迎え入れてくれる。中に入れば大きく広がるロビー、そこから望めるよく手入れされた美しい庭園が望める。外には数棟の離れが点在していて、ケヤキや松の大木、皇室お手植えの栗の木、ツツジの植え込みを縫うように流れが注ぎ、ロビーソファに座ると、目の前の池には優雅に錦鯉が泳ぐ。外界の喧騒からはまったく伺えない別世界だ。

 十時に昇仙峡めぐり観光タクシーの予約を入れていた。宿泊先に戻ってロビーで待っていると年配の運転手が迎えにきてくれた。黒のプリウス、初めての乗車でちょっとワクワクする。当初、シーズン運行のルーフトップバスを予約していたのに、前日の思わぬトラブルで突然の中止となってしまって、途方に暮れていた。たまたま手にしたチラシで、観光タクシーの四時間コースが甲府市の助成付きと知り、急きょ当日申し込んだら、首尾よく予約がとれて手配がつき、ほんとうにラッキーだった。

 昇仙峡まで一時間あまりの道のりである。平日だったので、渓谷にそった遊歩道は上り一方通行の通り抜けが可能となっていて、車窓から紅葉と奇観絶景を楽しむことができるという。十年ほど前は観光馬車が運航していた遊歩道を、その日はプリウス後部座席に乗り、速度を落としてもらって巡っていると気持ちは半分ロイヤル気分で、覗き込むハイカーたちにも手を振りたくなってくる。
 途中の仙我滝では、運転手さんが車を降りて待っていてくれた。昼の日が射して落差三十メートルの滝壺には、うっすら虹のアーチがかかっている。



 渓谷遊歩道の階段を上がりきったら、こんどは昇仙峡ロープウェイで山頂展望台へと昇る。ゴンドラの標高が上がるにつれて雄大さが増し、周囲を取り巻く山肌の紅葉のグラデーションが見事である。南アルプスの向こうには、富士山の頂きが雲の上に浮かんで見えて雄大さはこの上なし。甲府市街全体と盆地も俯瞰して天下一望のままだ。


 昇仙峡ロープウェイ展望台から南アルプス、富士山頂を望む(2022.11.7 撮影)

 ロープウェイを下ってから、さらに上流の荒川ダムまで走ってもらう。ダム湖である能泉湖畔の民芸茶屋大黒屋で昼食にして、運転手さんを囲んで御岳そばと“おざく”をいただく。聞きなれないメニューの“おざく”とは、ゴマ汁だれにつけていただく“ほうとう“のことで、冷たくてシンプルかつ、しこしことのどごしがよい。付け合わせのお漬物と桑の葉入り豆腐は、自家製のものらしく美味しかった。

 いよいよコースも終盤で、和田峠からは長い長いくねった下り路、千代田湖のわきをぬけて武田神社へすすむ。ここはかつて武田家三代居城だったところで、周囲には当時の濠や土塁が残る。風林火山ののぼりがはためく武田神社正面からは、甲府駅方向まで一直線の桜並木参道、武田通りがゆるやかに下りながら伸びている。その左右に広がる住宅地や山梨大学敷地は、かつての武家屋敷が立ち並んでいたところで、当時の町割りがそのままに想像できる。
 戦国時代、武田氏によって整えられた甲府最初の城下町起点は、ここから始まっていたのだった。


秋深し、甲州府中の旅

2022年11月09日 | 旅行

 この晩秋に、今年二回目の甲府を旅してきた。十月の中旬に一人旅をしてきてから、新潟への冬支度帰省をはさんで半月後の甲州巡りを満喫する。街歩きによる新しい発見や昇仙峡紅葉の進み具合も鮮やかで、その記憶の新しいうちに旅行記を残しておく。
 
 旅は横浜線経由ではじまり、八王子で乗り換え、JR臨時特急「かいじ57号」(9:57発)へ乗車して、中央線を一路西へ、甲州へと向かう。天気は上々澄み切った青空のもと、相模湖を左側に見下ろして、神奈川と山梨県境の桂川渓谷に沿って鉄路は続く。
 途中、大月では富士急行と接続するが、そのまま中央線のほうは笹子の長いトンネルを抜けることになる。甲斐大和でいったん地上に出たあと、こんどは新大日影トンネルを抜けると、左手方向にさあっと視界がひらけて甲府盆地が見えてくる。あたり一面ブドウ畑が広がり、そのはるか先の山並みの向こうには、雲の上に黒々と雄々しい富士の頂が覗いている。いちど冠雪が降りて途中まで白くなったものの、ここしばらくの陽気ですっかり溶けてしまっている。

 鉄路は勝沼ぶどう郷駅からはぐっと山寄りに北上し、大きく盆地を迂回する経路をたどってゆく。塩山駅を北の頂点として、南に大きく下っていき、石和温泉あたりでは旧甲州街道に近づいて、しばらくすると左手に善光寺の本堂大屋根をみながら、この旅の目的地である甲府へと到着する。
 目の前には、舞鶴公園として整備された甲府城の石垣がそびえている。甲府城は、戦国時代武田信玄が亡くなり、織田徳川連合によって武田家三代が滅ぼされた後に、豊臣秀吉の意向によって築城された城郭跡なのでした。石垣は典型的な野面積みで、天守台にどのような楼閣があったかは不明なのだそう。
 平成に入ってから復元された高麗門から入ってゆくと、そこは格好の展望台となっていて、甲府市街と南アルプス、八ヶ岳方面と360度が俯瞰できる。線路を挟んで北側には、1960年代モダン建築の代表作である山梨放送文化会館(設計:丹下健三)と甲府一番の高層マンション一棟が横並びでそびえる。
 本丸には熟年ガイドのおじさんがいて、天守台へと登りながら、ゆったりした口調でこの城郭の変遷を話してくれる。その語りによるとこの甲府城は関ヶ原の戦いの後、徳川幕府直轄地となり、江戸期1700年代初めには柳沢吉保・吉里親子が城主だったと知って、その意外性にちょっとびっくり。
 また、巨大な御影石製で剣状のモニュメントが直立する遺蹟は、お城そのものとは直接関係なく、明治時代に起きた笛吹川大洪水被害に際し、明治天皇からお見舞いを賜ったことに対しての謝恩碑です、との解説にも、なるほどそうだったのかと疑問が解消した。この台座、監修していたのは伊東忠太で設計には大江新太郎があたったとある。



 このあと山梨県庁敷地をぬけて。駅前通りの蕎麦屋奥藤本店に入り、昼からハイボールを傾けると、その名も「信玄御膳」を奮発注文し、甘辛さが癖になる名物甲府鶏もつ煮や手作り刺身こんにゃくなどをいただく。
 お店を後にして、酔い覚ましに徒歩10分ほどの印傳博物館へ足を運ぶことにする。ここは甲州印伝老舗の上原勇七商店本店二階に併設された施設展示スペーズで、印伝の製法説明と変遷、江戸期から昭和初期にかけての巾着、皮羽織半纏、財布入れなど渋い工芸品の数々の陳列があって歴史を感じさせる。一階のショールームのほうは、現代的センスでまとめられていてエルメス、グッチなどの高級皮革ブランド店に匹敵するような雰囲気が漂っている。二階との展示との対比が鮮やか、伝統と革新を体現しているような様子にいたく感心した。

 通りを挟んで博物館の反対側に、和風モダンの店舗が目に入ったので寄らせてもらうと、和菓子の老舗「澤田屋」本店。こちらはウグイス餡を黒糖ベースで包んだ名物「くろ玉」の製造元で、店内は洗練されたデザインだ。アカシア蜜を使用した本店限定の「櫻町38番地」の胡桃菓子もあり、その包装がまた清楚である。当日は売り切れとのことで、せっかくだからと翌日の取り置き予約をお願いする。

 この日の滞在は、駅から少し離れた湯村温泉につき、歩き回って少々疲れたので、駅北口からタクシーを利用することにした。夕暮れ時、部屋からは湯山の紅葉し始めたおだやかな山並みが見通せる。きょう一日ぽかぽかとあたたかく晴れて本当に良かった。
 ゆっくりと大浴場の温泉に浸かり、明日は早起きをして湯村温泉街めぐりをしてみようと思う。