関越道を六日町ICでおりて、夕暮れの田舎道253号線を西に向かってひた走る。途中のトンネルをいくつか抜けると、雨が止んで下り峠の先、黒々とした雲の切れ目から日没後の暗闇に至る直前の輝きが見えていた。その情景を眺めながら、頭の中では自然とあるメロディーが巡りだす。
冒頭のハモンドオルガンによる教会カンタータ風メロディーが印象的な「青い影」は、イギリスのロックバンド、プロコルハルムの1967年デビュー曲である。原題は“A whiter shade of pale”で、直訳すると“境界の蒼白な色合い”ということになろうか。夕暮れ時なのか、または夜明け前の白々した時間帯の地平なのか、いずれかを連想させるようなタイトルがこの曲調にふさわしい。バンド名はラテン語で“遥かむこうの彼方に”とでもいったような意味らしく、このデビュー曲タイトル名とも共鳴して、なにやら暗示的ですらある。
先週末11月20日、関越道経由で新潟へ帰省していて、日曜夕方に戻ってきたばかり。ずうと車中流していたのは、松任谷由美のデビュー40周年記念ベスト盤三枚組(2012.11.20発売)、帰省した日と偶然一緒!だった。そのラストを飾るメモリアル曲がプロコルハルムをフューチャーした「青い影」。アルバムリーフレットに目を通してみると、この一曲だけは、わざわざイギリス本国のアビーロードスタジオにプロコルハルムを招いてのレコーディングとの記載があって、ユーミン自身の長年のこだわりがようやく成就したことをうかがわせる。ご本人がインタビューで語るところによると、いまに至る音楽の原点にあたる曲であって、ひときわ想い入れの深い曲であるようだ。その一端は、曲目構成にも現れていて、「青い影」直前におかれた曲はご本人のデビュー曲「ひこうき雲」(1973.11.20リリース)であり、ベストアルバム発売をこのデビュー曲の発売日と同じにしたのは、時系列の連鎖を意識したものだろう!
この曲は白血病と思われる不治の病で若くして昇天していったひとを追悼する曲であり、オルガンのイントロが印象的だ。おそらく「青い影」から影響をうけて、その曲に敬意をもって捧げているに違いないと想像する。デビュー曲なのに、いやだからこそ現在に至るユーミンの資質がすでに現われていて、詞に描かれた世界、メロディーともに記念碑的な曲。
この三枚組アルバムの中で、もうひとつ心に残っている曲がある。それは1980年のアルバム「時のないホテル」のラストに収録されていた「水の影」。人生や恋の別離を綴ったミステリアスな歌詞とマイナーな曲調、とりわけ間奏のヴァイオリン独奏が印象的で、初めて聴いたときから惹かれ、それはいまも変わらない魅力を放つ。その歌詞の第一節は次のようにはじまる。作詞はもちろんユーミン。
たとえ異国の白い街でも 風がのどかなとなり町でも
私はたぶん同じ旅人 遠いイマージュ水面におとす
時は川 きのうは岸辺 人はみなゴンドラに乗り
いつか離れて 思い出に手をふるの
どことなく、現世から彼岸に向かっていくような、かすかに死の予感を漂わせた不思議な感覚に陥り、光とともに揺らいでいる水の影は、いったい何を映したものなのだろうか、といつも思う。
最後は“月の影”。
故郷の実家の庭先からすこし下がった先に旧小学校のグランドが広がっている。夜の就寝前、二階のべランドからは周囲のしんとした杉の木立のシルエットが望めて、その先に続けて寂々とした冬空が広がり、南天上の雲の切れ目に上弦の月が浮かんでいた。時おり忘れたくらいの感覚で家の前の道を車のヘッドライトが通り過ぎていき、少し耳を澄ませると川の水音が聴こえてくるくらいの侘しい山間に沈んだ里。
取り立ててなんのとりえもないようなこの過疎の山肌の集落が、かつては“月影”と呼ばれている地区と知ったら、おおよその他人は拍子抜けがしてしまうことだろう。ここにある二十一世紀のはじまりに閉校してしまった旧小学校舎の校歌作詞者は、糸魚川出身の良寛研究家で詩人・書家の相馬御風。旧校地にはその歌詞が刻まれた記念碑がたつ。わが母校、なのである。その校歌は古風な七五調で、次の通りにはじまる。
永久にさやけき月影のその名において幾千歳
(2015.11.26 書初め 11.28校了、12.3改定、画像追加)
冒頭のハモンドオルガンによる教会カンタータ風メロディーが印象的な「青い影」は、イギリスのロックバンド、プロコルハルムの1967年デビュー曲である。原題は“A whiter shade of pale”で、直訳すると“境界の蒼白な色合い”ということになろうか。夕暮れ時なのか、または夜明け前の白々した時間帯の地平なのか、いずれかを連想させるようなタイトルがこの曲調にふさわしい。バンド名はラテン語で“遥かむこうの彼方に”とでもいったような意味らしく、このデビュー曲タイトル名とも共鳴して、なにやら暗示的ですらある。
先週末11月20日、関越道経由で新潟へ帰省していて、日曜夕方に戻ってきたばかり。ずうと車中流していたのは、松任谷由美のデビュー40周年記念ベスト盤三枚組(2012.11.20発売)、帰省した日と偶然一緒!だった。そのラストを飾るメモリアル曲がプロコルハルムをフューチャーした「青い影」。アルバムリーフレットに目を通してみると、この一曲だけは、わざわざイギリス本国のアビーロードスタジオにプロコルハルムを招いてのレコーディングとの記載があって、ユーミン自身の長年のこだわりがようやく成就したことをうかがわせる。ご本人がインタビューで語るところによると、いまに至る音楽の原点にあたる曲であって、ひときわ想い入れの深い曲であるようだ。その一端は、曲目構成にも現れていて、「青い影」直前におかれた曲はご本人のデビュー曲「ひこうき雲」(1973.11.20リリース)であり、ベストアルバム発売をこのデビュー曲の発売日と同じにしたのは、時系列の連鎖を意識したものだろう!
この曲は白血病と思われる不治の病で若くして昇天していったひとを追悼する曲であり、オルガンのイントロが印象的だ。おそらく「青い影」から影響をうけて、その曲に敬意をもって捧げているに違いないと想像する。デビュー曲なのに、いやだからこそ現在に至るユーミンの資質がすでに現われていて、詞に描かれた世界、メロディーともに記念碑的な曲。
この三枚組アルバムの中で、もうひとつ心に残っている曲がある。それは1980年のアルバム「時のないホテル」のラストに収録されていた「水の影」。人生や恋の別離を綴ったミステリアスな歌詞とマイナーな曲調、とりわけ間奏のヴァイオリン独奏が印象的で、初めて聴いたときから惹かれ、それはいまも変わらない魅力を放つ。その歌詞の第一節は次のようにはじまる。作詞はもちろんユーミン。
たとえ異国の白い街でも 風がのどかなとなり町でも
私はたぶん同じ旅人 遠いイマージュ水面におとす
時は川 きのうは岸辺 人はみなゴンドラに乗り
いつか離れて 思い出に手をふるの
どことなく、現世から彼岸に向かっていくような、かすかに死の予感を漂わせた不思議な感覚に陥り、光とともに揺らいでいる水の影は、いったい何を映したものなのだろうか、といつも思う。
最後は“月の影”。
故郷の実家の庭先からすこし下がった先に旧小学校のグランドが広がっている。夜の就寝前、二階のべランドからは周囲のしんとした杉の木立のシルエットが望めて、その先に続けて寂々とした冬空が広がり、南天上の雲の切れ目に上弦の月が浮かんでいた。時おり忘れたくらいの感覚で家の前の道を車のヘッドライトが通り過ぎていき、少し耳を澄ませると川の水音が聴こえてくるくらいの侘しい山間に沈んだ里。
取り立ててなんのとりえもないようなこの過疎の山肌の集落が、かつては“月影”と呼ばれている地区と知ったら、おおよその他人は拍子抜けがしてしまうことだろう。ここにある二十一世紀のはじまりに閉校してしまった旧小学校舎の校歌作詞者は、糸魚川出身の良寛研究家で詩人・書家の相馬御風。旧校地にはその歌詞が刻まれた記念碑がたつ。わが母校、なのである。その校歌は古風な七五調で、次の通りにはじまる。
永久にさやけき月影のその名において幾千歳
(2015.11.26 書初め 11.28校了、12.3改定、画像追加)