新年が明けてなんて思う間もなく、気がつけば早いもので如月もみそかである。一か月後はエイプリルフール、ウソみたいだが本当のことで、2016年の六分の一が過ぎてしまおうとしていることに唖然とする。
この二月を通して、仕事に関連した研修やセミナー受講ラッシュであちこちにでかける機会があった。明治神宮の杜に隣接したオリンピック記念青少年総合センターでの「劇場・音楽堂アートマネージメント研修」に始まり、中旬の岐阜県可児市文化創造センターを会場にした「世界劇場会議国際フォーラム2016」、そして昨日までの葉山町湘南国際村における「第7回21世紀ミュージアム・サミット」とつづいて、さすがにいささか消化不良のきらいもあるのは仕方がないだろう。
それぞれ「文化力で地域と世界をつなぐ」「劇場は社会に何ができるか 社会は劇場に何を求めているか」「まちとミュージアムが織りなす文化 ~過去から未来へ~」と掲げられた大きなテーマを連ねてみると、期せずして芸術文化に期待されている時代課題が浮かんでくる。そこに共通するのは、劇場や美術館という文化装置の社会的役割の広がりと、地域と協働して市民とつながるためにはどのようにしたらよいか、という切実な具体的方法論についてだ。
名古屋に滞在していた世界劇場会議国際フォーラムのまえには、いまとなっては都心になってしまったかつての高級住宅地と郊外におけるモダニズム建築を見て回っていた。そのひとつ、愛知県陶磁美術館に続いて、愛知県立芸術大学を訪れた時の印象記。
東部丘陵線リニモの芸大通駅を下車して、緩い丘陵の曲線の坂を上っていく。稜線のさきにキャンパス群が姿をあらわし、その頂点がコンクリート柱で中空に持ち上げられ横一直線に伸びる巨大な迫力の講義棟だが、あいにくと改修工事中で足場が組まれ、全体が白い幌布に覆われていた。この象徴的な講義棟を含む建物の設計とキャンパス計画全体は1960年代に遡り、吉村順三を中心とした東京芸術大学建築学科の奥村昭雄、天野太郎をはじめとする教員スタッフによるものという。
講義棟からさらに進むと、右手に法隆寺壁画模写の資料館、まっすぐ先には全体が「くの字」型横長のコンクリート打ち放しで、内装の窓や階段の鉄フレームが黒基調のシックな新音楽棟が完成していた。外階段から二階にのぼっっていくと、内部につながる一部の屋上はテラスで、テーブルに椅子が並べられて周囲のみどりの杜が眺められる開放的な作り。そのテラス部分から中に入ってみると、谷側はひらかれたガラス張りの気持ちの良い吹き抜け空間となっていて、天井は無垢の板張り、階段や手すりの鉄フレームの黒とそこに市松模様に貼られた四角い木片や木製階段ステップの対比が、五線譜に書かれた音階のようで美しい。じっさいに遠く練習室からは音楽練習中の音が流れてくる、なかなか悪くない落ち着いた空間だ。「悪くない」と書いたのは、この新棟が建設されるにあたって、別の位置にある旧棟を改修したらどうか、新棟建設は豊かな自然環境の破壊につながる、と反対の意見もあったと聴いていたからだ。でも、そもそもこの地に大学キャンパスを設置したこと自体、自然の杜を人工的に切り開いていたことになり、建築行為の持つパラドックスは新棟建設と同様である。吉村はそのことにも気がついていたはずだと思うし、新棟設計にあったっての周囲環境への配慮はなされていると感じた。
連絡通路を渡って新音楽棟を出て中庭をぬけて奏楽堂へ。この建物は開学当時のままの姿で残って、ロビーに入ってみる。ひろい床面に貼られた小さい丸タイルの白とブルーの少し汚れた横シマ模様がいい。地階への螺旋階段の流れるような手すり、そこの脇にある木製ベンチにしばらくたたずんで、扉の向こうのホールから流れてくるオーケストラの旋律を聴きながら、当時の空気を想像して吸ってみる。
こうして角度を変えて、二枚を並べてみると五線譜の音符階段=音階段。手すりの重なりが美しい。でも、どこか昨今のスターバックス内装風かのはなぜだろう? ここに安直な自然志向はないのだろうか?
この二月を通して、仕事に関連した研修やセミナー受講ラッシュであちこちにでかける機会があった。明治神宮の杜に隣接したオリンピック記念青少年総合センターでの「劇場・音楽堂アートマネージメント研修」に始まり、中旬の岐阜県可児市文化創造センターを会場にした「世界劇場会議国際フォーラム2016」、そして昨日までの葉山町湘南国際村における「第7回21世紀ミュージアム・サミット」とつづいて、さすがにいささか消化不良のきらいもあるのは仕方がないだろう。
それぞれ「文化力で地域と世界をつなぐ」「劇場は社会に何ができるか 社会は劇場に何を求めているか」「まちとミュージアムが織りなす文化 ~過去から未来へ~」と掲げられた大きなテーマを連ねてみると、期せずして芸術文化に期待されている時代課題が浮かんでくる。そこに共通するのは、劇場や美術館という文化装置の社会的役割の広がりと、地域と協働して市民とつながるためにはどのようにしたらよいか、という切実な具体的方法論についてだ。
名古屋に滞在していた世界劇場会議国際フォーラムのまえには、いまとなっては都心になってしまったかつての高級住宅地と郊外におけるモダニズム建築を見て回っていた。そのひとつ、愛知県陶磁美術館に続いて、愛知県立芸術大学を訪れた時の印象記。
東部丘陵線リニモの芸大通駅を下車して、緩い丘陵の曲線の坂を上っていく。稜線のさきにキャンパス群が姿をあらわし、その頂点がコンクリート柱で中空に持ち上げられ横一直線に伸びる巨大な迫力の講義棟だが、あいにくと改修工事中で足場が組まれ、全体が白い幌布に覆われていた。この象徴的な講義棟を含む建物の設計とキャンパス計画全体は1960年代に遡り、吉村順三を中心とした東京芸術大学建築学科の奥村昭雄、天野太郎をはじめとする教員スタッフによるものという。
講義棟からさらに進むと、右手に法隆寺壁画模写の資料館、まっすぐ先には全体が「くの字」型横長のコンクリート打ち放しで、内装の窓や階段の鉄フレームが黒基調のシックな新音楽棟が完成していた。外階段から二階にのぼっっていくと、内部につながる一部の屋上はテラスで、テーブルに椅子が並べられて周囲のみどりの杜が眺められる開放的な作り。そのテラス部分から中に入ってみると、谷側はひらかれたガラス張りの気持ちの良い吹き抜け空間となっていて、天井は無垢の板張り、階段や手すりの鉄フレームの黒とそこに市松模様に貼られた四角い木片や木製階段ステップの対比が、五線譜に書かれた音階のようで美しい。じっさいに遠く練習室からは音楽練習中の音が流れてくる、なかなか悪くない落ち着いた空間だ。「悪くない」と書いたのは、この新棟が建設されるにあたって、別の位置にある旧棟を改修したらどうか、新棟建設は豊かな自然環境の破壊につながる、と反対の意見もあったと聴いていたからだ。でも、そもそもこの地に大学キャンパスを設置したこと自体、自然の杜を人工的に切り開いていたことになり、建築行為の持つパラドックスは新棟建設と同様である。吉村はそのことにも気がついていたはずだと思うし、新棟設計にあったっての周囲環境への配慮はなされていると感じた。
連絡通路を渡って新音楽棟を出て中庭をぬけて奏楽堂へ。この建物は開学当時のままの姿で残って、ロビーに入ってみる。ひろい床面に貼られた小さい丸タイルの白とブルーの少し汚れた横シマ模様がいい。地階への螺旋階段の流れるような手すり、そこの脇にある木製ベンチにしばらくたたずんで、扉の向こうのホールから流れてくるオーケストラの旋律を聴きながら、当時の空気を想像して吸ってみる。
こうして角度を変えて、二枚を並べてみると五線譜の音符階段=音階段。手すりの重なりが美しい。でも、どこか昨今のスターバックス内装風かのはなぜだろう? ここに安直な自然志向はないのだろうか?