日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

愛知県立芸術大学新音楽棟の音階段

2016年02月29日 | 建築
 新年が明けてなんて思う間もなく、気がつけば早いもので如月もみそかである。一か月後はエイプリルフール、ウソみたいだが本当のことで、2016年の六分の一が過ぎてしまおうとしていることに唖然とする。

 この二月を通して、仕事に関連した研修やセミナー受講ラッシュであちこちにでかける機会があった。明治神宮の杜に隣接したオリンピック記念青少年総合センターでの「劇場・音楽堂アートマネージメント研修」に始まり、中旬の岐阜県可児市文化創造センターを会場にした「世界劇場会議国際フォーラム2016」、そして昨日までの葉山町湘南国際村における「第7回21世紀ミュージアム・サミット」とつづいて、さすがにいささか消化不良のきらいもあるのは仕方がないだろう。
 それぞれ「文化力で地域と世界をつなぐ」「劇場は社会に何ができるか 社会は劇場に何を求めているか」「まちとミュージアムが織りなす文化 ~過去から未来へ~」と掲げられた大きなテーマを連ねてみると、期せずして芸術文化に期待されている時代課題が浮かんでくる。そこに共通するのは、劇場や美術館という文化装置の社会的役割の広がりと、地域と協働して市民とつながるためにはどのようにしたらよいか、という切実な具体的方法論についてだ。

 名古屋に滞在していた世界劇場会議国際フォーラムのまえには、いまとなっては都心になってしまったかつての高級住宅地と郊外におけるモダニズム建築を見て回っていた。そのひとつ、愛知県陶磁美術館に続いて、愛知県立芸術大学を訪れた時の印象記。
 東部丘陵線リニモの芸大通駅を下車して、緩い丘陵の曲線の坂を上っていく。稜線のさきにキャンパス群が姿をあらわし、その頂点がコンクリート柱で中空に持ち上げられ横一直線に伸びる巨大な迫力の講義棟だが、あいにくと改修工事中で足場が組まれ、全体が白い幌布に覆われていた。この象徴的な講義棟を含む建物の設計とキャンパス計画全体は1960年代に遡り、吉村順三を中心とした東京芸術大学建築学科の奥村昭雄、天野太郎をはじめとする教員スタッフによるものという。
 講義棟からさらに進むと、右手に法隆寺壁画模写の資料館、まっすぐ先には全体が「くの字」型横長のコンクリート打ち放しで、内装の窓や階段の鉄フレームが黒基調のシックな新音楽棟が完成していた。外階段から二階にのぼっっていくと、内部につながる一部の屋上はテラスで、テーブルに椅子が並べられて周囲のみどりの杜が眺められる開放的な作り。そのテラス部分から中に入ってみると、谷側はひらかれたガラス張りの気持ちの良い吹き抜け空間となっていて、天井は無垢の板張り、階段や手すりの鉄フレームの黒とそこに市松模様に貼られた四角い木片や木製階段ステップの対比が、五線譜に書かれた音階のようで美しい。じっさいに遠く練習室からは音楽練習中の音が流れてくる、なかなか悪くない落ち着いた空間だ。「悪くない」と書いたのは、この新棟が建設されるにあたって、別の位置にある旧棟を改修したらどうか、新棟建設は豊かな自然環境の破壊につながる、と反対の意見もあったと聴いていたからだ。でも、そもそもこの地に大学キャンパスを設置したこと自体、自然の杜を人工的に切り開いていたことになり、建築行為の持つパラドックスは新棟建設と同様である。吉村はそのことにも気がついていたはずだと思うし、新棟設計にあったっての周囲環境への配慮はなされていると感じた。

 連絡通路を渡って新音楽棟を出て中庭をぬけて奏楽堂へ。この建物は開学当時のままの姿で残って、ロビーに入ってみる。ひろい床面に貼られた小さい丸タイルの白とブルーの少し汚れた横シマ模様がいい。地階への螺旋階段の流れるような手すり、そこの脇にある木製ベンチにしばらくたたずんで、扉の向こうのホールから流れてくるオーケストラの旋律を聴きながら、当時の空気を想像して吸ってみる。

 
 こうして角度を変えて、二枚を並べてみると五線譜の音符階段=音階段。手すりの重なりが美しい。でも、どこか昨今のスターバックス内装風かのはなぜだろう? ここに安直な自然志向はないのだろうか?
 

愛知県陶磁美術館の狛犬たち

2016年02月20日 | 建築
 昨今は二十四節気のうちの「雨水」にあたる。立春から二週間が過ぎて、昔からこの季節は農耕の準備を始める目安とされてきたという。気候の説明をよむと、「早春の暖かな雨が降り注ぎ、大地がうるおい目覚めるころ」なんだそう。今年の雪降りは少なかったけれど、今日の天気はまさにそのような暖かな雨が、まだ新緑の芽吹き前の木々の枝枝に降り注ぐ一日だ。

 先週、岐阜郊外の可児市文化創造センターで劇場会議国際フォーラムがあって名古屋に滞在していた。その予定に合わせて、念願の愛知県陶磁美術館(瀬戸市)と愛知県立芸術大学(長久手市)を訪れる。ともに名古屋都心から地下鉄を終点藤が丘駅で降り、愛・地球博覧会のおりに建設された無人運行の東部丘陵線リニモを乗り継いで、小一時間ほどの都市郊外の広大な自然林“海上(かいしょ)の森”を切り開いて作られた敷地にある。まだ、ここには高度経済成長神話の名残がかすかに漂い、リニモから両側に広がる森を眺めると、たしかにさながら緑の海上に浮かんでいるかのような錯覚もしてくる。開発と自然のおりあいをどうつけるのかが、ポスト博覧会の残された主要テーマだろう。
 まずは、都市から郊外への移動の足として、高架を滑るように走る近未来的なリニモを「陶磁資料館南駅」で降りて陶磁美術館へ向う。“陶磁+美術”といういい方は初耳で、駅名がもともとの資料館とあるのをみると、焼きもの=陶磁器の産地として、“美術”とつなげることで、地場産業への付加価値を目指す意図があるのだろうか。そのうち、工芸美術といったような言い方もでてくるのかもしれない。

 ここを訪れてみたいと思ったのは、美濃に織部、志野、瀬戸、常滑といった地場焼き物の優品展示をゆっくりみたかったことと、実際の建物のたたずまいを確かめたかったから。以前、ここのパンフレットを眺めていたら、そこに映っていた本館エントランス写真の照明飾りが、ホテルオークラロビーの五連ランタンと双生児であることに気がついていた。つまりこの建築は谷口吉郎の設計なのである。広い敷地だけあって、快晴の青空のもと緩くカーブしたアプローチがとにかく気持ちよい。なだらかな丘陵地に立つ南館(1978=昭和53年開館)から本館(昭和54年開館)の間には芝生が広がり、陶磁器の壺などが点在していた。今日同行してくれた案内役のMは、グレーのニット織コートに黒ブーツ姿、光線で少し栗色がかってみえる柔らかい髪とペパーミントブルーのタートルネック、早春の青空のもとぬける様な風景の中で、表情が晴れ晴れとして弾けて輝いている。
 本館の壁は白く、民芸調で蔵造りのような雰囲気をただよわせながら、塔屋はなんだか消防の見張り屋のような印象がある。お昼時、館内レストランでそれぞれ織部御膳と天ぷらきしめんをいただく。そこでMが指差す先の天上の照明は見事に六角形の亀甲型にデザインされているのに笑ってしまった。ここでは扉の「押」のサインパネルも亀甲型である。レストランからの眺めは優雅そのもの、本館ロビー前の石を立てたL字型の人工池やその反対側の建物半地下の石組みの庭も隠れた見処で、じつに迫力があり見事なことに感心した。食事の後は、開催中の企画展「煎茶 尾張・三河の文人文化」を見て回る。抹茶は室町時代だが、煎茶は江戸後期から明治に花開らいた町人中心の文化である。

 館をでて敷地内で発掘された、平安から鎌倉時代の古窯跡をぞろぞろと歩いて見て回った帰り際、立ち寄った西館で思わぬコレクションを目にした。このあたりで焼かれた陶磁製!の狛犬コレクション「こま犬百面相」の数々である。普通は石像なのに、さすがに陶磁器産地だけある、その数々の表情の豊かなこと、阿吽像に思わず表情がほころんでしまう。なんでも地元企業人の本多コレクションだという。どこかで見たことがあり、聞いたことのある名前だと思ってよく確かめたら、数年前にまほろ市博物館で陶磁製狛犬展があって、そこへと貸し出されていたコレクションとの再会だったのでした。
 やっぱりニッポン、広いようで狭いね。

立春 東風凍を解くにはまだ遠く

2016年02月06日 | 日記
 旧暦では立春から新しい年が始まるという。寒空の陽射しの中、金柑が黄金色に輝き、早咲きの梅は咲き始めたけれども、まだ本格的な春の兆しはひそかに息をひそめて、もうすこし先のようだ。
 きさらぎの二月生まれなので、当月生まれにはどんな気になる著名人がいるのかと思ってちょっと調べてみたら、これがなかなか興味深かった。生まれた月が同じというだけで特段に何の関係もないといえばそのとおりなのだけれど、ひとは同郷であることで親しみを覚えるように程度の差はあれ、何かの偶発性を運命論的に結びつけて意味を見出そう、と願う存在なのかもしれない。

 まず現役人を代表してもらって、今年の立春にあたる四日生まれなのは、昨年から始まった全国ツアーの最中、ミュージシャンの山下達郎氏(昭和28=1953年)。昨日63歳の誕生日を迎えられて、二歳年下三月生まれの竹内まりあ夫人からどんなお祝いをしてもらったのかなあ、とご両人のファンとしては思ってみたりする。お二人のライブでのデュエットソング、「LET IT BE ME」(曲:ジルベール・ベコー)はぴったり息が合い、泣けるくらいの名唱でその歌詞内容も含めて大のお気に入り。「あなたの真実の愛なしでは、わたしの人生に生きていく意味なんてありえない」なんてね、実生活ではなかなか言えないセリフもこの歌のなかでは、素直に熱く聴ける。まさしく夫唱婦随とはこのことかと羨ましく思うくらい、二人のハートもハモッている。

 明治生まれの二大文豪のおふたりがともに二月生まれというのは知ってはいたが、改めてその日にちを確認してみて、ちょっとした偶然にひそかに笑ってしまった。
 まずは今年が没後百年で、来年の2017年が生誕百五十年のメモリアルイヤーにあたるのは、夏目漱石(1867.2.9-1916.12.9)。亡くなったのが五十歳前と知るとちょっと信じられなくて驚いてしまう。朝日新聞に「門」が復刻?連載中、来年は終焉の地都内早稲田の住居跡公園に新宿区立の記念館が開設される予定だ。漱石の長男純一の子息、つまり直系の孫にあたるマンガコラムニスト夏目房之介氏(1950年生まれ)は、いつのまにか学習院大学教授でいらっしゃる。ついでながら漱石と同じ1867年生まれの建築家にフランク・ロイド・ライトがいる。
 それからもうひとりは、森鴎外(1862.2.17-1922.7.9)。こちらはすでに五年前の生誕百五十年を迎えた記念として、文京区千駄木の旧住居「観潮楼」跡に文京区立の記念館が開館している。津和野で生まれ、明治時代の立身出世を体現し、国の医務官僚トップとして順当な生涯を送った鴎外は、良き家庭人、子煩悩として知られ、その片鱗がここに展示された手紙やはがきなどの資料からはよく伺えて、それまでの厳めしいイメージが変わった。
 さきに思わぬ偶然にひそかに笑ったと記したのは、和光同塵人が鴎外と、家人が漱石と生まれた月日がいっしょだったから。もっとも文豪の二人とも江戸時代幕末の生まれだから、旧暦では一月生まれとなる。それでしばらくは気づくことがなかったのだけれど、さきほどメモを見ていた娘にいわれて気がついた次第なり。
 ついでにだからどうしたというたぐいの話を記すと、同じ2月17日生まれのカッコイイ知る人ぞ知る有名人に、鶴川武相荘主人、白洲次郎(1902.2.17--1985.11.28)がいる。白洲正子の随筆を読んでいてそのことを知ることとなり、こちらのほうがちょっとした自己満足ネタ?なのかもしれない。

 もう二人、二月にちなんだ気になる歴史上の人物名をあげてこの稿は終わりにしたい。
 そのひとは、岡倉天心こと覚三(1863.2.14-1913.9.2)。幕末の横浜で生まれ、フェノロサと出会って日本美術の世界的価値に目覚めて、東京美術学校、帝国博物館、日本美術院を創設、太平洋を隔てたアメリカボストン美術館を往復しながら、東アジア諸国の復権と連帯を謳い「東洋の理想」「茶の本」を著わしたのち、新潟赤倉の山荘で亡くなった近代美術史に名を遺す一筋縄では説明できない人物。そのスケールの大きな生き様にスキャンダル的要素も含めてひとかなならぬ興味を覚えずにはいられない。
 最後は、室町時代の終わりの漂泊の人生を生きた、西行法師(1118-1190.3.31、文治6年.2.16)。旧暦での没月日に結びつけて有名な世辞の歌を。

 ねがわくは花のもとにて春死なんそのきさらきのもちつきのころ

 こんな澄んだ心境で静かに此の世を退場していけたらね、もし望めるなら七十七歳の七夕のあたり。とすると、この先二十年となり、結婚してこれまでの年月が同じく二十年、いまに至るまでを思い浮かべて振り返りつつ、この先の熟年人生を考えてみようか。