日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

17才の夏

2015年07月26日 | 音楽

 今週初めに梅雨があけたと思ったら、その後の数日は真夏の兆しでまぶしい陽射しが続いた。大暑の23日午前中は、ひと雨が来て酷暑もひと休み。中庭にはたくさんの夏トンボが旋回している。

 全国高校野球選手権神奈川県大会もいよいよ大詰めが近い。17才の娘の在学している高校野球部は小田原球場の県立高校同士の初戦であえなく惨敗してしまったけれど、球場の外で最後にメンバーが勢ぞろいしてのキャプテンの挨拶は潔くて、若者らしい清々しさにあふれていた。その後もマネージャーさんはほかの球場の手伝いに駆り出されていて、娘にとっては20日の大和スタジアムでのアナウンス役が高校時代最後の野球部としてのお勤めだったようだ。だた見守るしかできなかったけれど、彼女なりに頑張ってやりぬいた結果に後悔はないだろうし、親バカでもよくやったよね、ってほめてあげたいと思う。このかけがえのない経験は、これからの進路や長い人生に少なからずよい影響を与えて、苦しいときの支えとなってくれることだろうな、いま気がつかなくてもそのうちにきっとわかるよ。

 考えてみたら、二度と取り戻すことのできないまぶしい17才の夏真っただ中、なのである。自分自身の四十年近くも前の1970年代半ば、高校時代の夏を思い起こしてみても、とりたてて劇的なことや出会いがないままに時の流れがすぎてしまって、遣る瀬無い心持ちになる。
 それでも17才っていう年齢は、ふたつのポピュラーソングとともに記憶の奥に刻印されている。七月蟹座生まれのアイドルのはしり、シンシンこと南沙織のデビュー曲「17才」と、彼女のあこがれのひとでもあったジャニス・イアン「17才の頃 At seventeen」である。南国生まれの爽やかなイメージでさっそうと登場した日本のアイドルと対照的に、かつて1960年後半に天才少女として騒がれ、その後の沈黙の数年間を経て、1975年に発表されてその年のグラミー賞を受けたユダヤ系女性ニューヨーカー歌手。時おり、そのふたつのメロディーを聴き直すたびに、当時の行く先の定まらない不安ともつかないような若い時代の胸の内が思い出される。

 いま、その南沙織「17才」(有馬三恵子:作詞、筒美京平:作曲)のシングル盤を手に取って眺めると、ジャケット写真には、ニコルブランドの蟹のイラストのTシャツを着た本人が映っていて、内側にはプロフィールと歌詞、楽譜が掲載されている。すこし熱を帯びやような、十代にして大人びたエキゾチックな表情、撮影は立木義浩のクレジット。昭和49年に購入したメモが残っているので、高校三年生のときに駅前のレコード店でカーペンタ―ズの「イエスタディ・ワンスモア」などと前後して手に入れた、ごく初期のレコード盤だと思う。

 彼女の同時代LPアルバムを手に取ると、当時のアイドル歌手が歌謡曲のほかにどんな洋楽ポップスをカバーしていたのかが伺われ、その選曲そのものが時代を映しているようで興味深い。ファーストアルバム「17才」のB面のカバー楽曲を列記してみる。「ローズ・ガーデン」(1970年、リン.アンダーソン)、「そよ風にのって」(1965年、フランス人歌手M.ノエル)、「ビー・マイ・ベイビー」「ハロー・リバプール」「オー・シャンゼリーゼ」など。「
 「ローズ・ガーデン」は、「17才」のメロディーラインと実に良く似ていて、順番からいえば後者が前者を参考にした?となるのかもしれないが、堂々と一枚のアルバムの中に取り上がられていて、当時のおおらかさのようでもあり、日本人が西洋ポップスをどのように消化して日本歌曲に取り入れていったのかの検証になっているように感じる。
 逆に「そよ風にのって」は、西洋人それもフランス人が歌う楽曲を日本のアイドルとして取り込もうとしたレコード会社の思惑があって訳詞がついたであろうと想像される曲で、当時はアメリカ一辺倒でなくてひろく欧州、とくにフランス、イタリアあたりの同時代曲も入ってきていた。
 
 2003年にリリースされた竹内まりやによるお気に入りカバー曲集「ロングタイム フェバリッツ」にもこの曲は収録されていて、シンシアのひとつ年上のほぼ同世代のせいか、いま聴いてみるとふたりの姿がダブって、どちらが歌唱していてもわからないような気がして不思議な気持ちになる。
 このお二人のその後のシンガーとして歩みは対照的であり、片や芸能界を引退して超有名写真家夫人、かたや現役のオシドリ夫婦にして日本ポップスの大御所とも言える存在、それでも同時代に生きてきた証しは芸能人として生きる前や初期の時代の楽曲の数々に重なって示されている、といえるのではないだろうか。

(2015,7.23書出し、7.26初校)




小田原厚木道路をぬけて

2015年07月07日 | 日記
 今週末に高校野球神奈川県大会の初戦試合が、小田原で予定されている。あらためて小田原球場まで訪れることにしたのは、小田原厚木道路を走ってみて、乗り降り箇所のインターの様子とどのくらいの所用時間で到着できるのかを実際に確かめるため。

 朝八時半くらいに家を出て、途中でガソリン補給した後、国道246号を愛甲石田駅入口手前で左折、厚木西ICから小田原厚木道路へ入る。あれっ、自動車専用高速道路といっても高架ではなく、専用道両側に隣接してずっと一般道が並行して走っているんだ。こんな高速道路って初めてだ、建設年代が早い時期だから可能だったのかもしれない。最初はなんだか戸惑いを感じてしまったけれど、車は伊勢原から平塚の田園地帯をぬけていく。やがて左前方に新幹線の高架がみえきたかと思うと、正面には湘南平の連なりが迫ってきて、大磯から二宮町までの山中を新幹線と並行するような感じで進んでいく。中里地区のトンネルを過ぎると、悠然という感じで右手の高台に湘南の陽光を浴びた、県立二宮高校校舎が見えてきたのが印象的だった。周辺はびっしりと新興住宅が立て込んでいて、まるで高校校舎が城郭の中心のようにも見えてくる。
 曽我丘陵を突き抜ける弁天山トンネルをぬけるとすこし下りとなり、JR御殿場線を越えると前方にぱっと酒匂川両岸の市街地がひろがり、その先の視界には足柄の山々や箱根外輪山が取り囲んでいる風景だ。ここから小田原東インターチェンジはもうすぐ。出口からすぐの県道255号線を北上、桑原交差点から右折してしばらく進むと午前十時過ぎにもう小田原球場に到着した。ここまでの所用時間は、前回の国道246号経由よりも約半分くらいで、早朝の出発だったとはいえ、なんともまあ早いこと!

 小田原球場のある上府中公園は、まもなくの熱戦を前にしてその日も静かだった。梅雨の時期、周囲は、田植えがすんで成長した稲の苗が広がるたんぼと梨畑、点在する住宅、遠くに曽我丘陵や足柄の山並み、山河静寂の風景。



 公園内修景池を巡っていて見つけた名残りのハナシュウブ、雨露に濡れて一輪。

 帰路は、先日と同じ海側の国道一号線を東へ向かって走る。二宮から大磯ロングビーチあたりは、落ち着いた街並みに旧東海道の松並木が残る。国府本郷城山公園を過ぎ、途中の大磯駅周辺でお昼をとることにして、国道から駅前ロータリーへ入る。旧岩崎財閥邸敷地内のエリザベス・サンダースホーム前の石垣をみながら進むと、「歴史と味の散歩道」看板を掲げた鳥料理店「杉本」が目についた。店の暖簾をくぐって室内に入ると数寄屋風の凝った造り、食事メニューのお値段は手ごろで美味しかった。その足で近くの「鴫立亭」まで行き、洋風焼き菓子をおやつに買って帰る。