今週初めに梅雨があけたと思ったら、その後の数日は真夏の兆しでまぶしい陽射しが続いた。大暑の23日午前中は、ひと雨が来て酷暑もひと休み。中庭にはたくさんの夏トンボが旋回している。
全国高校野球選手権神奈川県大会もいよいよ大詰めが近い。17才の娘の在学している高校野球部は小田原球場の県立高校同士の初戦であえなく惨敗してしまったけれど、球場の外で最後にメンバーが勢ぞろいしてのキャプテンの挨拶は潔くて、若者らしい清々しさにあふれていた。その後もマネージャーさんはほかの球場の手伝いに駆り出されていて、娘にとっては20日の大和スタジアムでのアナウンス役が高校時代最後の野球部としてのお勤めだったようだ。だた見守るしかできなかったけれど、彼女なりに頑張ってやりぬいた結果に後悔はないだろうし、親バカでもよくやったよね、ってほめてあげたいと思う。このかけがえのない経験は、これからの進路や長い人生に少なからずよい影響を与えて、苦しいときの支えとなってくれることだろうな、いま気がつかなくてもそのうちにきっとわかるよ。
考えてみたら、二度と取り戻すことのできないまぶしい17才の夏真っただ中、なのである。自分自身の四十年近くも前の1970年代半ば、高校時代の夏を思い起こしてみても、とりたてて劇的なことや出会いがないままに時の流れがすぎてしまって、遣る瀬無い心持ちになる。
それでも17才っていう年齢は、ふたつのポピュラーソングとともに記憶の奥に刻印されている。七月蟹座生まれのアイドルのはしり、シンシンこと南沙織のデビュー曲「17才」と、彼女のあこがれのひとでもあったジャニス・イアン「17才の頃 At seventeen」である。南国生まれの爽やかなイメージでさっそうと登場した日本のアイドルと対照的に、かつて1960年後半に天才少女として騒がれ、その後の沈黙の数年間を経て、1975年に発表されてその年のグラミー賞を受けたユダヤ系女性ニューヨーカー歌手。時おり、そのふたつのメロディーを聴き直すたびに、当時の行く先の定まらない不安ともつかないような若い時代の胸の内が思い出される。
いま、その南沙織「17才」(有馬三恵子:作詞、筒美京平:作曲)のシングル盤を手に取って眺めると、ジャケット写真には、ニコルブランドの蟹のイラストのTシャツを着た本人が映っていて、内側にはプロフィールと歌詞、楽譜が掲載されている。すこし熱を帯びやような、十代にして大人びたエキゾチックな表情、撮影は立木義浩のクレジット。昭和49年に購入したメモが残っているので、高校三年生のときに駅前のレコード店でカーペンタ―ズの「イエスタディ・ワンスモア」などと前後して手に入れた、ごく初期のレコード盤だと思う。
彼女の同時代LPアルバムを手に取ると、当時のアイドル歌手が歌謡曲のほかにどんな洋楽ポップスをカバーしていたのかが伺われ、その選曲そのものが時代を映しているようで興味深い。ファーストアルバム「17才」のB面のカバー楽曲を列記してみる。「ローズ・ガーデン」(1970年、リン.アンダーソン)、「そよ風にのって」(1965年、フランス人歌手M.ノエル)、「ビー・マイ・ベイビー」「ハロー・リバプール」「オー・シャンゼリーゼ」など。「
「ローズ・ガーデン」は、「17才」のメロディーラインと実に良く似ていて、順番からいえば後者が前者を参考にした?となるのかもしれないが、堂々と一枚のアルバムの中に取り上がられていて、当時のおおらかさのようでもあり、日本人が西洋ポップスをどのように消化して日本歌曲に取り入れていったのかの検証になっているように感じる。
逆に「そよ風にのって」は、西洋人それもフランス人が歌う楽曲を日本のアイドルとして取り込もうとしたレコード会社の思惑があって訳詞がついたであろうと想像される曲で、当時はアメリカ一辺倒でなくてひろく欧州、とくにフランス、イタリアあたりの同時代曲も入ってきていた。
2003年にリリースされた竹内まりやによるお気に入りカバー曲集「ロングタイム フェバリッツ」にもこの曲は収録されていて、シンシアのひとつ年上のほぼ同世代のせいか、いま聴いてみるとふたりの姿がダブって、どちらが歌唱していてもわからないような気がして不思議な気持ちになる。
このお二人のその後のシンガーとして歩みは対照的であり、片や芸能界を引退して超有名写真家夫人、かたや現役のオシドリ夫婦にして日本ポップスの大御所とも言える存在、それでも同時代に生きてきた証しは芸能人として生きる前や初期の時代の楽曲の数々に重なって示されている、といえるのではないだろうか。
(2015,7.23書出し、7.26初校)