日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

七沢温泉紅葉湯あみ三昧 

2014年11月27日 | 日記
 仕事休みのウイークデー、よく晴れた“小春日和”と呼ぶにふさわしい暖かくなった日、気分転換に車を走らせる。道中、久しぶりに「TRAD」(竹内まりや)を聴きながら向かったのは、海老名。途中、昨日の雨の名残りなのか、大山の中腹に雲がかかっていて、山頂がその上に覗いているのがみえる。丹沢の山並みもくっきりと見えて、快晴に向かう。
 音楽は冒頭の「縁(えにし)の糸」から始まって、達郎&まりや、桑田&原田の同世代おしどり夫婦のコーラス入り「静かな伝説」から、「Your Eyes」へと移っていった。山下達郎「FOR YOU」(1982年リリース)に収録されていて、作詞は昨年亡くなってしまったアラン・オデイ、達郎氏自身によるバックコーラスの厚みが雄大で素晴らしく、学生時代によく聴いた思い出の曲。もともとはまりやさん本人のために書かれた曲なんだそうで、32年後にようやく披露されたそのご本人の歌唱もなかなかのもので両方の聴き比べも楽しい。
 ラスト曲「いのちの歌」(作詞:竹内まりや、作曲:村松崇継)はアルバムのエンディングに相応しい曲調、これまでの彼女の音楽人生の到達点を感じさせるメッセージが含まれていて、なんだかちょっと胸が熱くなる、たとえば、こんなところ・・・。

  本当にだいじなものは 隠れて見えない
  ささやかすぎる日々の中に かけがえのない喜びがある

いつかは誰でも この星にさよならを
  する時がくるけれど 命は継がれていく
  生まれてきたこと 育ててもらえたこと
  出会ったこと 笑ったこと そのすべてにありがとう
  この命にありがとう                 
                    (「いのちの歌」 より)

 最近は、このような気恥ずかしいくらいストレートなメッセージを素直に肯定して共感できる自分がいる。「本当にだいじなものは 隠れて見えない」ってどこかでも教えてもらったと思っていたら、確かサン=テグ・ジュペリ「星の王子様」の中で出会った一節と同じではないか。表現手段の違いがあっても、真実やささやかな人生観はそんなにかけ離れていないということかな。

 そうしているうちに海老名のシネマコンプレックスへ到着。「新・午前十時の映画館」の上映作品のなかから「俺たちに明日はない ボニーとクライド」(監督:A.ペン、1967年、アメリカ)を見る。製作・主演がウォーレン・ベイティ、フェイ・ダナウエイの実在した銀行強盗男女コンビをモデルにした映画で、時代の閉塞感を刹那的に生きたふたりの鮮烈な青春ストーリー、1960年後半からのアメリカン・ニューシネマの先鞭をつけたといわれる作品。同年の作品に「卒業」(監督:M.ニコルズ、主演:D.ホフマン、主題テーマ:サイモン&ガーファンクル「サウンド・オブ・サイレンス」「ミセス ロビンソン」)があり、当時のベトナム戦争を背景とした時代状況が色濃く反映している。来月に仕事の関係で、W.ベイティ監督・主演の「天国からきたチャンピオン」(1978年)を上映するので、その前哨戦としてのぜひ一度きちんと観ておきたかった。比較すると後者のコメディー風味の作品が年末にふさわしくハートウオーミングで、ハンサムなW.ベイティに似合っている。

 映画館ロビーを出ると、大山丹沢にかかった雲が切れてすっかり青空が拡がっている。絶好の湯あみ日和?とばかり、昼食の後、相模川を渡って七沢温泉に向かう。厚木市街を抜けて新玉川沿いの黄色く紅葉したケヤキ並木を走りぬけ、県立リハビリ―センター病院のさらに先のもっとも奥まった老舗の温泉宿に到着。午後1時過ぎの陽光に庭一面のモミジの紅葉が実に鮮やかである。この時期、いつ訪れても民家を移築した玄関の藍染の麻暖簾が清々しい。
 しばらく、宿周囲のモミジのクラデーションと入口の真っ白く咲いた山茶花の眺めを楽しんだ後、立ち寄り湯料金を支払い、浴場へ向かう。脱衣所は壁も天上もすべてヒノキ、浴槽もヒノキの漆塗り仕上げである。暖かい湯気が立ち込めた浴場内に明るい陽射しがガラス戸から差し込んで、湯面に反射して東側の壁面にゆらゆらと映っている光景がまるでメディアアート作品みたい。洗い場はうっすらと湯気の暗らがりに壁の室内灯りがぼうっと浮かんで、まるで“陰影礼讃”のあやしい世界。すこしぬるめのお湯に身を浸して手足をゆっくり伸ばしてみる。日中からこのくつろぎはたまらない、深呼吸して目をつぶると午後の日差しの揺らぎが、キラキラと変化して網膜を心地よく刺激してくれる。

 お湯から上がって、ロビーで庭の紅葉を眺めながらくつろいでいると、変わらぬ山里の深まる秋に心が安らぐ。午前中のシネマ体験、そしてそこから少し移動しただけの老舗旅館での湯あみと、なんだが一日で手軽に随分とよい贅沢をさせてもらった思いがする。さあ、日常に帰ろう。


 昨年は苔むした宿の看板を掲出したので、今年は玄関の藍染暖簾を。球形灯がのれんの山並みにかかる月のよう。


 ロビーの正面の額装は「のらくろ」、ここは画家田河水抱氏も愛した宿。


 入口の山茶花が見頃で、いくつも咲く花花の白さが清々しい。周囲の紅葉の美しさは想像してみて。

(2014.11.27初校、12.4 改題)

金沢武蔵ケ辻、十間町の村野藤吾から鈴木大拙館へ

2014年11月24日 | 建築
 北陸金沢を訪れるのは二度目で2007年11月24日以来になる。振り返って調べてみたら、最初が仕事がらみの出張で七年前のちょうど今日のこと!夜までの勤務を終えた後、横浜発の夜行バスに乗り込み、翌日早朝の金沢駅前に到着したのだった。
 JR金沢駅前には能楽囃子の小鼓を模したような巨大なゲートモニュメントがそびえ、開館間もない話題の石川県立音楽堂の建物が目に入ってきて、底冷えはしていたけれど金沢に来たんだ、と実感したことをよく覚えている。まずは北鉄駅前センターに立ち寄って観光バスの午前コースを申し込み、隣接したホテルのカフェで朝食を取って出発時間を待った。バスはまず、浅野川を越えて東方向、金沢市街を一望できる卯辰山公園山頂に向かった。ここから俯瞰した浅野川と犀川にはさまれた金沢城と兼六園を中心とする街並み全体が、わたしの金沢の印象としてずっと刻印されることになる。

 そうして、期せずして偶然同じ時期にふたたびの金沢、その日は神奈川圏央道、関越道、上信越道から北陸道と車を走らせ、走行距離が500キロを越えた夕方五時過ぎにようやくホテルに到着。三階の部屋でシャワーを浴びて着替えた後、すぐに荒天の中をいそぎ足で金沢21世紀美術館を訪れて「ジャパン アーキテクツ 1945-2010」を見る。フランス人キュレーター、F.ミゲルーによる戦後日本建築史を俯瞰する六つのセクションで構成された展覧会。丹下、坂倉、菊竹、大谷、大江、谷口、前川、村野、吉阪、レーモンド、吉村といったすでに故人となった大御所をはじめとする有名建築家の作品図面、パネル、模型がずらりと並んで圧巻。興味をひいたもののひとつは1970年の大阪万博俯瞰模型、いまからみると無邪気なくらいに未来礼讃、SFチックな仮設建築のオンパレードが時代を感じさせる。故郷を同じくする異色の建築家渡辺洋治作品もみかけたが、肝心の「斜めの家」模型と図面は見逃してしまった。

 深夜、ふらふらと大手堀正面のホテルへ戻り、夜明け前に目覚めると暗闇に雷光が光っている。そのまま、前夜の出来事のことを考えながら眠れずにぼんやりと朝を迎えると、次第に白んだ空はあいにくの曇り空と時折の雨。ホテルから傘をさして歩きだし、Mから在処を教えてもらった、戦前若き日の村野藤吾が設計した十間町の中島商店ビル(1932年7月竣工)を見にいく。鉄筋3階建の正面がベージュ色タイル張りビルで隣の望楼つきの伝統町屋との対比がおもしろい。竣工した当時は、この街並みの中でさぞかし斬新であっただろうけれど、八十年余りを経ていい色合いのファサードをはじめ、建物全体がすっかり周囲になじんでいる。階層ごとの窓枠の違いの変化がいかにも村野らしい。中島商店ビルの向かいは、すみよしや旅館で創業が江戸時代、三百数十年以上の歴史を持つ宿だそうで、その重厚な木造二階建ての黒々としたただずまいが目をひく。宿泊料は意外と庶民的で、次の機会にぜひ泊まってみたいと思わせる宿だ。
 この近くの武蔵ケ辻交差点には、昨晩見て回った旧加能合同銀行本店(1932年4月竣工)現北国銀行支店もあり、こちらは同じベージュのタイル貼りながらも、船底型の尖塔アーチが三連で並ぶ特徴的なファサードで、辻にふさわしいランドマーク性を際立たせていた。その香林坊方向へ下ったすぐ脇が近江市場への入り口となる。この二つのビルは同年の竣工ということもあって、その意匠の類似性と立地による差異の対比が興味深い。

 まだ七時すぎ、Mと待ち合わせをして朝の近江市場通りをぬけていくことにした。海産物鮮魚を中心に、開店準備中で活気づき始めている市場をひやかしながら、朝食をどうしようか尾崎神社の近くまで歩く。結局、大手堀正面の宿泊先の二階のレストランでバイキングをとることにした。テーブル正面の窓際からは堀の向こう、城郭石垣に松の木の緑、イロハモミジの赤が対照的に映えて美しく、ここからの眺めがこの場所で食事する価値があるだろうと思えたくらいで、雨に濡れていっそう絵になる眺め。話題は最近亡くなられた赤瀬川原平さん、それから谷川俊太郎さんのことなどに及んで持参していた本を見せ合うことに、お互いの興味の視点がおもしろい。

 九時過ぎ、雨が降ってきた中を車で金沢城公園と兼六園の間を抜けて10分ほどの本多町にある今回の訪問のメイン、鈴木大拙館へと向かう。本多町交差点の少し先の民家の間を入ってすぐの背後の緑の斜面を背にしてその建物はあった。谷口吉生の設計で2011年7月に竣工しているから、村野藤吾設計のふたつのビルから79年後のこと。
 鈴木大拙(1870-1966)は金沢本多町出身、日本よりむしろ海外で有名な仏教学者で禅=ZENの思想を世界に広めた人物。晩年は鎌倉に居住し、東京で亡くなっている。わたし自身高校時代に禅思想に興味をもっていた関係でその名前を意識してきたけれども、久しぶりの再会だ。ただし今回は、鈴木の思想そのものよりも、Mからの影響もあって建築空間に対する期待をいだいての訪問で、コンクリート打ち放しのエントランスから期待感が高まる。入口脇から横に入るといきなり「水鏡の庭」と命名された人工の矩形の池に出会う。雨粒が水面に落ちて小さな泡となって模様を描いている。正面は花崗岩の壁で水平に隔てられ、その向こうが斜面の緑の木々で、モミジやイチョウの紅葉が見事な対比をみせている自然を借景とした情景。思索空間と名付けられた四角い白い浮身堂のような建物は、なんと土蔵造り二階建てで、本館鉄筋コンクリートのモダン建築と伝統建築工法が回廊でつながり、人工池に面して違和感なく融合しているのが本当に素晴らしい。

 順路に戻って本館に進んでいくと、なにやら人だかりの先に長身の白髪紳士、なんと谷口吉生氏ご本人が案内している場面に遭遇したのだった。館の係の方に伺うと、谷口氏設計の東京・京都国立博物館や豊田市美術館、資生堂アートハウスほか全国の博物館美術館の連携記念会合があって、その関係者が来館中とのこと、その後からそろそろと従うはめになった。そうこうしていると、遅れて黒のソフト帽に黒の上品なカシミヤコートの小柄な老人の姿が目に入る。あっ、とびっくり、槇文彦氏である。期せずして建築界の両巨頭のツーショットに遭遇するという僥倖!こんなことって偶然にしても出会うことがあるんだ、と心底驚ろかされた。やっぱり、午前中早くにきてよかった、その後しばらくは幸運にも、お二人の会話を伺いながら同じ空間体験を共有することとなった。
 外部回廊からふたたび水鏡の庭を眺めながら思索空間へと移動していく。雨はやんでの文字どおり“水鏡”状態、そうしてしばらく眺めていると、今度は雲が切れて奇跡的に青空から冬の陽光が差し込んで、水面にきらめく。しばらくの間のこと、その日差しのもと、雨に濡れた緑の木々と紅葉がいっそう鮮やかな表情をみせた。Mと歩いて回っていると、なぜか思わぬ出会いや偶然があり、何故だろうと本当に不思議な気にさせられる。帰りは池の脇を通って横から水鏡の庭を眺め、隣接の松風閣庭園との間の狭い通路を歩いて行き、中村記念美術館前庭園に出て表通り前の車まで戻る。

 わずか一時間あまりのことだったと思うけれど、凝縮されたここの空間での幸せな時間と体験は一生忘れることができないひととき。大拙と同年に生まれた石川出身の哲学者には、これまた高名な西田幾多郎(1870-1945)がいて、ふたりは旧制高校からの畏友どうし、その西田記念哲学館が金沢のほんの少し先のかほく市にあり、こちらは安藤忠雄の設計ということで現代建築家の対比としても興味深く、次回訪問の機会には目指してみよう。

 金沢芸術村での谷口吉生×槇文彦対談会場へ向かう車中、「LONGTIME FAVORITES」(2003年)を聴きながら移動する。この中に竹内まりや&大瀧詠一による唯一のデュエット曲「恋のひとこと Something Stupid」(ナンシー・シナトラ、1967年)というたわいのない甘いラヴソングがあって、このカヴァー曲を一緒に聴いてもらうのが夢だったのだけれど、まさか金沢で実現するなんてね。
 このたびの旅は、やっぱりきっかけを作ってくれたMにいつもながら感謝!
                                        (2014.11/24初校、11/28 0:10 改定加筆)



立冬 山茶(つばき)始めてひらく

2014年11月08日 | 日記
 七日は立冬、木枯らしの季節到来。というわけで、小学校時代の懐かしい一節を暗唱してみよう。

 山茶花 山茶花 咲いたみち 
 たき火だ たき火だ 落ち葉焚き
 あたろうか あたろうよ 
 しもやけ おててが もうかゆい

 口をついて出てくる唱歌のひとつに「たき火」(作詞:巽聖歌、作曲:渡辺茂)というひとはだいたい五十代以降の世代が多いのではないだろうか。また、この日は「鍋の日」でもあるらしく、そのわけは「いい(十一)な(七)べ」の語呂合わせといささか苦しい説明なのは、案外生鮮食品業界からの提唱なのかも?しれない。まあ、昨今の西洋カボチャの仮装騒ぎよりもしっくりくる。それに合わせたわけじゃないのだろうけれども、「今晩の夕食は鍋にうどんにする」って、今朝ほど厚木市文化会館(総煉瓦化粧の外観の国道246号に面した側にツタが絡まって伸びていてこれからの紅葉がキレイと想像する)まで送っていった家人が言っていた。できたらその前に温泉に入って温まりたいね。


 ざる菊祭りの風景。さる菊とは、農村でつかわれていたタケザルを伏せた形状から。(相模川にちかい荒磯地区にて)


明日館講堂三枚おろしの秘密って?

2014年11月03日 | 建築
 霜月に入って最初の日曜日午後、自由学園明日館講堂を訪れるために、目白駅から徒歩で川ビレッジ前の通りから住宅街を通り抜けて、西武池袋線を渡ってしばらく行く。九月末にシルクロードゆかりの楽器による演奏会を聴きに来て以来の変わらず落ち着いたたたずまい。よく晴れた秋空の下、本館前の芝生広場に沿った通り沿いには、四本の大きなソメイヨシノが気持ちよさそうに枝を拡げていて、そよ風に揺れた葉がすこし色づき始めている。

 「明日館講堂と遠藤新」と題された講演会、この秋から耐震補強工事に入る前の粋な計らいの催しにはせ参じたのは、建築家の遠藤現(遠藤新の四男萬里の子息)氏と関澤愛(長女うららの子息で東京理科大学教授)両氏が登壇されるので。関澤氏のことは現さんから伺っていたけれど、てっきり女性だと思っていたら、さにあらず都市防災研究の専門家でいらして、ユーモアのある調子で祖父遠藤新の人となりを語って下さった。とくに大学卒業直後の東京駅中央停車場についての辰野金吾に対する批判文をめぐるエピソードが象徴的。

 現さんは、遠藤家子息唯一の建築家らしく、F.L.ライトとの出会いから始まって、帝国ホテル、甲子園ホテルというふたつの遠藤が設計に関わった都市ホテルについてスライドを交えてわかりやすく紹介していた。とりわけ移築された旧帝国ホテル正面玄関ロビー部分については、この八月明治村で対面してきたばかり。正面入口を入っていくと低い天井からいきなり三階部分まで吹き抜けとなるホワイエの劇的な空間構成と、回廊周辺の精緻で魔術的でもある装飾の印象が強く残っていたこともあって、ふたたび追体験をさせてもらったような心持ちがした。1893年シカゴ博覧会での鳳凰殿を体験しているライトが得たであろう建築上のインスピレーションについても、現さんから指摘されるとさらに興味深い気がする。
 また、帝国ホテル玄関前の宇都宮産大谷石とスクラッチタイルで作られた人口池(もともとは睡蓮が植えられていた)が、東洋的な印象の視覚効果も考えられたものではあったんだろうと想像していたが、防災用にも置かれていたと聞き、目からウロコが落ちる思いがした。事実、竣工直前の関東大震災では、防火用水の役目も果たしたという。

 さらに話は自由学園本館と講堂にも及び、本館周囲の大谷石敷がそのまま内部をつなぐ廊下にまで使用されているのは、内外のつながりを意識したものとの説明に休憩時間あらためて本館を巡ってみる。正面旧ホール食堂部分と両側に翼のように伸びた教室部分のうち、向かって左の西側がライト自身の設計により1921(大正10)年に竣工し、東側部分はライトが1922年に帰国した後、30代の遠藤新が引き継いで関東大震災後の1925(大正14)年に竣工していることを今回初めて詳しく知った。この事実を踏まえれば、自由学園明日館は文字通り二人の合作となることが納得される。また通りの向かい側にあって、本館の意匠の調和に考慮された講堂については、遠藤の単独設計により、1927(昭和2)年に竣工している。
 あらためて本館食堂からホールを見下ろしてみると暖炉の配置といい、空間のつながり具合といい、同時期に竣工している帝国ホテルや葉山加地別邸との関連性がわかってじつに興味深く、ライトと遠藤新はこの時期一心同体という感を改めて感じる。現さんはその共有性について、ふたりが日米の違いががあってもともに地方出身で、幼いころの牧場や農業体験つまり自然や大地とのつながりにあるだろうと推察されていたが、まったく同感である。

 最後に三枚おろしの秘密について、これは講堂や教会などの大空間を必要とする建物の構造について、雑誌「婦人の友」で語っていたことを指す。遠藤新の一般家庭向け主婦への建築に対する熱意とユーモアの一端を感じさせるコトバだろう。要するに中央平土間大空間部分と両側高土間部分からなる空間構成と構造について、魚の調理法(さばき方)にたとえて説明したもので、遠藤新の建築論の代名詞とでも呼べるようなもので、目白が丘教会の内部もぜひの目で見て確かめたい思いが募ってくる。

 帰り道は、山手線沿いの通称F.L.ライトの小道を再び目白駅まで歩く。目白通りがJR山手線をまたぐめじろ橋の脇には間もなくオープンの四階建て商業ビル“MEJIRO TRAD”、夕暮れの駅舎の向こうに新宿の高層ビルの灯り、振り返れば池袋駅周辺のビルの合間にサンシャインシティの姿。大正からイッキに大都会の夜の情景が広がっていく、これから郊外のわが家まで約一時間ほど、自分の存在に小さくため息。

今年も、霜月に山粧う

2014年11月01日 | 日記
 今日から霜月十一月、今年も残すところあと二月という時期になってしまって、関東でもそろそろ紅葉が見頃を迎えている。

 今度の連休、近場でいいから秋の装いを体感しにでかけてみようか、こどもの国か寺家ふるさと村。いずれも武蔵と相模の国境に位置するあたりで、里山の風景が残されている。紅葉もいいけれど、紅白のサザンカ(山茶花)の花びらが散り落ちている情景が好きだ。また、民家の庭先のお茶の木の生け垣があって、素朴で可憐な白い五弁花が点々と見かけられるのもこれからの季節だ。そしてそこから少し視線を上げていくと、落葉した枝先に鮮やかに色づいた柿の実があちこちに見かけられるのも山里の郷愁を誘うなつかしい風景のひとつ。
 それでは、まち歩きのなかで見かけた言葉の撮りだめた携帯ショットからいまの心境に寄り添った二枚を。

 ≪本日の言葉≫ 

 こんなこころ持ちで日々過ごしていけたら、ね。     町田市中町 妙延寺(日蓮宗)にて

 もう、一枚、このブログ標題そのものですが。。。 その精神は平凡でありながら深い・・・

 中央林間の多胡記念公園内慈緑庵書院にて