あと半月ほどで夏の高校野球選手権神奈川大会が始まる。夏の全国大会がはじまって、戦中をはさみ今年で百年目を迎える記念の年であり、神奈川県内からは186チームが参加するそうだ。娘の在学する高校野球部も、来月12日の初戦を小田原で迎えることになっていて、その球場の下見に出かけてきた。
週末、その日は朝から梅雨の合間の晴れ、すでに日差しは初夏の感じだった。大和から国道246号線をひたすら下り、途中の厚木から伊勢原あたりはずうと渋滞でノロノロ走行がつづく。やがて鶴巻温泉の先の善波峠に差しかかるころになっても車の列は続き、どうやら事故が発生していたようだ。このあたりからは、冬の時期だと真正面に富士山の秀麗な姿がくっきりと望める。秦野まで降りてくると大山丹沢の山並みが少し霞んで見えてきた。
山間をぬけて松田にでたところで左折して県道255号線に入り、酒匂川と並行に海へ向かって下っていく。両岸には田園風景がひろがり、その先に足柄の山々が連なるひらけた視界が心地よい。
途中から住宅地のなかをぬけていくと用水路が流れる先の田んぼのなかに広々とした上府中公園が見えてきた。会場の小田原球場はこの公園のなかである。どうやら今日は何もやっていない様子、グランド整備にあてているようだ。周りをぐるりと一周してみることにして歩き出す。駐車場の反対側が外野スタンドで電光式のスコアボードが望めた。いまはまだ静かなグランド、外野フィールドは天然芝である。グリーンを見つめながら半月先の熱戦を想像して、娘たちのチームの健闘をひたすら祈る。
公園の正面入口側の噴水池にイルカのオブジェ、その横の花菖蒲の植わった池のほとりには、覚えのある少年の銅像、ご当地の偉人の金次郎少年像である。やはりここは、二宮尊徳が生まれ育った土地だけのことはあるなあ、と実感。
それではと車に戻り、ここから報徳橋を渡って酒匂川対岸、尊徳さんの生誕地である栢山で昼食をとることにして、お目当ての蕎麦屋を探す。東栢山の交差点を左折すると、しばらくして道路沿いに「蕎麦月読」の看板が目に入ってきた。店構えはまだ新しく、清潔感のあるこじんまりした店内、御座敷に上がってしばし寛ぐ。ほてった身体に十割そばののど越しと香りがなじんで、ゆったりした気持ちになる。
ここから尊徳記念館はすぐ近く、左手方向に生家の茅葺屋根が見えてくる。まずは、江戸時代中期の典型的中流農家であったという生家を見学することにした。二百五十年ほど前の住居が変遷を経てもとの地に保存されていることに驚かされる。正面右手にはこれまでみた中で最も立派な等身大尊徳像がたっている。なんと身長180センチの大柄な体躯で、眉間のシワの深さに、うんーん意志の強さが伝わる。さすがにご当地にある記念館だけあるなあ、と感心しきり。生家は一度他人の手にわたって移ったが大切に使われて、ふたたびこの地に戻ってきたとある。家の前にある説明版には、そのいきさつに真珠王の御木本幸吉が関わっていると書いてあって、その意外な関係にまたびっくり!なんでも明治の中期にわざわざ当地を訪れ、生家跡が荒れ放題なのを見て土地を買戻し、周辺に石造の塀囲いを創って寄附したとのこと。たしかに生家横の石碑には「伊勢志摩 御木本翁」の文字が彫ってあるし、苔むした石塀は当時のまま今も残っている。
つづいて隣の記念館を見学して、なんとなく知ってはいた尊徳さんの生き様と足跡をあらためて学ぶことに。ジオラマや人形、アニメなどを使ったわかりやすい展示で、日本人の美徳といったこと以上に人間ドラマとしても興味深く素直に感じ入ったのは、それだけ自分も人生の齢を重ねたからだろうか。
記念館から民家のある田園風景をぬけて酒匂川の土手堤まで歩く。田植えがすんだばかりの田んぼが広がり、遠く周囲の山々まで視界に、ふうと力が抜けて気持ちが開けていく。もともとは球場 見学にきたついでの散歩だったのに、なんだか随分とトクをしたひととき、こんなまわり道もあっていい。
帰りは国府津まで下って国道一号へ出て、あとは海沿いを東に向かって二宮、大磯、平塚とひたすら走って、茅ヶ崎から寒川方面へと北上して海老名を通り、家まで戻る。
茅葺屋根の生家。壁面は竹材を縦方向に並べて囲む。正面右手にあるのが実物等身大の尊徳像。
二宮尊徳(1787-1856)この地栢山で、天明7年7月23日(おそらく旧暦)生れ育ち、安政3年栃木今市没。
週末、その日は朝から梅雨の合間の晴れ、すでに日差しは初夏の感じだった。大和から国道246号線をひたすら下り、途中の厚木から伊勢原あたりはずうと渋滞でノロノロ走行がつづく。やがて鶴巻温泉の先の善波峠に差しかかるころになっても車の列は続き、どうやら事故が発生していたようだ。このあたりからは、冬の時期だと真正面に富士山の秀麗な姿がくっきりと望める。秦野まで降りてくると大山丹沢の山並みが少し霞んで見えてきた。
山間をぬけて松田にでたところで左折して県道255号線に入り、酒匂川と並行に海へ向かって下っていく。両岸には田園風景がひろがり、その先に足柄の山々が連なるひらけた視界が心地よい。
途中から住宅地のなかをぬけていくと用水路が流れる先の田んぼのなかに広々とした上府中公園が見えてきた。会場の小田原球場はこの公園のなかである。どうやら今日は何もやっていない様子、グランド整備にあてているようだ。周りをぐるりと一周してみることにして歩き出す。駐車場の反対側が外野スタンドで電光式のスコアボードが望めた。いまはまだ静かなグランド、外野フィールドは天然芝である。グリーンを見つめながら半月先の熱戦を想像して、娘たちのチームの健闘をひたすら祈る。
公園の正面入口側の噴水池にイルカのオブジェ、その横の花菖蒲の植わった池のほとりには、覚えのある少年の銅像、ご当地の偉人の金次郎少年像である。やはりここは、二宮尊徳が生まれ育った土地だけのことはあるなあ、と実感。
それではと車に戻り、ここから報徳橋を渡って酒匂川対岸、尊徳さんの生誕地である栢山で昼食をとることにして、お目当ての蕎麦屋を探す。東栢山の交差点を左折すると、しばらくして道路沿いに「蕎麦月読」の看板が目に入ってきた。店構えはまだ新しく、清潔感のあるこじんまりした店内、御座敷に上がってしばし寛ぐ。ほてった身体に十割そばののど越しと香りがなじんで、ゆったりした気持ちになる。
ここから尊徳記念館はすぐ近く、左手方向に生家の茅葺屋根が見えてくる。まずは、江戸時代中期の典型的中流農家であったという生家を見学することにした。二百五十年ほど前の住居が変遷を経てもとの地に保存されていることに驚かされる。正面右手にはこれまでみた中で最も立派な等身大尊徳像がたっている。なんと身長180センチの大柄な体躯で、眉間のシワの深さに、うんーん意志の強さが伝わる。さすがにご当地にある記念館だけあるなあ、と感心しきり。生家は一度他人の手にわたって移ったが大切に使われて、ふたたびこの地に戻ってきたとある。家の前にある説明版には、そのいきさつに真珠王の御木本幸吉が関わっていると書いてあって、その意外な関係にまたびっくり!なんでも明治の中期にわざわざ当地を訪れ、生家跡が荒れ放題なのを見て土地を買戻し、周辺に石造の塀囲いを創って寄附したとのこと。たしかに生家横の石碑には「伊勢志摩 御木本翁」の文字が彫ってあるし、苔むした石塀は当時のまま今も残っている。
つづいて隣の記念館を見学して、なんとなく知ってはいた尊徳さんの生き様と足跡をあらためて学ぶことに。ジオラマや人形、アニメなどを使ったわかりやすい展示で、日本人の美徳といったこと以上に人間ドラマとしても興味深く素直に感じ入ったのは、それだけ自分も人生の齢を重ねたからだろうか。
記念館から民家のある田園風景をぬけて酒匂川の土手堤まで歩く。田植えがすんだばかりの田んぼが広がり、遠く周囲の山々まで視界に、ふうと力が抜けて気持ちが開けていく。もともとは球場 見学にきたついでの散歩だったのに、なんだか随分とトクをしたひととき、こんなまわり道もあっていい。
帰りは国府津まで下って国道一号へ出て、あとは海沿いを東に向かって二宮、大磯、平塚とひたすら走って、茅ヶ崎から寒川方面へと北上して海老名を通り、家まで戻る。
茅葺屋根の生家。壁面は竹材を縦方向に並べて囲む。正面右手にあるのが実物等身大の尊徳像。
二宮尊徳(1787-1856)この地栢山で、天明7年7月23日(おそらく旧暦)生れ育ち、安政3年栃木今市没。