日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

こどもの国 白鳥池と雪印牧場

2021年05月27日 | 日記

 朝から雨の木曜日、中庭の木々のみどりが濃くなって鮮やかに濡れている。二本の欅の大木が枝を広げて雨空にのびて、ベランダの先にある一本のゆずり葉にも雨粒が落ちている。
 今年になって入れ替わった葉々の重なり、みどりの色変化が鮮やかだ。葉の表面の雨粒は弾かれて集まり、しずくとなって下の方の枝の葉へと伝わっていき、軽くなった上方の葉は反動で小さく揺らぎ、落ちたしずくのほうはやがて地中へと染み込んでいく。いつもその繰り返しの中で、五月の雨は降り続けている。

 小満がすぎて大方の田んぼには、もう稲の苗が植え終えられたことだろう。JR横浜線から見える恩田川あたりに広がる田園風景を見たのはつい最近のこと、水が張られた田んぼの苗はまだ植えられたばかりで風が吹くと産毛のようにそよいでいた。

 こどもの国線で「こどもの国」を訪れるのは、昨年八月以来だ。長津田をスタートしてわずか二駅、終点のこどもの国駅から徒歩ですぐ、歩道橋を渡ってゲートをくぐると百ヘクタールの里山風景を遺して切り開かれた広大な丘陵が広がる。平日の午前中とあって訪れる人は少なく、新型コロナウイルス感染下だからなおさらのこと静寂な雰囲気がする。戦時中に陸軍弾薬庫があった当時、貨物引き込み線が正面入り口から園内まで敷かれていたという。
 その跡地が、現上皇上皇后両陛下のご成婚に際し、おふたりのご意向に沿う形で、国民からよせられたお祝い金をもとに、こどものための福利厚生施設として計画がされた。開場したのは東京オリンピック後の1965年五月こどもの日、広大な敷地は東京都と神奈川県境にまたがって広がっている。

 中央広場両側はすでに葉桜の季節、左手前方には皇太子記念館の赤い大屋根がのぞいている。その下の室内ホールはきれいに解体されてしまったが、屋外の集会施設として利用できそうだ。せめてステージになりそうな舞台くらいは残していてくれればよかったのに残念。そしてすぐ先の屋外プールは、今夏も閉じられたままのようだ。
 周遊道路からひと山越えて(意識しなければ気がつかないのだけれど)横浜市郊外と東京町田市の境を跨ぎ、白鳥湖のほうまで行ってみることにした。いい陽気にすこし汗ばむくらい、そこは森に囲まれた湖といった風景になる。足漕ぎのボート乗り場がある風景は以前とあまり変わっていないように思えた。湖畔のベンチには仲良しの父親と娘らしき一組の親子がいるだけだ。その少し離れた脇でメタセコイヤの大木が木陰を作っている。
 このあたりで一足早い昼食をとることにして、自動販売機でお茶のペットボトルを購入した。持参のお弁当を広げたらまるでピクニック気分か。座った視線の湖のずっと先には、その名の通りつがいの白鳥がのんびりと泳いでいる。ほんのすこし奥まっただけなのにまるで別世界が広がる。
 食べ終わってから湖にかかる太鼓橋を渡り、白鳥のいる先までいってみることにした。湖の奥のほうへ進むにつれて、周辺にはイロハモミジがたくさん植わっていて、いまは青紅葉のトンネル、秋になると見事な紅葉だろう。利用したことはないがバーベキューとキャンプ場はこの奥になるらしい。

 白鳥湖から離れて人口せせらぎのある方向に戻り、県境のトンネルを超えてゆく。道の両側にはかつての軍需施設遺跡として弾薬庫だった洞窟倉庫の入り口がいくつか残されている。
 そうこうして進んでいくと大きく視界が開けてきて、丘陵一帯に白い木さくで囲われた牧場地が現れた。ここがポニーと乳牛と羊と小動物のいる雪印こどもの国牧場だ。乳業メーカーである雪印直営の牧場はここだけかもしれない。前にきたのは娘が小さかったころだから、以来二十年ぶりくらいだろうか。
 さきのバーベキューにキャンプ場といい、ここが都心から30キロしか離れていない周辺を住宅地と学校に囲まれた空間だとはにわかに信じがたい気がしてくる。尾根の向こうは、日本体育大学と横浜美術大学、そして横浜市立奈良中学校があるのだから。

 まあ、せっかくだから名物の地産牛乳を使用したソフトクリームをいただくとしよう。牧地の一部を開放した芝生地の一角にミルクプラントがあって、そこで生乳を加工している。乳脂肪たっぷりのまさに作りたてソフトミルクでバニラビーンズの香りさえしない。丘のむこうにはこどもたちの姿が見えて、歓声が上がっているのどかな風景。昨今のコロナ禍を忘れそうな文字通り“牧歌的”なひと時に浸る。
 もうひとつあるトンネルを過ぎると右手に多目的広場、かつての陸軍田奈部隊本部があった場所だ。当時からの歴史を知るであろう、大きなヒマラヤ杉がそびえている。もうすこし進めば正面広場にもどって、東京都と横浜市の境を行ったり来たりしながら、これでほぼ園内の主要個所をひとめぐりしたことになる。

 ひたすら広大な郊外の里山空間、これといったモニュメント性のなさがいいのかもしれない。いざとなれば、非常時の大規模避難場所としても活かされるだろう貴重な中立的空間。まったく仰々しさがなく、消費生活からも遠く、ひたすら家族的で健康的である。貧富の差なく平等志向のもと軍事遺産を平和的に転換してみせた空間は、戦後の日本が国民統合の象徴としての天皇制度を抱き、希求してきた理想を表しているのかもしれない、と終戦76年後の夏を迎える前にぼんやり思う。

 そしてもうひとつ、すこし汗ばみ青空を見上げながら考える。二回目の東京オリンピックに関して優先すべきことは、はたしてそこにあるのだろうかという疑問だ。誰のための何のためのオリンピックなのだろう。

園内中央広場から正面入り口、長津田方面を眺める。
かつての軍需貨物引き込み線ホーム、弾薬工場跡(撮影:2021.5.25)


 うすピンク色に焼けたヤマボウシ山法師(野性種)


「椿の庭」とブラザースフォア

2021年05月24日 | 文学思想

 ようやく「椿の庭」を観ることができた。余白のある文字と印象的な写真でレアウトされた二つ折りフライヤーを手にして、いまどき控えめで清楚な印象の美しいデザインに惹かれた。これはいい映画だから観に行こうと思わせるものであって、新百合ヶ丘での上映開始が待ち遠しかった。

 物語の舞台は、相模湾を望める三浦半島葉山の高台、緑に囲まれた古い家屋だと書かれている。おそらく、しおさい公園や県立近代美術館のある一色地区か、葉山公園と御用邸のある下山口あたりなのだろう。このロケーションには、まぶしい陽光に満たされたあこがれのようなものを感じていた。それだけでも見てみようとする動機としては十分過ぎる。
 上田義彦監督による初演出の長編作品、主演は絹子役の富司純子、その亡くなった長女の娘渚役が韓国出身の若手女優シム・ウンギョン。渚の叔母で絹子の次女役が鈴木京香なのは、見始めてから気がついた。
 上田監督はもともと写真家ということで、自然光を活かしたフイルムによる何気ない動植物を写し取った構図、自然なカット割り、人物表情のとらえ方に独特の印影が感じられる。日本の伝統である“陰影礼讃”の暮らしを描くことが基本にあって、脚本そして撮影、編集まで監督によるものだという。実際の四季の移り変わりを写し取った長期にわたるロケなどは、効率を旨とする最近の映画製作手法とは一線を画すものだ。
 映像全体を通しての余白にゆとりの時間が流れて、誇張や押しつけがましさが全くなく、心地よさのなかに生きてゆく歓びと哀しさがにじみ出ているようだ。

 だが、もっとも意外性で驚かされたのは、始まって半ば過ぎのこと。絹子がレコード盤に針を落として、かすかなノイズ音のあとに流れてきた懐かしさあふれるメロディーを聞いたときである。その歌声は西海岸ワシントン大学出身のモダンフォークグループ、ブラザースフォアのもの。「トライ・トウ・リメンバー」は1965年のヒット曲だ。若い時代を回想して思い出を甦らす内容の静かでしみじみとした美しいメロディーとハーモニー。
 絹子はこの曲を聴きながら、亡くなった夫との暮らしの日々を回想しているのかもしれない。すこし唐突ではという印象がしたものの、違和感はすぐに消えて、まるで予定調和のように映像風景と馴染んでいったのは、本当に不思議なくらいだった。

 上田監督へのインタヴューによると、ブラザースフォアはもともと大好きなグループで「音も音楽も、自分の生理だと思っています。素直に感じるものだけで構成されています」と述べている。監督は1957年の兵庫生まれだから、赤い鳥など関西フォーク運動が隆盛を極める中で育ち、その環境の中でアメリカのモダンフォークにもいち早く親しんでいたのかもしれない。「トライ・トウ・リメンバー」は、すこし時代は後になるが、初期のサイモン&ガーファンクルによる「四月になれば彼女は」にも通じるような曲想で、深くこころの底に沈殿して残る。
 それにしても葉山の風光に日本家屋、レコードプレイヤー、ブラザースフォアとは!

 タイトルにある「椿の庭」、最初にシーンで木漏れ日の庭の井戸のなかにいた金魚が亡くなって、その亡骸が椿の花に包まれ、土の中に埋められるシーンがある。まるで終盤の絹子の死と古い家屋の解体を暗示しているかのようだ。したたる緑のなかで椿の花はあまり映ることが少ない印象だが、このあたりの植生から背後にはやぶ椿の林を背負っているのだろう。よく手入れと清掃が行き届き、ハイカラで裕福な暮らしぶりがうかがえる。
 不思議と食べ物の出てくるシーン、桃やスイカを割って食卓で食べるシーンが印象に残る。これに絹子のお茶の教授風景が加わったら、なおよかったのに! 室内調度品と折々の着物の美しさも特筆もの。

 もうひとつの主人公ともいえる、絹子と孫の渚(シム・ウンギョン)が暮らす日本家屋は、庭の視界のさきに相模湾の波間に反射する陽光が望める豊かな環境だ。初夏の雨に濡れたみどりの木々と藤棚、紫陽花の七変化、夏の入道雲が眩しく、夕暮れの陽光がオレンジ色に輝くさまが美しい。
 玄関までは車が入らないという立地、葉山堀内地区の中腹に残された宮城道雄の別荘、“雨の念仏荘”を連想した。また、久しぶりに鎌倉山の古民家蕎麦屋“擂亭”の広大な庭を思い出し、そこからの相模湾を眺めてみたくなった。

夕刻のガクアジサイはまるで線香花火のよう。(2021.5.19 病院通り)

色合いは和菓子の紫陽花そのもの。(撮影:2021.5.18 横浜水道みち)