新緑のグラデーションに彩られた山笑う、の時候である。
厚木の奥座敷、七沢温泉の元湯玉川館へ日帰り入浴に通って、そのたびに集めていた「しるし帳」が、このたびめでたく十回目を数えて満願成就となった。それであらためて初回スタンプ日をみると平成13年11月26日とある。なんと14年5か月かかってのことで、途中の押し忘れがあるにしてもよくもまあ途中でなくすこともなく通い続けたものだと我ながら感心してしまった。あのころまだ四十代前半で若かったなあ、と感傷的になる反面、大してそのころと進歩していないじゃないか、とも思ったりしている自分がいた。
市街地をぬけて新玉川沿いの道を走り、七沢温泉への道の手前を小野の分岐点で右手に入る。しばらくするとゆるくカーブする計画道路にそって新興住宅地と企業研究所、学校などが計画的に配置された区画、森の里という地域にでる。かつては青山学院大学のキャンパスもあったのだけれど、まあ、青山という名前にはふさわしい環境ではあったのに、あまりにも郊外すぎて学生たちに人気がなかったからだろう、たちまち撤退してしまって、その名残が森の里青山の地名に残っている。それにしてもキャンパス内の当時からの建物は、ほかの企業研究所か、となりにある松蔭大学所有に変わってしまっているのだろうか。
こぎれいな住宅地は一見平穏無事な雰囲気ではあるけれど、いかんせん計画された人工空間の哀しさ、身近な買い物や飲食には不便そうで、あと二十年くらいもすれば住民の高齢化とともにさまざまな暮らし上の課題が押し寄せてきそうな予感がする。
住宅街の中ほどから隧道をぬけると七沢森林公園へとつながっていく。森林公園の標高160メートルの展望広場からはまっすぐ先に大山の頂が望めた。尾根から沢沿いにくだってもとの駐車場に戻り、車をすこし走らすとちょうどお昼前に玉川館へ到着した。ここはいつ来てもすっきりした佇まいで、清々しい印象なのがいい。さっそく玄関の麻の藍染暖簾をくぐって、入浴を申し出る。
建物の奥へと進んださきの浴場の脱衣場には、まだ誰の姿も見えない。どうやら平日ということもあって一番乗りみたい、室内床天上総檜つくりの浴場を独占する贅沢さにちょっと心が弾んだ。中央には木製洗い椅子と桶がきれいに整えられていて、まずは座って湯かけして体をなじませる。漆仕上げの赤味がかった暗黒の浴場の温度はやや温めで、ゆったりするにはちょうどよくてそこにしばらく身を沈めてみる。
ガラス窓の先には、陽光のさきに目に青葉の世界がそのまんま拡がる。陽の光りはすでに高く、この時間はもう浴場内に光線が斜めに差し込んでくることはない。ぼんやりと壁の室内照明が浮かび上がって、まさしく陰翳礼讃の世界に浸り、時の移ろいが止まったかのような錯覚におちいる。浴場のへりに腰かけて体を伸ばして誰もいない湯船に半身を使ったまま、お湯を手ですくっては上身体にかけてさらさら流してみるとアルカリ性温泉の成分で肌が磨かれるかのような、気持ちがなごむ。
さて、お昼の食事は、門構えのさきの離れの民家、竹林をぬけて小さな沢を渡ったさきの“草庵”でいただくことにした。ここは、細身の上品な女性が料理から配膳まですべてひとりで行っているようだ。なにをしてきたひとなのだろう、無駄な話はいっさいないし、庭先も適度に手をかけすぎない自然な感じがなんだかいつきても変わらす好ましい。
合間に読みかけの文庫本、赤瀬川原平さんの二十年前の著作「新解さんの謎」から「紙がみの消息」の何篇かを読み進める。まるで念仏でも唱えるかのような独特な文体、自然と肩の力を抜けていき、みけんのシワがのびていくような心持ちになる。日常のなかでやり過ごしてしまうような、何げない現象に潜むフシギをつぶやきのなかで丁寧に掬い取って、自家製の漬物にして味わい深く食べてしまうような至福感があるのは、赤瀬川さんの人徳からにじみ出るものだろうか。
さてとこの続きは、帰りの途中街中カフェに入って、本日夕食前に読み終えてしまうことにしようと思う。それからこの次に読もうとしているのは町田のブックカフで「新解さんの謎」といっしょに購入した鷲田清一さんの「京都の平熱 哲学者の都市案内」と、国語辞書つながりで導かれたもとまほろ市民の三浦しをん「船を編む」がいいかな、春の読書。
厚木の奥座敷、七沢温泉の元湯玉川館へ日帰り入浴に通って、そのたびに集めていた「しるし帳」が、このたびめでたく十回目を数えて満願成就となった。それであらためて初回スタンプ日をみると平成13年11月26日とある。なんと14年5か月かかってのことで、途中の押し忘れがあるにしてもよくもまあ途中でなくすこともなく通い続けたものだと我ながら感心してしまった。あのころまだ四十代前半で若かったなあ、と感傷的になる反面、大してそのころと進歩していないじゃないか、とも思ったりしている自分がいた。
市街地をぬけて新玉川沿いの道を走り、七沢温泉への道の手前を小野の分岐点で右手に入る。しばらくするとゆるくカーブする計画道路にそって新興住宅地と企業研究所、学校などが計画的に配置された区画、森の里という地域にでる。かつては青山学院大学のキャンパスもあったのだけれど、まあ、青山という名前にはふさわしい環境ではあったのに、あまりにも郊外すぎて学生たちに人気がなかったからだろう、たちまち撤退してしまって、その名残が森の里青山の地名に残っている。それにしてもキャンパス内の当時からの建物は、ほかの企業研究所か、となりにある松蔭大学所有に変わってしまっているのだろうか。
こぎれいな住宅地は一見平穏無事な雰囲気ではあるけれど、いかんせん計画された人工空間の哀しさ、身近な買い物や飲食には不便そうで、あと二十年くらいもすれば住民の高齢化とともにさまざまな暮らし上の課題が押し寄せてきそうな予感がする。
住宅街の中ほどから隧道をぬけると七沢森林公園へとつながっていく。森林公園の標高160メートルの展望広場からはまっすぐ先に大山の頂が望めた。尾根から沢沿いにくだってもとの駐車場に戻り、車をすこし走らすとちょうどお昼前に玉川館へ到着した。ここはいつ来てもすっきりした佇まいで、清々しい印象なのがいい。さっそく玄関の麻の藍染暖簾をくぐって、入浴を申し出る。
建物の奥へと進んださきの浴場の脱衣場には、まだ誰の姿も見えない。どうやら平日ということもあって一番乗りみたい、室内床天上総檜つくりの浴場を独占する贅沢さにちょっと心が弾んだ。中央には木製洗い椅子と桶がきれいに整えられていて、まずは座って湯かけして体をなじませる。漆仕上げの赤味がかった暗黒の浴場の温度はやや温めで、ゆったりするにはちょうどよくてそこにしばらく身を沈めてみる。
ガラス窓の先には、陽光のさきに目に青葉の世界がそのまんま拡がる。陽の光りはすでに高く、この時間はもう浴場内に光線が斜めに差し込んでくることはない。ぼんやりと壁の室内照明が浮かび上がって、まさしく陰翳礼讃の世界に浸り、時の移ろいが止まったかのような錯覚におちいる。浴場のへりに腰かけて体を伸ばして誰もいない湯船に半身を使ったまま、お湯を手ですくっては上身体にかけてさらさら流してみるとアルカリ性温泉の成分で肌が磨かれるかのような、気持ちがなごむ。
さて、お昼の食事は、門構えのさきの離れの民家、竹林をぬけて小さな沢を渡ったさきの“草庵”でいただくことにした。ここは、細身の上品な女性が料理から配膳まですべてひとりで行っているようだ。なにをしてきたひとなのだろう、無駄な話はいっさいないし、庭先も適度に手をかけすぎない自然な感じがなんだかいつきても変わらす好ましい。
合間に読みかけの文庫本、赤瀬川原平さんの二十年前の著作「新解さんの謎」から「紙がみの消息」の何篇かを読み進める。まるで念仏でも唱えるかのような独特な文体、自然と肩の力を抜けていき、みけんのシワがのびていくような心持ちになる。日常のなかでやり過ごしてしまうような、何げない現象に潜むフシギをつぶやきのなかで丁寧に掬い取って、自家製の漬物にして味わい深く食べてしまうような至福感があるのは、赤瀬川さんの人徳からにじみ出るものだろうか。
さてとこの続きは、帰りの途中街中カフェに入って、本日夕食前に読み終えてしまうことにしようと思う。それからこの次に読もうとしているのは町田のブックカフで「新解さんの謎」といっしょに購入した鷲田清一さんの「京都の平熱 哲学者の都市案内」と、国語辞書つながりで導かれたもとまほろ市民の三浦しをん「船を編む」がいいかな、春の読書。