富士山麓の美術館リゾート、クレマチスの丘へ行ってきた。東海道線三島駅北口から、無料シャトルバスに乗って約二十分余り、東に箱根連山、南にひろがる市街地を見下ろす風光明媚な丘の中腹におりたつ。したたるような若葉が目に飛び込んできて、澄みきったひかりがまぶしくみちていて、まるで別天地のようだ。
欅の木陰のさき、IZU PHOTO MUSEUM の入り口がある。そこでの五人の女性作家による写真および映像の企画展をみてまわる。「永遠に、そしてふたたび」、意味深なタイトルだ。英語表記だと「Forever(and again)」とあって、時の流れと記憶がうみだすところの生き続ける物語が共通のテーマとなっていることをあらわしているのだろうと想像する。
わたしの印象に残ったのは、川内倫子(1972生まれ)と長島有里枝(1973年生まれ)の写真。前者が自身の祖父母を中心とした滋賀の家族とその風景を十三年間にわたって撮り続けたもので、後者は長島がスイスに滞在していたとき、祖母のとった花の写真からインスパイアを受けて、当時の生活の周囲にあった花々を写し取ったものである。いずれも血のつながりのある家族の積み重ねられた記憶を、庭に咲く花や畑の野菜、日常のさりげない人物像と室内外の風景から物語ろうと試みている。
ちなみに川内倫子の作品集タイトル「Cui Cui」は、フランス語で小鳥のさえずりをあらわすそうで、さりげない日常のなかに流れる永遠であろうとする記憶のかけら、の隠喩なのかもしれない。
見終わって建物をでると、すこし離れたところからウグイスの鳴き声が聴こえてくる。丘に流れる空気がさわやかだ。真っ青な空を見上げると、ぽっかりと浮かんだ雲と眉のようなかたちの白い月影がかすかに見える。
(死して記憶の中に)永遠に、そしてふたたび(物語のなかに生きる)。これらの自然と風景のなかに自分が同化していくような気がして、友人の「ほら、このスマホ画像の三日月ってわたしたちなら、わかるね」っていう呼びかけに、はっと我に還ったのだった。そして「空をななめに横切る送電線、まるで五線譜みたいだね」って。これから、どんな音符を書き記そうか。
ロータリーのむこう、木木に囲まれたガラス張りのレストラン「テッセン」で日本料理の昼食をとる。ひとやすみしてから、案内所横のスロープをのぼったら、一気に前方の視野がひらけた。なだらかにひろがる芝生広場や石畳のなかに赤味の巨大な石像やブロンズ彫刻が点在し、そのさきには、シャープにスカイラインを切り取って、コンクリート打ち放しのヴァンジ彫刻庭園美術館がつづく。
この丘の高低段差を活かした敷地全体のランドスケープデザインは、じつにうまくできていて遠方の山並みもとりこみ、実際の広さ以上の視覚的効果をあたえてくれる。
クレマチスガーデンは、その広場周囲と美術館をおりた先にもひろがる。前回におとずれた早春の時は、まだ花には出会えなくて残念な思いだったが、ちょうど今の季節は見頃の紫、白、赤と花の姿形もさまざまでほんとうに華やかだ。すこし盛り上がった丘の上のクスノキの木陰のベンチにたたずむと、さえぎられることのない箱根連山の風景、天空、自然にこころが高揚してくる。すこしむこうには、空の色を映す睡蓮の池とローズガーデン。
満たされた気持ちのなかで、いまを咲き誇る花々を愛でることのこのうえない贅沢さ!これから夕暮れまで、まだ時間はあたえられている。三島方面にもどって、せせらぎと湧水の記憶をたどりながらゆっくりとまちなかめぐりの散策をしよう。ひそかに、そっと(やさしく)、どんな新しい物語を生きようか。
クレマチスの丘、ヴァンジ彫刻庭園美術館入口と石畳広場(2018.05.20)
あとで気がついたら、そのクレマチスの花々を撮ることさえすっかり忘れていた。でも、その情景と空気感覚は、しっかり脳裏の記憶として深まり、焼きついている。そして花を愛でるように(顔をよせ)、小鳥の羽ばたきのような(気配に耳をすまし)、小石がころがる川のせせらぎのような(感触をたたえた泉をたどり)、ささやかにはじまる交歓のひとときを忘れない。
欅の木陰のさき、IZU PHOTO MUSEUM の入り口がある。そこでの五人の女性作家による写真および映像の企画展をみてまわる。「永遠に、そしてふたたび」、意味深なタイトルだ。英語表記だと「Forever(and again)」とあって、時の流れと記憶がうみだすところの生き続ける物語が共通のテーマとなっていることをあらわしているのだろうと想像する。
わたしの印象に残ったのは、川内倫子(1972生まれ)と長島有里枝(1973年生まれ)の写真。前者が自身の祖父母を中心とした滋賀の家族とその風景を十三年間にわたって撮り続けたもので、後者は長島がスイスに滞在していたとき、祖母のとった花の写真からインスパイアを受けて、当時の生活の周囲にあった花々を写し取ったものである。いずれも血のつながりのある家族の積み重ねられた記憶を、庭に咲く花や畑の野菜、日常のさりげない人物像と室内外の風景から物語ろうと試みている。
ちなみに川内倫子の作品集タイトル「Cui Cui」は、フランス語で小鳥のさえずりをあらわすそうで、さりげない日常のなかに流れる永遠であろうとする記憶のかけら、の隠喩なのかもしれない。
見終わって建物をでると、すこし離れたところからウグイスの鳴き声が聴こえてくる。丘に流れる空気がさわやかだ。真っ青な空を見上げると、ぽっかりと浮かんだ雲と眉のようなかたちの白い月影がかすかに見える。
(死して記憶の中に)永遠に、そしてふたたび(物語のなかに生きる)。これらの自然と風景のなかに自分が同化していくような気がして、友人の「ほら、このスマホ画像の三日月ってわたしたちなら、わかるね」っていう呼びかけに、はっと我に還ったのだった。そして「空をななめに横切る送電線、まるで五線譜みたいだね」って。これから、どんな音符を書き記そうか。
ロータリーのむこう、木木に囲まれたガラス張りのレストラン「テッセン」で日本料理の昼食をとる。ひとやすみしてから、案内所横のスロープをのぼったら、一気に前方の視野がひらけた。なだらかにひろがる芝生広場や石畳のなかに赤味の巨大な石像やブロンズ彫刻が点在し、そのさきには、シャープにスカイラインを切り取って、コンクリート打ち放しのヴァンジ彫刻庭園美術館がつづく。
この丘の高低段差を活かした敷地全体のランドスケープデザインは、じつにうまくできていて遠方の山並みもとりこみ、実際の広さ以上の視覚的効果をあたえてくれる。
クレマチスガーデンは、その広場周囲と美術館をおりた先にもひろがる。前回におとずれた早春の時は、まだ花には出会えなくて残念な思いだったが、ちょうど今の季節は見頃の紫、白、赤と花の姿形もさまざまでほんとうに華やかだ。すこし盛り上がった丘の上のクスノキの木陰のベンチにたたずむと、さえぎられることのない箱根連山の風景、天空、自然にこころが高揚してくる。すこしむこうには、空の色を映す睡蓮の池とローズガーデン。
満たされた気持ちのなかで、いまを咲き誇る花々を愛でることのこのうえない贅沢さ!これから夕暮れまで、まだ時間はあたえられている。三島方面にもどって、せせらぎと湧水の記憶をたどりながらゆっくりとまちなかめぐりの散策をしよう。ひそかに、そっと(やさしく)、どんな新しい物語を生きようか。
クレマチスの丘、ヴァンジ彫刻庭園美術館入口と石畳広場(2018.05.20)
あとで気がついたら、そのクレマチスの花々を撮ることさえすっかり忘れていた。でも、その情景と空気感覚は、しっかり脳裏の記憶として深まり、焼きついている。そして花を愛でるように(顔をよせ)、小鳥の羽ばたきのような(気配に耳をすまし)、小石がころがる川のせせらぎのような(感触をたたえた泉をたどり)、ささやかにはじまる交歓のひとときを忘れない。