ようやく「椿の庭」を観ることができた。余白のある文字と印象的な写真でレアウトされた二つ折りフライヤーを手にして、いまどき控えめで清楚な印象の美しいデザインに惹かれた。これはいい映画だから観に行こうと思わせるものであって、新百合ヶ丘での上映開始が待ち遠しかった。
物語の舞台は、相模湾を望める三浦半島葉山の高台、緑に囲まれた古い家屋だと書かれている。おそらく、しおさい公園や県立近代美術館のある一色地区か、葉山公園と御用邸のある下山口あたりなのだろう。このロケーションには、まぶしい陽光に満たされたあこがれのようなものを感じていた。それだけでも見てみようとする動機としては十分過ぎる。
上田義彦監督による初演出の長編作品、主演は絹子役の富司純子、その亡くなった長女の娘渚役が韓国出身の若手女優シム・ウンギョン。渚の叔母で絹子の次女役が鈴木京香なのは、見始めてから気がついた。
上田監督はもともと写真家ということで、自然光を活かしたフイルムによる何気ない動植物を写し取った構図、自然なカット割り、人物表情のとらえ方に独特の印影が感じられる。日本の伝統である“陰影礼讃”の暮らしを描くことが基本にあって、脚本そして撮影、編集まで監督によるものだという。実際の四季の移り変わりを写し取った長期にわたるロケなどは、効率を旨とする最近の映画製作手法とは一線を画すものだ。
映像全体を通しての余白にゆとりの時間が流れて、誇張や押しつけがましさが全くなく、心地よさのなかに生きてゆく歓びと哀しさがにじみ出ているようだ。
だが、もっとも意外性で驚かされたのは、始まって半ば過ぎのこと。絹子がレコード盤に針を落として、かすかなノイズ音のあとに流れてきた懐かしさあふれるメロディーを聞いたときである。その歌声は西海岸ワシントン大学出身のモダンフォークグループ、ブラザースフォアのもの。「トライ・トウ・リメンバー」は1965年のヒット曲だ。若い時代を回想して思い出を甦らす内容の静かでしみじみとした美しいメロディーとハーモニー。
絹子はこの曲を聴きながら、亡くなった夫との暮らしの日々を回想しているのかもしれない。すこし唐突ではという印象がしたものの、違和感はすぐに消えて、まるで予定調和のように映像風景と馴染んでいったのは、本当に不思議なくらいだった。
上田監督へのインタヴューによると、ブラザースフォアはもともと大好きなグループで「音も音楽も、自分の生理だと思っています。素直に感じるものだけで構成されています」と述べている。監督は1957年の兵庫生まれだから、赤い鳥など関西フォーク運動が隆盛を極める中で育ち、その環境の中でアメリカのモダンフォークにもいち早く親しんでいたのかもしれない。「トライ・トウ・リメンバー」は、すこし時代は後になるが、初期のサイモン&ガーファンクルによる「四月になれば彼女は」にも通じるような曲想で、深くこころの底に沈殿して残る。
それにしても葉山の風光に日本家屋、レコードプレイヤー、ブラザースフォアとは!
タイトルにある「椿の庭」、最初にシーンで木漏れ日の庭の井戸のなかにいた金魚が亡くなって、その亡骸が椿の花に包まれ、土の中に埋められるシーンがある。まるで終盤の絹子の死と古い家屋の解体を暗示しているかのようだ。したたる緑のなかで椿の花はあまり映ることが少ない印象だが、このあたりの植生から背後にはやぶ椿の林を背負っているのだろう。よく手入れと清掃が行き届き、ハイカラで裕福な暮らしぶりがうかがえる。
不思議と食べ物の出てくるシーン、桃やスイカを割って食卓で食べるシーンが印象に残る。これに絹子のお茶の教授風景が加わったら、なおよかったのに! 室内調度品と折々の着物の美しさも特筆もの。
もうひとつの主人公ともいえる、絹子と孫の渚(シム・ウンギョン)が暮らす日本家屋は、庭の視界のさきに相模湾の波間に反射する陽光が望める豊かな環境だ。初夏の雨に濡れたみどりの木々と藤棚、紫陽花の七変化、夏の入道雲が眩しく、夕暮れの陽光がオレンジ色に輝くさまが美しい。
玄関までは車が入らないという立地、葉山堀内地区の中腹に残された宮城道雄の別荘、“雨の念仏荘”を連想した。また、久しぶりに鎌倉山の古民家蕎麦屋“擂亭”の広大な庭を思い出し、そこからの相模湾を眺めてみたくなった。
夕刻のガクアジサイはまるで線香花火のよう。(2021.5.19 病院通り)
色合いは和菓子の紫陽花そのもの。(撮影:2021.5.18 横浜水道みち)