先月31日をもって、1926(大正15)年に誕生した遊園地「としまえん」が、94年間にわたる営業を終えて閉園した。遊園地のおわりは、それを惜しむ人々の声があいついだこともあって、巷の大きな話題として流された。
それに先立つ8月30日、朝日新聞紙面をひらくと西武グループによる両面開き広告が掲載されていて、そこには「あしたのジョー」最後のシーン、リングコーナーで燃え尽きて真っ白になってしまった矢吹ジョーの姿と、「Thanks」の文字だけが一言と右下隅に「としまえん」ロゴが添そえられていた。
このいささか異色の広告についてすこし深読みすれば、「としまえん」所在地は東京都練馬区向山であり、「あしたのジョー」の作画家ちばてつやが練馬区在住だったこともあるからなのだろうし、何よりも1983年に東京ディズニーランドが開園する前、「としまえん」が23区内におけるリージョナルな遊園地らしく輝いていた1970から80年代に青春を過ごした少年少女たちにとって、「あしたのジョー」に熱狂した現象は、「としまえん」の思い出ともリンクして懐かしい時代の記憶であろうからだろう。
初めて「としまえん」を訪れたのは、大学受験前の夏休み講習会のあいまだったように記憶している。地方出身高校生にとって東京の遊園地といったら、後楽園か豊島園くらいしか知らなくて、お世話になっていた叔母の家が足立区だったこともあって、「としまえん」は夢の聖地のようなものだった。
ある上京した夏休み、池袋までバスで出て西武線に乗り、練馬駅から枝分かれした一つ目の終点が「豊島園」駅だった。そこから一目散に入門ゲートまで小走りしていささか興奮しながら入園すると、広大な緑の森のなかの別世界、やや大げさに言えばユートピアが広がるといった印象だった。
昼間は、世界初という触れ込みの「流れるプール」や「波のプール」をはじめとする「七つのプール」でさんざん戯れ、夕暮れになると野外ステージの前ですこしでも近くを狙って座席取りをして待ち、お目当てのアイドルに登場に胸を躍らせて、舞台が終わったあとの高揚感最後の締めは、ステージ後方あたりからの打ち上げ花火だった。
恥ずかしながら、当時のアイドルだったシンシアこと南沙織のはじめてのステージに接したのはここの地だったなあ。フリーステージとはいえ、生演奏で司会者がついて、舞台上でスポットライトを浴びて日焼け姿の輝いた彼女は、ウブな田舎育ちの少年にとって、まさしくまぶしい“ミューズ”そのものだった。テレビ画面でしか見ることのなかったアイコン(偶像)が、実物として目の前に現れ動いて歌うことの恍惚感といったら。
おそらく1976年8月だったと思われるこのステージで印象に残っていることがある。夏の情景を歌ったヒット曲や当時の洋楽ポップスを歌った中盤、聞きなれないイントロが流れてきたと思ったら、「哀しい妖精」を歌いだしたことだ。すでにドラマ主題歌「恋は盲目」で有名になっていたジャニス・イアンから提供されたこの楽曲は、ご本人のコメントによると発売前の初披露にちかいものだったように記憶している。ジャニス・イアンは「17歳のころ」でグラミー賞を受賞していて、アイドル歌手とこの組み合わせにはちょっとびっくりした。
思い起こせば、彼女は沖縄出身のバイリンガルでもあるし、デビュー直後から「カリフォルニアの青い空」「風に吹かれて」「グッドバイ・ガール」などの洋楽ポップスを歌って、1975年にはロスアンゼルス録音のLPアルバム「シンシア・ストリート」も出していた。アイドル歌手からいよいよ本格的なポップスシンガーの道を歩んでいく可能性を感じたのもつかの間、この二年後には引退宣言をしてしまったのは本当に残念なことだった。
最後のコンサートは調布グリーンホール、もちろん駆けつけて二階席でステージに目を凝らして聴きいった。中野サンプラザでのコンサートや赤坂プリンスホテルでのファン交流会にも参加させてもらったから、とにかく若かったんだなあ。
引退のその一年後には、写真家篠山紀信と港区芝の高級レストラン「クレッセント」で結婚式を挙げている。それをある番組で同業の浅井慎平さんが悔しがって?「紀信、ずるいよ」のコメントを出していたおぼろげな記憶があるが、まったく同感!
「としまえん」追想からアイドルの思い出になってしまったが、この夏の遊園地プール体験とフリーコンサートの組み合わせは本当に70年代から80年代の東京夏の風物詩だったと思う。このコンサートを口実にしてどれだけ多くの若者たちが平和な青春の思い出のページを付け加えたことだろうか!
ところで先日のFM放送を聴いていたら、竹内まりあが夫君山下達郎と「としまえん」閉園のことを話題にしていた。そのなかでかつて夏のフリーステージにセンチメンタル・シティ・ロマンスの演奏で出演したことがあるよと話していたのを耳にして、これはぜひ聴いてみたかったものだなあと感じた。たぶん、コンサートホールで聴くよりもずっと開放的な空気感のなかで生の素顔が見れるのだから。
かたや山下達郎は、「さよなら夏の日」が自身の高校時代にとしまえんでデートしたときの思い出を脚色して創作したものと打ち明けていて、ちょっとびっくり。また初期の曲である「メリー・ゴーランド」は、「としまえん」が舞台ではない、とはっきり断言していたのもおもしろかった。もっと都心型の実在ではない空想遊園地がモデルなのかもしれない。ちょっと乾いて突っ張った内容の曲調だから、当時のとしまえんの牧歌的な雰囲気は似合わなかったのかもしれない。
としまえんにオマージュを捧げて「さよなら夏の日」の歌詞(作詞:山下達郎)を引用しておこう。
波立つ夕方のプールしぶきをあげて
一番素敵な季節がもうすぐ終わる
さよなら夏の日 いつまでも忘れないよ
雨に濡れながら僕らは大人になって行くよ
さよなら夏の日 僕らは大人になって行くよ
「ARTSAN」山下達郎(1991年)より
こども国線沿線、梨畑のうえの電線の間、満ちた月(上段)
住宅地に残された、たんぼ風景と夕暮れ(下段)
撮影:2020/8/30 横浜市青葉区奈良町