翌朝の六時に目覚めると、東からのひかりが窓の外の山並みにも射し始めている。曇りの予想が青空も覗いてくれていてまずまずの天候、美しくも雄大な光景で、今日は良いことがありそうだ。
まずは、目覚めに大浴場で入浴してから、朝食会場へと向かう。バイキング形式の会場は入り口から順番待ちの列ができていた。三階屋上庭園と外が望める窓脇に並んで席をとる。目の前には、敷き詰められた小石の庭と紅葉した植栽の木々、その先にはうすっらと紅葉が始まった湯村山のたおやかな山並みが広がる。
食事をいただいた後、湯村温泉巡りに繰り出す。一階ロビーからそのままコンベンションホール前をぬけてゆくと、併設されたコンビニの横に出て温泉通りへとつながっている。早朝通勤のためなのか、車がスピードをあげて走り去ってゆく。
温泉街通りを行けば、そこはかとなくさびれた感は否めない。湯川橋を過ぎると、廃業になったらしいホテル建物は閉鎖されたままか、老人ホームやデイサービス施設に転用されていた。太宰治が新婚時代に逗留したという旅館明治も古びて時代がかった外観を晒している。
弘法大師伝説が残る、杖温泉弘法湯の道路にかかる渡り廊下をくくり抜けると塩澤寺だ。石段階段の参道のさきにそびえる立派な山門を見上げる。ここの脇にあるのは舞鶴の松、石組に囲まれて張り出した枝ぶりの、これまたとても立派なこと。鶴が翼を大きく広げた様子にたがわず、左右の枝ぶりは三十メートルほどもあり、樹勢いはなお盛んな様子だ。この境内本堂前からは前方はるか南アルプスのむこうに、富士山頂が望める天下一品の絶景だ。お寺の脇には、湯村温泉発祥の湯跡があるらしい。
ここから折り返して擬宝珠つきの庚甲橋を渡り、一本裏通りをぬけて引き返す。温泉通りの入り口の向かいは、皇室御用達で囲碁将棋のタイトル戦にも利用される常盤ホテルがある。玄関入り口前では、ドアマンがうやうやしく迎え入れてくれる。中に入れば大きく広がるロビー、そこから望めるよく手入れされた美しい庭園が望める。外には数棟の離れが点在していて、ケヤキや松の大木、皇室お手植えの栗の木、ツツジの植え込みを縫うように流れが注ぎ、ロビーソファに座ると、目の前の池には優雅に錦鯉が泳ぐ。外界の喧騒からはまったく伺えない別世界だ。
十時に昇仙峡めぐり観光タクシーの予約を入れていた。宿泊先に戻ってロビーで待っていると年配の運転手が迎えにきてくれた。黒のプリウス、初めての乗車でちょっとワクワクする。当初、シーズン運行のルーフトップバスを予約していたのに、前日の思わぬトラブルで突然の中止となってしまって、途方に暮れていた。たまたま手にしたチラシで、観光タクシーの四時間コースが甲府市の助成付きと知り、急きょ当日申し込んだら、首尾よく予約がとれて手配がつき、ほんとうにラッキーだった。
昇仙峡まで一時間あまりの道のりである。平日だったので、渓谷にそった遊歩道は上り一方通行の通り抜けが可能となっていて、車窓から紅葉と奇観絶景を楽しむことができるという。十年ほど前は観光馬車が運航していた遊歩道を、その日はプリウス後部座席に乗り、速度を落としてもらって巡っていると気持ちは半分ロイヤル気分で、覗き込むハイカーたちにも手を振りたくなってくる。
途中の仙我滝では、運転手さんが車を降りて待っていてくれた。昼の日が射して落差三十メートルの滝壺には、うっすら虹のアーチがかかっている。
渓谷遊歩道の階段を上がりきったら、こんどは昇仙峡ロープウェイで山頂展望台へと昇る。ゴンドラの標高が上がるにつれて雄大さが増し、周囲を取り巻く山肌の紅葉のグラデーションが見事である。南アルプスの向こうには、富士山の頂きが雲の上に浮かんで見えて雄大さはこの上なし。甲府市街全体と盆地も俯瞰して天下一望のままだ。
昇仙峡ロープウェイ展望台から南アルプス、富士山頂を望む(2022.11.7 撮影)
ロープウェイを下ってから、さらに上流の荒川ダムまで走ってもらう。ダム湖である能泉湖畔の民芸茶屋大黒屋で昼食にして、運転手さんを囲んで御岳そばと“おざく”をいただく。聞きなれないメニューの“おざく”とは、ゴマ汁だれにつけていただく“ほうとう“のことで、冷たくてシンプルかつ、しこしことのどごしがよい。付け合わせのお漬物と桑の葉入り豆腐は、自家製のものらしく美味しかった。
いよいよコースも終盤で、和田峠からは長い長いくねった下り路、千代田湖のわきをぬけて武田神社へすすむ。ここはかつて武田家三代居城だったところで、周囲には当時の濠や土塁が残る。風林火山ののぼりがはためく武田神社正面からは、甲府駅方向まで一直線の桜並木参道、武田通りがゆるやかに下りながら伸びている。その左右に広がる住宅地や山梨大学敷地は、かつての武家屋敷が立ち並んでいたところで、当時の町割りがそのままに想像できる。
戦国時代、武田氏によって整えられた甲府最初の城下町起点は、ここから始まっていたのだった。