大暑が過ぎて夏の盛りといいつつも、気がつけば七月もあと五日を残すのみ。なんともやり切れない気分を抱えながら?の東京2020+1オリンピアードゲームが、21日のソフトボール予選(福島)から始まった。
震災復興の大義は薄く消し飛ばされてしまって、もとからオリンピック開催ありきの空論だったことが露呈した模様である。TV画面に映し出されるのは、平和と個人の尊厳を希求するスポーツ祭典というよりも、オリンピアードを記念する総体としてとしての“ゲーム”映像なのかもしれない。
先週末23日、いったいオリンピック開会式ってなんだろうと思いながら、テレビ中継の画面を見つめていた。途中の各国行進は、午後八時の競技場大屋根からの花火打ち上げ直後から始まり、聖火台への点灯に至るまでを見たが、それは深夜日付けが変わろうとする時にまで及んでいた。
行進時間が二時間に及んでしまったのは、ソーシャルディスタンスに配慮したうえに、入場後のJOCとIOC両会長式辞がひたすら長かったためだ。その演説内容が翌日の報道では殆ど取り上げられていなかったのは皮肉である。
一般観客不在のなか場内で選手行進をむかえるのは、IOC関係者と各国要人、オリンピック組織委員会関係者、報道関係者に限られていたから、どんなものだろうと思っていたら、テレビ中継のアングルもあるか、客席配色の妙もあったのか、空席はさほど目立たない様子。やはり切り取られた画面構成の中では、見えていないもの隠されて伝わってこないことが多いのだろうか。開会式中継映像からみえてくるものは何か。
行進が始まる前のアトラクションが見もののはずで、フィールド全体が白い大舞台兼スクリーンとなり、MEISIAによる日本国歌独唱のあと、大屋根からのプロジェクター映像と次々に繰り出される集団演技、ピクトグラムや伝統芸能をモチーフにしたパフォーマンス、ダンス、コントなどでつながれる。主な出演者は、真矢ミキ、なだぎ武、森山未來など、いったいどのような視点からの演出と人選だったのかというと「ダイバーシティ&インクルージョン」。要するに多様性と包括・抱合という標語に行きつくのだそうだ。インクルージョンを「調和」(英語だとハーモニーか)とした報道もあるが、正確ではないだろう。
新型ウイルスCVID-19感染症が収束しない状況下での開催は、これに寛容と不安への忍耐力を加えたい。
舞台の場面転換ではあらかじめ用意されたTV中継用の映像が流され、劇団ひとりと荒川静香のふたりが演じるテレビスタジオブース内から、現代東京の都市シーンがつぎつぎとコマ送りで映し出される。オーケストラ演奏シーンの収録舞台はサントリーホールだったが、本当は東京文化会館のほうがふさわしいだろうに。そうかと思うと海外四人の著名シンガー(日本では一般的に知る人は少ないだろう)がジョン.レノン&オノ・ヨーコ共作(とされる)「イマジン」を歌いつないでいく。悪くはないのだが、前後のつながりからすると、どうして東京大会で流されるかというやや違和感がする。
アトラクションクライマックスは、市川海老蔵演じる歌舞伎「暫」見せ場と上原ひとみのジャズピアノのコラボレーション。この二人なら国際的な知名度からして、欧米を意識したプログラムなのだろう。伝統と現代の融合を意識した組み合わせだが、いささかこれも唐突な感じが否めない。
そうしてギリシャから始まる各国行進が、人気ゲーム音楽の流れるなかで二時間近くも行われ、選手宣誓、JOCとIOC会長の式辞、天皇の開会宣言、いよいよの聖火入場とつながっていく。初めて知ったことだが、聖火というのは日本語の意訳であって、そこに崇高な精神を込めようとした意図が伺われる。オリンピック憲章では、単なる“オリンピックの火(ファイアー)”とあるから、こちらのほうが余分がそぎ落とされて潔い。
白いひだが数段にせりあがった聖火台は、富士山容をかたどったものと説明されていた。やはり日本人はそこに聖なる象徴を見出したいのだろうか。その山頂のうえにあるホワイトの球体がゆっくりと機械仕掛けの百合の花のように開いて、中心から点火台が姿を現すさまは、まるで受粉行為のようでもある。そうすると最終聖火ランナーに選ばれたテニスの大坂なおみは、さながらチョウかミツバチなのかもしれない。(後日談:大坂選手はその後の予選試合三回戦で敗退し、ミツ=栄誉を勝利で飾ることができなかった。)
そうこうしていると上空には、2000機ちかいドローンが描いたという光る大きな地球が浮かび上がって、ふたたび大屋根からの打ち上げ花火が派手に夜空を飾ると、ややあっさり、唐突という感じで予定より時間延長された2020開会式中継は終わってしまう。実際の国立競技場内は、無観客だったぶん、ことが済んでしまえばその不在が顕在化してしまい、余韻を残すことなく選手たちもそそくさとバスに乗り、有明の選手村まで帰路につかざるを得なかったのではないだろうか。
ともあれ、首都圏を中心とした二週間あまり、オリンピックの夏が始まった。パンデミック下での映像と配信によって記憶される若者世代主体のスポーツ祭典が、観客不在のなかで歴史に刻まれようとしている。
追記:この開会式経費は当初の91億円から、簡素化されたとはいえ延期にともなう増加費用もあり165億円に上ったと報道されている。そしてその制作は、組織委員会からの委託で電通が契約窓口となり、請け負ったという。