年末年始は仕事上のローテーションで、プライベートな年始年末というのは12月30日と明けて1月2日のことになる。
師走の30日は冬の快晴の日だったので、前々から大山のふもと伊勢原市子易へ買い出しに出かけようと思っていて、車にしようか電車にしようか当日まで迷っていた。それで朝9時過ぎに地元農協支所に問い合わせたとことろ、お目あての品は駅売店周辺ではたぶん売り切れで、子易の物産所は午前中までの営業と伺う。それではとすぐに車で出かけることに決めて10時に出発、行幸道路をビートルズ「PAST MASTERS」を聴きながら座間、厚木と進み、246号経由で大山道を上って現地に到着したのは11時くらいだった。お目当ての品「おおやま菜漬」は、このあたりの山麓で江戸時代から「子易菜」と呼ばれて栽培されてきた地野菜のひとつだそうで、寒冷時期に収穫されたものを塩のみで漬けたシンプルな味わい、ピリッとした辛みが食欲をそそる。いわゆる“地産地消”のこの時期になると食べたくなるもののひとつ。
JA大山支所の物産所はこのあたりの食品と日用品売り場を兼ねていて、なつかしい田舎の雰囲気を遺している。まわりは両側に大山の山並みがせまり、レジのおばちゃんも地元の人らしい素朴さ。店内で首尾よく予約取り置きしてくれた「おおやま菜漬」を七袋と正月用の地元清酒、よもぎ餅も買い求めてひとまずはあっさりと目的を達することができた。
真冬とはいえ、快晴で時間はまだあるし、このまま帰るのがもったない気がして帰路に前から気になっていた戦国時代の武将太田道灌の墓がある「洞昌院」によってみることにした。子易の物産所からは車で10分ほど、大山道が東名高速道に交差する手前の上粕屋といういまは住宅と畑が混在する地に、その遺跡は木立に囲まれてあった。
太田道灌といったら歴史の教科書で江戸城を築城した人物として教えられたが、こんなところで讒言により最期を遂げていたなんで知らなかった。都内目白あたり山吹の里の逸話もあって、てっきり家康かなんかの家来で江戸の人だと思い込んでいたのだった。いまから五百年ちかくまえの人物の墓標の前でしばし、佇む。この年末に来てすこし、戦国時代のひとりの武将の生き様が身近に感じられるようになったかな。
お寺(曹洞宗)の境内にはりっばな枝垂れ桜やロウバイなどが植えられていて、その花の季節にはまた訪れてみたいと思った。やはり、机上の知識だけでなく現地探訪は大事だなあ、と。
さて、その帰り道、来た道を戻り小田急相模原で昼食と散髪、さらに途中で洗車と障子紙を購入、家に戻って前日に家人に命じられていた正月支度の和室障子張り作業をひとりで粛々?とやり終えたら、もう夕方5時だ。ひととおり担当分?の新年準備は、まあできたことになるかな。
こんなふうにして2013年の年末は暮れていくのだが、翌31日になってまさにこの時間に起きていたある“出来事”を知ることになってびっくりするのだった。
師走の30日は冬の快晴の日だったので、前々から大山のふもと伊勢原市子易へ買い出しに出かけようと思っていて、車にしようか電車にしようか当日まで迷っていた。それで朝9時過ぎに地元農協支所に問い合わせたとことろ、お目あての品は駅売店周辺ではたぶん売り切れで、子易の物産所は午前中までの営業と伺う。それではとすぐに車で出かけることに決めて10時に出発、行幸道路をビートルズ「PAST MASTERS」を聴きながら座間、厚木と進み、246号経由で大山道を上って現地に到着したのは11時くらいだった。お目当ての品「おおやま菜漬」は、このあたりの山麓で江戸時代から「子易菜」と呼ばれて栽培されてきた地野菜のひとつだそうで、寒冷時期に収穫されたものを塩のみで漬けたシンプルな味わい、ピリッとした辛みが食欲をそそる。いわゆる“地産地消”のこの時期になると食べたくなるもののひとつ。
JA大山支所の物産所はこのあたりの食品と日用品売り場を兼ねていて、なつかしい田舎の雰囲気を遺している。まわりは両側に大山の山並みがせまり、レジのおばちゃんも地元の人らしい素朴さ。店内で首尾よく予約取り置きしてくれた「おおやま菜漬」を七袋と正月用の地元清酒、よもぎ餅も買い求めてひとまずはあっさりと目的を達することができた。
真冬とはいえ、快晴で時間はまだあるし、このまま帰るのがもったない気がして帰路に前から気になっていた戦国時代の武将太田道灌の墓がある「洞昌院」によってみることにした。子易の物産所からは車で10分ほど、大山道が東名高速道に交差する手前の上粕屋といういまは住宅と畑が混在する地に、その遺跡は木立に囲まれてあった。
太田道灌といったら歴史の教科書で江戸城を築城した人物として教えられたが、こんなところで讒言により最期を遂げていたなんで知らなかった。都内目白あたり山吹の里の逸話もあって、てっきり家康かなんかの家来で江戸の人だと思い込んでいたのだった。いまから五百年ちかくまえの人物の墓標の前でしばし、佇む。この年末に来てすこし、戦国時代のひとりの武将の生き様が身近に感じられるようになったかな。
お寺(曹洞宗)の境内にはりっばな枝垂れ桜やロウバイなどが植えられていて、その花の季節にはまた訪れてみたいと思った。やはり、机上の知識だけでなく現地探訪は大事だなあ、と。
さて、その帰り道、来た道を戻り小田急相模原で昼食と散髪、さらに途中で洗車と障子紙を購入、家に戻って前日に家人に命じられていた正月支度の和室障子張り作業をひとりで粛々?とやり終えたら、もう夕方5時だ。ひととおり担当分?の新年準備は、まあできたことになるかな。
こんなふうにして2013年の年末は暮れていくのだが、翌31日になってまさにこの時間に起きていたある“出来事”を知ることになってびっくりするのだった。
アイロンで貼るタイプのものでしたが
旦那に手伝うように言われたので
障子の端っこをもっていました
(持ってるだけでしたが・・・)
お一人で商事が貼れるなんてすばらしいですね!