立秋のあとに残暑が続く。首都圏で35度以上の猛暑を記録した日は14日に上り、観測史上最多を更新したそうだ。真夏日はもう、ふつうのことで驚くことがない。その一方で集中豪雨による水害も多発していて、地上温暖化はとどまることがなく、いったいどこまで進んでいくのだろう。
午前中に母親の通院付き添いで皮膚科に付き添ったあとに、午後から国立映画アーカイヴ相模原分館へ「五辯の椿」(1963年、松竹)を観に行ってきた。年に一度の文化庁優秀映画鑑賞推進事業というお堅い名称の上映会で、地元にありながら、普段は立ち入る機会のない映画フイルム保存収蔵庫施設内の試写室が会場となるもの珍しさもあり、建物見物もかねて足を運ぶ。
あまり便利な立地とはいえない場所だが、駐車スペースすら提供されていない。仕方なく正門でUターンしてお隣の市立博物館駐車場に車を置かせてもらい、ようやく会場へ。平日の午後なので、観客のほとんどはリタイア組の高齢者だ。もともと一般公開を想定していないのだろう、飲み物販売機も設置されておらず、まことに素っ気ない雰囲気だ。その反面、試写室は200席程度の立派なもので、スクリーンの位置は目線より高め、一昔前の映画館の仕様になっている。
定刻の午後2時、肉声の注意事項のあとに予告編なしですぐに上映が始まる。三時間近い山本周五郎原作の文芸映画の大作、監督野村芳太郎、音楽は芥川也寸志、琵琶の音が効果的に使われている。
主人公おしのを演じる若き日の岩下志麻は着物姿、情念を深く秘めた役どころで本当に美しい。小顔で意志の強そうな目、口元も秘密を抱えているかのようで、色白の首筋から肩のながれのしなやかさに惑わされる。濡れ場の行燈の灯かりに一瞬のこと、白く光った左の乳房がのぞく。カラーなのにモノクロの雰囲気で、憂いを帯びた表情と怨みを込めた表情の対比が迫力で、男女の濡れ場も人間の性を如実にあらわにして見せる。おしのに殺された男たちの傍らには、一輪の椿の花が残されているのはなぜか、最後のワンシーンで鮮やかに解き明かされる。ここで染まされる花の象徴性は、「椿の庭」(監督:上田義彦、2021年)と同様だろう。
上映が終わって屋外へ出ると、まだ夕暮れには少し早い。通りの向こうは、宇宙航空研究開発機構JAXSAキャンパスである。敷地沿いの柵にずらり、探査機はやぶさ、はやぶさ2、あけぼのなどの画像と説明シートが横に長く掲げられている。ここは、相模原から信州佐久にあるパラボラアンテナを経由して、遠く宇宙空間へとつながっている場所だ。たったいま見たばかりの江戸時代の人間模様を描いた映像の世界から一転、現代の広大な宇宙探査の営みへと切り替える落差に戸惑う。
駐車場へと戻り、車中すこし思案してから、こもれびの森とゴルフクラブの間の道を市営温水プールのある麻溝公園方面へと車を走らせた。
この夏八月に入ってすぐに、義母が逝去してしまい、慌ただしく九州岡垣での葬儀に参列したりで、二週間ぶりとなってしまった夕涼みのスイミング。もう、夏休み中のこどもたちや家族つれは帰ってしまって、静かなプールが戻っている。
泳ぎ終えた帰り、殆ど人の姿のいなくなった公園、周囲の木立のシルエットが浮かびだして、正面入り口前広場にある、ライトアップされた新宮晋の動く彫刻「飾の庭」が、風に吹かれて形の向きを変えながら生き物のように静かに佇んでいる。
駐車場上空を見上げた時にあと少しで満齢となる月が明るく輝いていた。また明日も暑くなるだろう。
清掃工場と温水プールの建物。「風の庭」銘板には、1983年11月とあり、設置されて39年がたつ。
薬師池公園の浄土世界 大賀ハス(2022.7.30 撮影)