この度の小さな旅で舌の記憶に残っているのは、山の上ヒルトップホテルのルームサービスでいただいた朝食。やわらかな朝の光が障子戸を通して注く少し遅めの朝、畳敷きの上のベッドでまどろみ、ようやく目覚めてからシャワーを浴び寛いでいたころ、濡れ髪が乾くかどうかといったタイミングでベルが押される。戸惑い気味にドアが開けられると若いボウイがしずしずとワゴンを運んできてくれる。
和洋二つ、和定食のほうは焼き魚、出汁巻き卵に大根おろしは絶品で、焚き物に数個の小鉢がつき、ちょっとした昼定食のように品数が多くて豪華だ。どれも丁寧に調理されていて、うつわも吟味され品があるもの。いくぶん気だるさと熱っぽさが残った身体には、梅干しとちりめんを載せたおかゆに味噌汁が胃にやさしい。添えられたお新香も程よい塩梅で結構でした。
チェックアウトは正午なので、時間までゆっくりと滞在を愉しむことに。せっかくなので五階まで上ってみて、最上階から螺旋状の階段周りを覗き込んでみる。静かなウエディング案内のスペース、黒く光った大理石手摺と真鍮製の手添棒、深紅の絨毯が地階まで続いていて吸い込まれそうだ。
二階まで降りていくと宴会場が二つあって、ここを会場にして開かれた「山の上ホテル作家展2017」トークショーにきたのは、もう三年前の夏のことだ。それを含めてここに滞在したのは、近くの神田猿楽町に事務所のある青少年団体のパーティーにお招きいただいたときの合わせて三度目になるけれど、いつ来ても落ち着いて穏やかな雰囲気があるのがヴォーリズの空間だと思う。
一階のショップでインク壺を模した容器に入ったパール玉チョコを買い求め、地下二階のコーヒーパーラーへ立ち寄ることにした。地下階とはいえ、高低差のある錦華坂へむかって下っていく位置にあるため、窓が外へ向かって大きく開けていて明るく開放的な室内空間だ。パーラーという名称のとおり、どこかレトロな雰囲気があってウエイトレスの節度ある衣装にも自然と萌えてしまう。
差し出されたメニュー表にしばし迷いながら、ここは思い切ってプリンアラモードを選ぶと、友人のほうはきっぱりと“伝統のババロア“を注文する。どうやら「名建築で昼食を」というBS番組と冊子で見て、最初からこれをいただくことに決めていたようだ。
しばらくして紅茶と一緒に運ばれてきた正当派アラモードには、イチゴ、ブドウ、メロン盛りとともに由緒正しきスワンがホワイト生クリームの上で鎮座していた。その愛らしい姿に顔を見合わせてにっこり。甘味替え目でフルーツはとびきり新鮮である。わざわざ“伝統の”と形容詞がついたババロアは、どんな味だったのだろうか。
ヴォーリズが設計したアールデコの小さなホテルから坂をくだり、錦華公園の横を回ってから、明大通りの坂をのぼったさきにはニコライ堂がある。ヴィザンチン様式の大聖堂青銅色ドームを真近で眺めた後は、御茶ノ水駅から東京駅まで出て横須賀線に乗り換え南下一路、いざ鎌倉行きだ。
揺られること小一時間、駅からタクシ―で由比ガ浜へ到着。荷物を降ろした後、鎌倉文学館へと向かうがあいにくのお休み。その足で長谷寺の本堂まで行き、海に向かって開けた高台から相模湾の情景をあきることなく眺めていると、辺りは次第に冬の夕暮れの気配がしてくる。
初冬の夜はつるべ落とし、暗くなって大気が冷え込んでくる前の夕餉は蕎麦に日本酒、帰路は肌染めて潮騒を子守唄に揺蕩う時間が愛おしい。
明日は若宮大路を歩いて鶴岡八幡宮へ、新装なったモダニズム建築の名品と対面だ。
喫茶“風の杜”から望む、鎌倉文華館鶴岡ミュージアム。天空を鳶が優雅に旋回する。平家池に張り出したテラスを持ち、水面に反転してゆらぐ“白い宝石箱“のごときモダニズム建築は、旧神奈川県立近代美術館(設計:坂倉準三、1951年竣工)。
喫茶「風の杜」は葉山日影茶屋の経営。栗のパフェとプリンをいただく。店内にある鎌倉彫りは、朴木に柿の実や栗、ブドウ蔓、野菜などを彫った漆器で、鶴岡八幡太鼓橋そばの鳥居横に店舗を構える老舗、博古堂製のもの。池側の窓ガラスのそばには、ミモザの大木が水面にむかって枝を伸ばしている。その全体に鮮やかな黄色い花々が咲き誇る早春のころもいいだろう。
暖かくなった来年春の季節にまた来よう。