現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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心配、懸念、不安

2018-02-22 | 思い遥かに
朝鮮半島情勢を南北対談の行く末を心配し、核保有を公言して着々と進める軍事大国のことが懸念となり、ピョンチャンの五輪を政治利用した顛末は不安になること頻りである。対話もしくは対談によるパフォーマンスは、言葉巧みに言論を操るだけである。 . . . 本文を読む

観念、概念

2018-02-22 | 日本語百科
観念、概念と、そのちがいを使い分ける。仏教用語としての観念と、翻訳語としての用語で、哲学では仏語、 notion、独語 Begriff、日常的に concept、Konzeptという、コンセプトは前記フランス語から由来している、と、ウイキペディアに解説する。概念は命題の要素となる項であり、言語的に構成されると名辞となるものである。脳の働きによって、なにがしかの概念形成をしてきている。難しい用語ではある。概念作用を知ると、それを言葉にする過程があると、近代までの言語観を見ることになる。観念をわかりよくとらえれば、概念と比べれば、観念を仏教の瞑想法とする場合があり、想念して得るものとするので、観念の作用には物事の見方があわせられる。観念する、とは、諦念の意味内容が影響する。思念、思想、観想、瞑想と、それぞれの語の使われ方に宗教、哲学、心理がかかわる。 . . . 本文を読む

春近し

2018-02-22 | 木瓜日記
白鳥庭園の、まんさく、うめ、ぼけのはな、と探索して、はや咲き始めている。それを聞いてみれば、北門を入ってすぐのところで咲いていたそうだが、鳥に食べられてしまったようで、いまは、ないと、笑って答えた。そう、それは残念なと、またの機会に訪ねることにした。 . . . 本文を読む

文法、文章法

2018-02-21 | 日本語文章
文と文章と、そのあいだにあって、文、章句、文章となるところ、章句は文集合の段落、文段かと見る。文法と文章法を、あらためて、語、句、節、文となることと、文、章句、文章となることとを考え合わせる。 . . . 本文を読む

ヤップ、ウォー、スゥイープ

2018-02-21 | 新語・社会現象語
カーリングの掛け声を聞いて、ゲームを見る、それが一つの醍醐味になるが、氷上の感触がどう伝わるか、ストーンのはじける様子に、見える。ヤップやウォーはどんな意味というのが話題になって、ネット検索をしたら、カーリングの解説ページがあった。簡潔で、わかりよい。ページのトップ、メニューバーにはまだ作成中か、サイドバーのページがリンクの機能をしている。 . . . 本文を読む

パシュート

2018-02-21 | 新語・社会現象語
スピードスケートパシュートと言う。スピードスケートでは、チームパシュートの競技名で、団体追い抜きをやる。スケートリンクを男子は8周、女子は6周、それぞれ3200メートル、2400メートルのタイムレースである。スケート競技は短距離走が単純に見えるぐらいで、あとはどの競技になっても1周を400メートルとする、その周回はあっという間に前後入り乱れる形になる勢いで、スリリングなものばかりである。その中でチームパシュートは2チームが方向を反対にするかに見える走り方で、これまた不思議な競技空間となり、そこが金メダルを目指す日本チームの見せ所になるとは、世界レベルに届く走りがすごくて興味深い。 . . . 本文を読む

春よ来い

2018-02-21 | 木瓜日記
春よ来い、早く来い、という時候、受験生には入学試験の結果が出てきて、さらに、国公立にチャレンジをするかしないか、というときである。気温が10℃を超えていた日に続き、気温が下がった。10年前の記録では15℃になっていると書いている。寒いと言っても、それでも平年並みか、10℃、昨日、一昨日より3度低いだけである。自然の装いには確実に気候の変化を知らせるニュースが、梅花の早咲きに便りとともに花のつぼみが開花する。白鳥庭園にでかけて、木瓜の花が咲いているか見に行こう。 . . . 本文を読む

章句

2018-02-20 | 日本語文章
章句を章段とした日本語である。文章の切れ目にある、そのまとまりを段落とすることが行われた。本来、章句は中国の経典解釈の学問であったから、句の文字に重きがあった。それは句読である。句読を文章に解釈して、その句を基に章に分けるのであるから、章句は句読法なのである。文に文節があり、文章に章句がある。ここに、章句小儒の語があり、章句の徒という。章句之徒 zhāng jù zhī tú. 解释: 指不能通达大义而拘泥于辨析章句的儒生。 出处: 见“章句小儒”。 . . . 本文を読む

呆ける

2018-02-20 | 木瓜日記
これは、ぼけ、か、ほうけ か。呆けるのである。耳が聞こえなくなる、目がかすむ、足腰の動きも早くなくなって、健康を維持しようとする日常に、何か意見を持っていても余計なことには口をはさむことが面倒くさくなり、角も取れてきたと言われんばかりの、丸みを帯びて、鎮座することになる。すると呆けて、自分の世界だけで生きていくことになるのだろう。それなりの情報には接しているので、年寄りの小言になるか、老いの繰り言となり、ものとこころのありようを収めようとする。呆けていいじゃないか。長生きするわけじゃないものを、それで少しは寿命を延ばそうというものである。 . . . 本文を読む