現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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ザ・ボイス20180220

2018-02-20 | ニューストピック
ザ・ボイス、6年続いた番組が、再編で3月に終了すると言う。朝のラジオ番組放送だった。オンエアの時間はさすがに起きていないので、ユーチューブの再録で聞き始めた。月曜日だけのリスナーであったので、その出演者、長谷川さんの解説だけを聞いてきた。そこまで言うか、というのは、そこまで言って委員会の、そのトーンが似ている、のも、その通りで、コメンテータに出演者の一人が長谷川幸洋さんであった。たかじんの看板タイトルであったころの、気負いと、やかましさを懐かしく思う、その一方で、中日新聞の中日春秋コラム執筆であると知って、その切り口が論調にあらわれていて、ニュースを知るのに、それなりに興味を覚えて聞いていた。 . . . 本文を読む

文節、句

2018-02-19 | 日本語文章
節について、主語を文要素とするかどうか、その立場で議論をする。文における主節、従属節の分析になる。それはまた翻訳文法の概念であるから、接続詞の類によって、文を表す主語をどのように認めるかというふうに、等位、従属などの捉えかたになる。日本語ではその分類をすることはないから、接続の関係には、国語で接続助詞、接続詞、さらには接続語の単位をもって析出することができる。しかし、この国語の考え方は節と句の境界を持たないものとなる。句に同様にして、従属句、接続の句の働きを語と語との連合で認める。先の節が主語を要素とする立場であるから、句はその前提において、節に主語がない場合に、句の単位となるというものである。これは議論としてわかりよいことであるから、その点で、句と節の違いを述べることは可能である。そこでまた、文の要素には主語があるとする視点に、国語は必須要素であるかどうかの議論があって、必ずしもそうではないことから、節が文であり、句がまた文の単位であるかどうか、その境界を持たないことになる。 . . . 本文を読む

惚ける

2018-02-19 | 木瓜日記
ボケを書くことでボケるのはいかがなものかと思いつづる。いずれ木瓜の花が咲く。ぼけは自らのものと、まわりからしからしむるものと、そのふたつを捉え、病的症状をいかに自覚するか、惚けるか、暈けるか、その本来の意味だとするのが、記憶能力が鈍ることであったり、頭の回転が悪くなることであったりする。脳の命令が滞る、身体活動に疲れが残る、胸にある古傷が痛みだすなかで、退休、隠居しての日常は、毎日何をするかという思いから始まっている。終活、断捨離の非日常は先が見えない、終わりがないし、すべてを失っていくことはさきが老い先と見えて、計画にはなりえない。散歩など身体運動を含め、リズムある生活をすることと、趣味やボランティアなどのことが目的化してしまって、それが循環することが始まる。身の置き所を求めるようなことである。こうして書いていて、ああ、嘆息してボケの不足を感じる。 . . . 本文を読む

暈ける

2018-02-18 | 木瓜日記
有線でテレビアンテナの入力をする、地上デジタル、BS放送とCATVを、ビデオデッキ2台とディスプレイ2台とを組み合わせて、どれにもテレビ放送が映し出せるように、そしてメインのテレビに多チャンネル放送を映す。その作業を業者取り付けの機器と配線のままに、あっちもこっちもつなぐ。つないであったのを、映る状態であるから、映らなくなってはやり直しとなる。そうならないように、こんがらがっていたデジタル配線をより分けていく。おりもおり、ピョンチャン五輪放送で羽生選手宇野選手が登場して演技をするのでデジタル録画をハードディスクにするように、テレビ録画は番組一覧の表から簡単予約になるから、それもいれて、なんとか、配線結線の作業は出来上がった。VTRデッキがBS対応だったのでどれもこれもつないで、入力端子が足らなくなるので、HDMIの二つとD端子を使ってきれいな画面で見られるようになった。さすがデジタル機器ばかりである。テレビ画面が鮮明にフィギュアスケートを映し出すと、それを見ているわたしの頭がぼやけていくばかりであるなぁ。 . . . 本文を読む

感動の日

2018-02-18 | 木瓜日記
オリンピックの感動はいくつかの明言、名言を生む。   よく頑張ってくれた右足   日本一になることは世界一になることより難しい   王者のあとをおっかけるだけ   みんなの力でとったメダル、その重さがある   努力は裏切らない . . . 本文を読む

DLNA対応機器

2018-02-18 | 新語・社会現象語
DLNA対応機器とある。有線のケーブルを光ファイバーに替えるという、そのサービスに設置する機器を交換した。引き込み線からの工事で手早く済ませてくれたが、その設置する機器を無線LANの通信から、有線テレビにネットワークが構築できるということで、CATVが進化したのは戸別にホームネットワークを組み入れようとして、対応機器を説明する。デジタルリビングとなると、アイスピーカーを置いての、情報摂取、音楽聴取のことが一方で家電製品化しているから、いよいよ、端末機器のガイドラインが確かめられることになる。 . . . 本文を読む

羽生が勝ち、羽生が敗れた

2018-02-17 | きょうのニューストピック
羽生が勝ち、羽生が敗れた。きょうのビッグニュース、羽生が2連覇の金メダル、羽生二冠が15歳棋士に敗れた。はにゅうが負けても、はぶが勝ってもニュースとなるだろうけれど、そうならなかったから、ともにニュース速報に号外が出た。ご当地のニュースとなれば、2位の銀メダルの宇野昌磨選手、藤井6段に昇進と、いずれも亦、ニューストピックである。地元の誇り、名誉ある快挙と豊田市瀬戸市の市民はわがことである。 . . . 本文を読む

句の論には

2018-02-17 | 日本語文章
句は歌句にある。それは和歌、俳句となって、いずれも近代短詩型文学に見える。言語の資料を文学作品にとり、時期的な変遷を経て、長歌、短歌になる反歌、そして連歌俳諧と句を見てきた。その文芸の流れを受ければ、喚体句と分析される。近代文法が国学の論を受けたものであり、日本語を文章とする議論の展開を起こすことになる。その一方でまた、漢詩作法から句の単位を見ようとした、断句の論があり、句とその部分である連詞の単位を析出している。句には喚体述体、断句と詞、原辞の論を見て、新たに言語の視点に仮説を立てた入子型の句が議論として出されている。句は辞が包摂する言語単位となって、有限の包摂に作品が現れて、それを文章とした論である。文章論を冠する唯一のものと言ってよいが、その文章統一つまり作品の成立にある統合理論には、統覚作用と陳述論を対峙した。句の論は文章論に結びついて作品解釈の文芸理論と往きあう。喚体、断句、詞の辞による包摂、そしていわば、和歌漢文の文法が、西欧文法単位の文によって、新たな句構造を分析することになる。なお、その論には国文法の連体修飾句連用修飾句を排斥するものがあり、句の基本は慣用句の意味と用法にその成果を求めることになる。 . . . 本文を読む

政治が動いている

2018-02-17 | 思い遥かに
政治は動いている。こう言うと、永田町の駆け引き、とか、外交の密約、とか、経済の動向そのものをさして、くすぶるかのようなニュース騒ぎとなるか、そこにショックが現れての事件である。そういった動きに加えてもいまの政治は民族と自立に揺れる軍備競争である。日本国民が日本民族であるか、自衛隊が国を守れるか、そのことに気づかぬ風をして、気づかない様子に、ほかの地域の民族、軍隊がどう動いているかをを関心事に持てないから、明らかな政治の動きがあっても正しく判断材料を持ちえない。日本はながく、目くらましの状況があったのであるから、そのままに議論をしていくことは、繰り返す歴史の轍を踏むことになる。いきなり目を驚かす轟音が響けば、それは太平の世を覚ます、国家安泰を信じ切っている人々の、そうした人たちに、政治を動かすことで、国の安泰を切り替えていかなけらばならないことがわかるかどうかである。国民の3分の一と、そのまた余の半数とが、どう勢力を得るか、2017年の歴史転換を出来事に2018年が具体化をしていくことである。 . . . 本文を読む