君は縄文系? 弥生系?
みなさん、まず隣の人の目をよく見てください。今日の学習会はここからやる以外ないのですよ(笑)。「私たちはどこから来たのか」ですが、鼻の両脇の蒙古襞を見てほしいのです。上瞼の一番鼻に寄ってる側が、下瞼に対して被さっている人はいませんか。これが蒙古襞で、渡来系弥生人の顔の特徴だと言われています。
僕らはあまり気にしていないけれど、西洋人が東洋人を見るとき、この蒙古襞がすごく気になるらしい。蒙古襞はモンゴロイドのなかでも、新モンゴロイドと呼ばれる人たちの特徴です。「蒙古襞の出現頻度」という表を見て下さい。これで見ると、縄文系が強いと言われてるアイヌの人では、男性で5人に1人ぐらいしか出ない。畿内つまり近畿地方では、男性は2人に1人ぐらい蒙古襞がある。朝鮮南部では62.6%の率で蒙古襞が出現します。
今から2300~1700年前の弥生時代、この蒙古襞のある人々(渡来系弥生人)が対馬海峡を越えて日本列島に渡ってきたということです。彼らの多くは北九州から瀬戸内海沿岸、そして畿内に住み着いた。表には京都の女性の65.2%には蒙古襞があるとでています。つまり畿内の奈良や京都は渡来人の都だということです。
それに対して、目頭から目尻までくっきりと二重になっている二重瞼は、縄文系の特徴です。弥生人の渡来以前から日本列島に住んでいた縄文人には二重瞼が多く、蒙古襞は余り見られないのです。縄文系とされるアイヌの人の96.8%が二重瞼なのに対して、朝鮮南部では二重瞼は42.1%しかいない。沖縄の人も縄文系だと言われてきたが、今はちょっと違うんじゃないかといわれています。
その他にも縄文系と弥生系では異なった特徴があります。まず耳です。耳たぶがツルンとくっ付いてるのは弥生系。分離型の耳たぶ=福耳は縄文系です。それからエラが張ってるのは縄文系で、細顎で歯がでかいのは弥生系です。青森の三内丸山遺跡は縄文の里ですが、縄文の遺跡から出土する人骨と、佐賀の吉野ヶ里など弥生の遺跡から出土する人骨ではサイズが違うのです。弥生人のほうが平均で6センチぐらい大きい。それらから縄文系か弥生系か、顔を見ただけでだいたい分かるというのが、考古学では言われていることです。
縄文時代・弥生時代とか言うけれど、縄文人と弥生人は人種が違うのです。東大名誉教授の埴原和郎さんなどの提唱する「日本人二重起源説」ですね。弥生時代から大和朝廷の時代までに、ざっと100万人ぐらいの人々が朝鮮半島ないし中国から、海を渡って日本列島にやってきたと考えられるのです。この渡来系弥生人と、元々の縄文人の混血の末裔が現代日本人となった。全く純粋な弥生人もいなければ、全く純粋の縄文人もいない。みんな混血しているから、今の日本人は縄文系の特徴と弥生系の特徴を両方持っているということです。
何でこれが問題となるのか。かつて戦前の日本では、「皇祖皇宗」(天照大神や神武天皇など神話から続く万世一系の天皇の系統)とか、「日本民族の単一性」とかが強調された。今でも「新しい歴史教科書をつくる会」などの一部の右翼勢力は、『古事記』を歴史のようにあつかうなどしています。でもそんなのは、現在の考古学や人類学の研究成果に照らし合わせれば全くの誤りです。単一民族云々などというのは、それこそ「神話」でしかない。
外国人にとって、日本人ほど顔の違う民族は珍しいのだそうです。ジャパニーズは、チャイニーズやコリアンと区別がつかない。ヨーロッパだと、イタリア人はイタリア人、フランス人はフランス人と一目で区別がつくらしい。どうして日本人が分かりづらいのか。混血が進んで「これが日本人」という顔の特徴がないからです。蒙古襞とか二重瞼とか混ざっているのです。つまりわれわれはみんな混血、ブレンド人種なのです
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