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HAKODATE 南茅部縄文中期土器と火焔土器

2008年09月25日 | 川柳

                  

 函館市南茅部(みなみかやべ)縄文群から発掘された縄文中期の土器です。前期の実用を重んじた土器から、装飾を施した個性ある土器が多く出土されています。縄文中期は気候も比較的温暖で食べ物にも恵まれていた証拠には、縄文人のこころのゆとりがその意匠に伝わってきます。

北海道と東北の縄文人との流通があったそうで、今、その15箇所の遺跡を世界遺産に登録申請中だそうです。

  素朴な生活の中で、ひえやあわなども栽培していたそうです。

 海の幸・川の幸・山の幸の恵みと縄文人の知恵を駆使した生活。

そんな中でも、下記のような現代の技術を持っても創ることが困難な土器 。

              「火焔土器」

   函館と新潟長岡を結び合った「影響力」が感じられますね。

     それにしても火の神様の炎 を表現するとは、

             すばらしいの一語に尽きます。

下記の写真のような、一部をまねたような土器が北海道函館市内からもたくさん出土しています。

 

長岡市


深鉢 火焔土器
出土地:馬高遺跡 ( うまたか いせき )
所在地:長岡市関原町
時期:縄文時代中期 ( 約4500年前 )
高さ:32.5cm
指定:長岡市指定文化財 ( 考古資料、昭和42年指定 )
所蔵:長岡市立科学博物館

この種の土器は大きく立ち上がる四つの突起(鶏頭冠)が燃え盛る炎のようにみえることから「火焔型土器」と呼ばれています。もともと「火焔土器」とは、関原町の近藤篤三郎氏が馬高遺跡で最初に発見した土器に名づけたもので、その後に発見された類似の土器を一般に「火焔型土器」と言います。この火焔土器の様式は、中期の中ごろにはほぼ現在の新潟県全域に広がり、特に信濃川流域で最も発達しました。新潟県域はまさに「火焔土器の国」であり、長岡周辺はその中心地のひとつです。


深鉢 火焔型土器
出土地:千石原遺跡 ( せんごくばら いせき )
所在地:長岡市吉崎
時期:縄文時代中期 ( 約4500年前 )
高さ:38.5cm
所蔵:長岡市立科学博物館

深鉢 王冠型土器
出土地:岩野原遺跡 ( いわのはら いせき )
所在地:長岡市深沢町
時期:縄文時代中期 ( 約4500年前 )
高さ:30cm
所蔵:長岡市立科学博物館

火焔土器の様式には装飾的なものと非装飾的なものがあり、装飾的なものに「火焔型」と「王冠型」の2種類がみられます。火焔型は「鶏冠状把手」と4単位の大きな突起をもつもので、突起や口縁には鋸歯状の連続した小突起がつきます。一方、王冠型は、基本的な文様は火焔型と共通しますが、大型の突起はシンプルな山形で、鋸歯状の連続突起はありません。装飾的な火焔型土器や王冠型土器は、非装飾的な土器に比べると、出土量は多くありません。また、ススやおこげの痕が残ることから煮炊きに使われたことがわかります。おそらく、村の祭りなどの儀式の場で、調理の道具として使っていたと考えられます。

火焔型や王冠型の土器は、馬高遺跡のほか、岩野原遺跡や千石原遺跡に典型的な特徴を示す資料があります。特に千石原遺跡の土器は、胴の部分がくびれて装飾的な突起が大きく開いており、火焔型の最も発展した姿を良く顕しています。

 

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