萱野茂
「(北海道旧土人保護法で定める)
旧土人とはアイヌのこと、それはわたしのことですか」
というわたしの質問の答弁者は、かつて旭川市長であった五十嵐官房長官、わたしがアイヌ民具をつくりながら細々とくらしていたころに世話になった旧友でもあり不思議な縁を感じたものです。
昭和59年にウタリ協会が「アイヌ新法(案)」を決議してから十数年、野村理事長を先頭に政府に
何度も新法制定を要請してきましたが、何の返事ももら
えていなかったのが実情です。わたしが参議院議員に
なったとき、アイヌにとって幸いだったのは村山内閣の
誕生で社会党が与党になり、五十嵐先生が官房長官に就かれたこと。
そして、アイヌ新法の与党プロジェクト(わたしも委員の一人である)が推進役を果たしてくれたことでした。
五十嵐官房長官のもとで「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」が平成七
年三月につくられ、その委員には、有名な作家の司馬遼太郎さん、
アイヌ民具の展示でお付き合いのある国立民俗学博物館の佐々木高明館長など、それぞれに功績のある方々が選ばれました。事務局担当である内閣内政審議官や島田審議官からは、そのつど詳しい経過報告を受けていたので、出される報告に期待したいものです。
翌、平成八年四月に出された報告書には、アイヌ民族の歴史を認め、アイヌを先住民族と呼称し、民族政策としての立法措置も記述されていて、これでアイヌ新法に一つの道が開けたのです。
著書 イヨマンテの花矢より(2005・11・30第一刷発行)
(手記)
北海道旭川市長を勤められていた五十嵐広三氏は、市長時代に佐藤忠良氏の彫刻を中心とした買い物公園の新設は当時としては大変評判になったものでした。
市長になる前は、若き経営者として、又芸術創造集団のアンデパンダの一員としても活躍されていたそうです(自伝より)
その市長時代に、全国の市長に呼びかけて「旧土人保護法の撤回」を求めて、国に訴えかけていたという政治の裏話には・・・嬉しいものがあります。
そして、あの日本を産ませた(歴史小説)司馬遼太郎氏が有識者懇親会に選ばれていたとは・・・感動!です。
ご自身の作品を一冊作られるのに小型トラック2台分の資料を吟味して描かれるという逸話は有名ですが、司馬遼太郎の放談の中で
「昭和と言う時代を将来年表としてのぞいてみたら、文化というものを何も残してこなかった時代なのだと思う」と言われた言葉がとても強く印象に残っています。
ところで、今の政治の混沌は昭和の置き土産、宿題であるのかも知れません。
それにしても、萱野茂、五十嵐広三、司馬遼太郎各氏の顔合わせがあったとは、個人的にはブラボー!です。
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